伝聞法則6(精神状態に関する発言)

(はじめに)
 前回は、米子事件をとりあげ、「あの人はすかんわ」という証言が伝聞か非伝聞かについて検討しました。
 今回は、それを踏まえて、精神状態についての発言が伝聞証拠であるかどうかを判断するための考え方を示してみたいと思います。

(よくある説明)
「精神状態を述べる供述は、知覚・記憶という過程を経ずにされるものであるから、反対尋問での吟味の必要がないので、伝聞法則が適用されない(非伝聞証拠である)」
 ・・・知覚・記憶という過程を経ないということがそのとおりだとしても、いままで散々
 「伝聞証拠かどうかは要証事実との関係で決まる」
 と説明されてきたのに、突然、知覚・記憶という過程を経ないから伝聞証拠ではないと言われましても。。。という気持ちになる人がいるかもしれません。

(検討)
 前提となる考え方をまず説明します。
 証拠によって事実を認めるとき、
 証拠Aがある、証拠Aから事実Aを認めることができる。
 これが最も単純な流れです。

(コンビニの例)
 例
 証拠A:被告人甲の姿が写っているあるコンビニの防犯カメラ映像
 から
 事実A:被告人甲があるコンビニにいた
 という事実を認める。
 単純な話です。

(ラブホの例)
 では次の例
 証拠B:Xさん(男性)とYさん(女性)が、ラブホテルに入っていく防犯カメラ映像
 から
 事実B:XさんとYさんはラブホテルに入っていった
 という事実を認める。
 これもさきほどと同じような話です。
 では、さらに
 事実B2:XさんとYさんとは肉体関係をもった
 という事実を認めることができるでしょうか?
 一般的には、これを認めることができると説明されます。
 事実Bから更にすすめて事実B2を認めることとなります。


(甲さんが「丙さんのことを嫌い」と言っていた例)
 伝聞の話に戻ります。
 証拠C:乙さんが聞いた話「甲さんが丙さんのこと嫌い」と言っていた。
 事実C:甲さんは「丙さんのことを嫌い」と言っていた。
 この枠組は、甲さんの証言を非伝聞証拠として用いるものです(ちなみに事実Cを「甲さんが丙さんのことを嫌いであること」とすると、要証事実が内容の真実性に関するもの(証言内容が真実であること)となるので、伝聞証拠となります。)。

 証拠Cから事実Cは認められるといえるでしょう。
 では、ラブホの例と同じように考えて、事実Cからすすめて
 事実C2:甲さんが丙さんのことを嫌いであること
 という事実を認めることができるでしょうか。

(白鳥事件再登場)
 この点に関し、以前の記事では、自分が犯人である人は、「自分が犯人だ」という傾向があるというべきではないことや、伝聞法則を潜脱するものであることから、発言自体からその内容が事実であると認めることは許されないというべきだという趣旨のことを書きました(伝聞法則4)
 同じように言えるでしょうか。
 同じように言えるのであれば、上記事実Cから事実C2を認めるべきではないということになります。

(検討)
 前記のとおり、白鳥事件の記事では、伝聞法則を潜脱するものだから認めるべきではないと書きました。丙さんのこと嫌い発言の例でも、確かに伝聞法則を潜脱するとも言えるかもしれません。
 しかし、嫌いである人に対して、「嫌いだ」と発言することはよくあることで、「嫌いだ」と発言したこと自体から「嫌いであること」を認定しても良さそうです。加えて、(ここでよくある説明をようやく登場させます)精神状態を述べる供述は、知覚・記憶という過程を経ずにされるもので反対尋問での吟味の必要性がないということもいえるかもしれません。

(知覚・記憶をという過程を経ていないということ)
 人は、見て、聞いて、臭って、感じて(=知覚)何かを体験します。
 体験したことを記憶し、その体験を話します。
 その話が信用できるかについて、
 知覚に関し、視認状況(よく見える状況だったか)はどうだったのかの質問をし、知覚に関する吟味(検証)を行います。
 記憶に関し、いつのできごとか、出来事があったあとどうやってその情報を保持していたかなど、記憶に関する吟味(検証)を行います。
 裁判ではこのような吟味を反対尋問で行います。
 人の精神状態に関する話について、例えば甲さんが丙さんのことを嫌いだという精神状態をもっていたとし、その精神状態が生じるには、正確な知覚・記憶は必要ありません。誤解に基づいていようが嫌いは嫌いです。何ならなんとなく嫌いであっても、嫌いは嫌いです。
 また、嫌いという感情は記録に残すことで確かなものとなるというような性質のものではありません。
 これらのことがそのとおりだとしたら、知覚・記憶を反対尋問で吟味する必要がないということになります。
 また例えば、仮に、反対尋問をして、嫌いという感情の根拠となる事実が勘違いだったことが判明したとしても、反対尋問の結果、嫌いという感情に変化が生じただけであって、「嫌いだ」と発言をした当時の気持ちがさかのぼって変化するという性質のものでもありません。
 このようなことから知覚・記憶という過程を経ないもので、その点については、反対尋問の必要性がないといえそうです。

(嘘をつく可能性)
 しかし、知覚・記憶に反対尋問の必要性がないとして、嘘をつく可能性は否定できません。例えば、話し相手の顔色をうかがって、他人のことについて「あー私も○○さん嫌いなんだよね」とその場で話を合わせることがないとまでは言い切れません。
 こういったこともあるので、反対尋問不要で、「嫌いと言っていたこと」から、「嫌いであること」の結びつきを認めることに慎重になる必要があることは間違いないと思います。

(精神状態に関する供述のひとまずのまとめ)
 精神状態に関する供述は、その供述自体を要証事実とし、そこから供述内容となる精神状態を認定するという枠組みを紹介しました。
 そして、内容となる精神状態を認定するにあたって、嘘を付く可能性があるから直ちに認定できるとはいえないものの、知覚・記憶の過程を経ていないから、これらを経ている場合と比較して、反対尋問の必要性は高くないといえ、発言自体から内容を認定して良い余地がある、というのがひとまずのまとめといったところです。

(まとめのまとめ)
 このような整理をした意味合いは、伝聞証拠か非伝聞証拠かの判断は、あくまで「要証事実との関係で決まる」という考え方を維持するためのものです。精神状態の供述「だから」非伝聞証拠であるというのは「要証事実との関係で決まる」という考え方にとって異質です。
 ですので、精神状態の供述について、その要証事実は発言自体とし(非伝聞証拠)その発言自体から、精神状態を推認することが許容されるかという枠組み。そして、許容される論拠の一つに、知覚・記憶を経ていないことが挙げられると整理することができると思います。

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