13畳のファンタジー
1970年のMilkの外観全てが、私の原点である。
MILKというファッションブランドがある。パンクロリータという分類になるが唯一無二の存在として原宿に1970年代に登場して以来、ファンを掴んで離さないその魅力的なブランドとその始まりの小さな店舗は当時14歳だった私の心も鷲掴みにした。
元々、一人っ子だった私は一人遊びが得意でその中でも好きだったのは裁縫だった。母が仕事に出かけた頃私は当時好きだったピンクのクマのぬいぐるみを取り出してきては母のミシンと商店街の角にある布屋さんで買った端切でその子の服を縫っていた。 裁縫がとても得意なわけではなかったが、ピンクのクマを使って服を表現することが楽しくよく小学校にもそのピンクのクマを持っていき服を着せ替えなどしてみんなに見せていた。
服へのトキメキは止まらない。
家が建築だった私は父の勧めで中学に上がると美術部に入った。美術部に入ると次は色彩と服を絵で表現することを覚え毎日一人残っては描いていた。ちなみに技術の成績は2だった(ネジと一緒に回っていたくらい苦手だった)ため、建築への道は諦めた方がいい。という技術の先生からの勧めですぐに諦めた。
勉強も嫌いだった。母はいい高校に行かせたいとの思いが強く私に熱心に勉強を教えてくれた。だが私が成績がよかったのはいい高校に行くためではなく、MILKの服を買ってもらえるからだった。
100点を取った日はダッシュで家に帰りカタログを見ていた。そこにはトキメキが詰まっていて私はただそれだけが、幸せだった。
その後は
中学三年生、高校も皆と同じように進路について聞かれたが私は依然として何か表現のできる場所ではいたかったが高校や大学に1ミリたりとも興味がなかった。唯一興味があったものは『言葉』。そこで武庫川女子大学の文学部を受け、受験日は爆睡していたがなぜか受かったというトンデモぶり。
大学時代、夜遊びが激しい友達に連れて行かれた歓楽街に私をプロデューサーとして開花させるきっかけとなる出会いがあった。
その子は出会った時からなぜかオドオドして、でも私に『僕を変えてくれる人だと思った』と一言喫茶店に呼び出された際に言って泣きそうになりながら黙ってしまった。
私は困り果ててしまった。
その後もなぜかその子に追いかけ続けられ気づいたら服や化粧品やその他もろもろ私は選ぶことになっていた。初めて服を選びに行く日、なぜかその子は真っ黄色の全身ジャージを着てきた。
横に歩くのが恥ずかしいからと全身着替えさせたらひどい!と言っていたのが未だに面白い。
その後も自信が持てなかったその子の横になぜかいつもいて、その1年間はよく泣いたり怒ってきたり何も悪いことをしていないのに頭突きをしてきたり本音で話してきては感謝をしてきたりするよくわからないその言動をただただ受け続けた。笑
そしてその子は1年後まるで別人になった。
その子の周りは全員その子が好きで周りに人が集まり、女の子も集まり、ついでに変な言動もなくなって男らしくなっていた。私はその光景を見た時、頭痛がした。頭痛がして吐き気がしてその場で倒れた。そしてある日、その子の家を出た。
生きていく少額のお金以外を引き出し、
全財産を置いて。夢を託した。
私は、これが自分の『私命』なのだと悟りキャリーケース一つを持ってそのまま家がない日々が続いた。というか、実家に帰ればよいのだが私はその道を選びたかった。
そんなある日、今の事務所がそのビルでなぜか一室だけ募集をかけられていたのを目にした。
私は導かれるように、そのビルの持ち主に連絡をした。
『私は今、お金が一銭もありませんけど、ただ見て見たいんです。ここ。』
そう言って、無理やりに連れてきてもらった今の事務所のビルはボロボロの外観だった。
そして小さな階段が並んでいた。
でもなぜかワクワクした。その感覚はそして、
正解だった。
13畳の真っ白で何もない空間は、あの日私が初めてMILKの外観を見た日と同じ始まりを感じた。どうしても、ここに住みたい。
そうおもったのだ。
私は大好きだった色彩の資格とそして絵に近いメイクの資格をクラウドファンディングでお金を集めて取り、ファッションの勉強を始めた。
全てを無くしてみた時、全てを恋に託した時、全てどうでもいいとおもえるほどトキメキを探した時。私はいつもこの原点に帰ってきた。
あの子がオドオドしていたみたいに、私はいつも誰かの恐怖や不安やそしてその"答え"をこの13畳の真っ白な部屋で待つ産業を始めようと思った。
それが、Mysellforだ。
私はあなたが、あなたの人生を生きることを今トキメキに感じている。
私が色んな人に答えを見つける力をもらい、ここまで自分の原点を忘れずに自分のトキメキを忘れずに、生きてこれたみたいに。
全てを無くした日、全てがスタートになるように。
あなたが、あなたをあなたのために生きると決めた時、
私は、私の人生の服屋にたった一着の服をかけることができるのである。