伝聞法則4(内容の真実性2)

(事例)
 甲さんが、乙さんに対して言いました「いま、テレビで報道されている事件の真犯人は、、、私だ!」。この場合、乙さんの「甲さんは自分のことを真犯人だと言っていました」という証言は伝聞証拠か?

(要証事実をどうするか?)
 すでに何度か言及しました。要証事実によって伝聞証拠かどうか決まるということ。
では、前記(事例)で、要証事実をどのように考えるのがよいでしょうか。

(甲さんが真犯人であること(=「発言内容」))
 要証事実を「甲さんが真犯人であること」とすると、乙さんの証言は伝聞証拠(伝聞証言)となります。すでに述べてきたことからもこのことは容易に理解できると思います。
 法廷で、乙さんに対して、いろいろ質問しても、甲さんは、自分が真犯人であると、そう言っていました、と証言する以上の証言をすることができず、本当に甲さんが真犯人であるかどうか検証の余地がありません。

(甲さんが「自分が真犯人である」と言ったこと=「発言自体」)
 これに対して、要証事実を「甲さんが『自分が真犯人である』と言ったこと」を要証事実とするとどうでしょうか。
 言ったこと自体を立証するわけですので、確かに言ったんだということがわかればそれでいいわけです。ですので、乙さんに対して、「甲さんは、本当にそんな事を言ったのですか?」「聞き間違いではないですか?」そういう質問をすれば、本当に「甲さんが言った」かどうかを明らかにすることはできそうです。あくまで、甲さんの発言内容ではなく、発言したという事実が存在するかどうかということです。

(分かれ道)
 上記のとおり2パターン要証事実がありえることがわかりました。さあ、どう考えるべきでしょうか。

(寄り道)
 ちょっと寄り道をします。前にも取り上げた白鳥事件。ここではこのような判断がされています。

(白鳥事件 判断1)
 「伝聞供述となるかどうかは、要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられるものと解すべきである。」
 とした上で、
 「・・・次に、
 ①Cさんが1月22日甲宅を訪問した際、甲が丙を射殺したのは自分であると打ち明けた旨の証人Cさんの公判における供述は、甲が丙を射殺したことを要証事実としているものと解せられ、この要証事実自体は供述者たるCさんにおいて直接知覚していないところであるから、伝聞供述であると言うべきであり、原判決がこれを伝聞供述でないと判示したのは誤りであるが、
 
 ②右供述は刑訴三二四条二項、三二一条一項三号による要件を具備していることが記録上認められ、従つて右刑訴の規定により証拠能力を有することは明らかであるから、原判決がこれを証拠としたことは結局違法とは認められない。」

(解説)
 白鳥事件では、甲さんがCさんに対して「自分が射殺した」という発言に関し、その発言を内容とするCさんの供述を伝聞供述であると整理しています(なお、甲さんは実行犯ですが、白鳥事件の判決では被告人とされていません。どうやら甲さんは逃亡し、捕まっていないそうです。その結果、上記②の伝聞例外の規定は、324条2項(被告人以外の者(=Cさん)の公判期日における供述で、被告人以外の者(=甲さん)の供述をその内容とするもの)について準用された321条1項3号で処理されています。321条1項3号の準用により、逃亡している甲さんの供述が不能であり、犯罪事実の証明に不可欠かつ特信性がありとされたようです。)。

 この白鳥事件によれば、要証事実は、「発言自体」ではなく「発言内容」ですので、これに準じて、前記の(事例)も「発言自体」ではなく、「発言内容」を要証事実とすればよいといえる。。。。。最高裁がそうしているから。。。。それでいいでしょうか?

(寄り道が続く 白鳥事件 判断2)
 他に、白鳥事件では、
 ③「被告人Aさんが、甲さんの社宅で行われた幹部教育の席上『乙はもう殺してもいいやつだな』と言つた旨の丙の検察官に対する供述調書における供述記載は、被告人Aさんが右のような内容の発言をしたこと自体を要証事実としているものと解せられるが、被告人Aさんが右のような内容の発言をしたことは、丙の自ら直接知覚したところであり、伝聞供述であるとは言えず、
 ④同証拠は刑訴三二一条一項二号によつて証拠能力がある旨の原判示は是認できる。」

 としています。

(解説)
 上記③において、甲さんの発言を内容とする丙の供述調書中の供述は「発言自体」を要証事実とするものであって、伝聞証拠ではないとしています。(ちなみに、「乙はもう殺してもいいやつだな」という発言(以下「殺していいやつ発言」といいます。)について、それを非伝聞証拠として取り扱うとしても、丙が証人として「殺していいやつ発言」があったと証言する場合と、丙の供述録取書で「殺していいやつ発言」があった」と記載されているものを証拠として取り調べるのとは、扱いが異なりなります。証人として証言した場合特に問題はありませんが、供述録取書から「殺していいやつ発言」が明らかになった場合、比喩的に言うと、供述録取書を介して丙が供述をすることになります。もっと比喩的に言うと「供述録取書さん」という人が、丙さんの話によると「殺していいやつ発言」はあったんだと説明していることになります。この場合「供述録取書さん」の発言内容を立証することになるので、その立証の限度では伝聞証拠となります。そして、伝え聞いたことが誤りでないことを明らかにするために、伝聞例外の規定(今回では321条1項2号)の要件を備える必要があります。それが上記④のことです。)。

(比較・検討)
 上記①では、発言内容、上記③では、発言自体をそれぞれ要証事実としています。これらの違いはなんでしょうか。
 上記①で、発言自体を要証事実とするとどうなるでしょうか「要証事実3(内容の真実性1)」の復習です。
 「自分が犯人だ」と発言したこと自体がどういう意味を持つかについて考えてみましょう。
 一つの考え方として、社会一般的に「自分が犯人である人は、『自分が犯人だ』という傾向がある」といえるとします。そして、甲が「自分が犯人だ」という発言をしたこと自体を捉えて、その発言から、甲が犯人だと判断できると考えてみます。
 その判断構造を注意深く書きます。
 乙が「甲は自分が犯人だ」と言っていましたと述べたとします。
 この乙の証言について「甲が犯人である」ということを要証事実とするわけではありません。要証事実は発言自体です。そして、甲が「自分が犯人だ」と言っていたということが立証できたとします。そして、そのような発言をするものは実際犯人である(つまり、「自分が犯人である人は、『自分が犯人だ』と言う傾向がある」という考えを使う。)といえるとすれば、Aが犯人であるということが言えるかもしれません。Aがそのような発言をしたこと自体から甲が犯人だと判断するものです。  
 このように考えると、発言したこと自体が意味を持ってくるかもしれません。

 しかし、私は、このような考えが妥当とは思えません。
 1つ目の理由は、まず、「自分が犯人である人は、『自分が犯人だ』という傾向があるといえる」という点について、そのような傾向はあると言うべきではないと思うからです(この点は、色々考えがありえると思いますので、次の理由が主なものです。)。
 2つ目の理由は、そのような傾向があると肯定し、上記の判断構造を許容すると、322条の伝聞例外の要件(それ自体ゆるいものですが)を無視してしまうことになるからです。判断構造(要証事実)が異なるにせよ、「犯人はAである」というゴールは同じです。上記の判断構造を許容することは、伝聞法則を潜脱するものだというべきだと思います。

(結論)
 このようなことから、上記①において、要証事実を発言内容とし、要証事実を発言自体としなかったのは、要証事実を発言自体ととらえて、「甲が丙を射殺した」というところまで結びつけていくことは、伝聞法則を潜脱するからであると考えています。いかがでしょうか。

(予告)
 次回から、精神状態についての供述について、ひとくくりに伝聞、非伝聞とするのではなく、発言自体の存在や、発言内容が立証されることがどのように事件と関係するのかという観点から、例えば「あの人はすかんわ。いやらしいことばかりするんだ」という発言がどういう意味を持つかについていろいろと検討することになればと思っています。

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