「変」ではなく「おもしろい」【オンリーワンになろう】
ダイヤモンドとビー玉
ラムネの中でカラカラと気持ちの良い音を立てるビー玉。空にかざすと青く透き通り綺麗な世界を見せてくれる。100円ほどで買える幸せだ。
そしてそのビー玉を握って博物館などへ行ってみる。同じように透き通り綺麗なものが見られる。
ダイヤモンドだ。1gで1500万円ほどする。決して買えない幸せだ。
では、堅牢なガラスケースの中にあるダイヤモンドと握りしめた手の中にあるビー玉。
この綺麗さは値段ほども異なるのか。
きっと違う。たしかにダイヤモンドは綺麗だが、綺麗さだけが値段に直結しているようには思えない。
では何だろう。何が値段の要素となっているのか。
それは高校の社会科の授業を少し覗けばわかる。需要と供給の関係だ。
需要に対して供給が少なければ値段が上がるし、逆に需要に対して供給が多ければ値段は下がる。
だから年間で25tしか供給されないダイヤモンドは高く、年間でいくらでも作ることができるビー玉は安い。
珍しいものは高く、ありふれたものは安くなるのだ。
でも人間社会はどうなのだろう。
ダイヤモンドだった石ころ
幼稚園の頃、僕は自分にしかできない考え方をしてた。
友達もその子にしかできない考え方をしていた。
みんな自分の世界を持っていて、嫌なことはいやだと言った。
だから僕らはぶつかる。喧嘩もする。でもそれでよかった。輝いていた。
小学校に上がってしばらくすると、僕は自分の考え方をしばしば曲げるようになった。
周りには声の大きい子がいて、その子が言うことは支持される。
多くの子が持つ意見と違う意見を持つと、僕は白い目を向けられる。
集団という大きな力に叩かれそうになる。
僕はオンリーワンではなくなった。
中学校、高校にあがるにつれて同調圧力は強いものになっていく。
僕は周りに合わせてヘラヘラと笑うことが上手くなった。
周りと同じ意見を言っている自分にも違和感を感じなくなった。
自分に輝きを感じなくなった。
多分石ころになってしまったんだ。
昔々、小さい頃は僕はオンリーワンで輝くダイヤモンドだった。
でも成長するにつれてビー玉になり石ころになった。
美しくなくなった。でもしょうがない。社会で他と違うことをしている人は「変な人」と言われる。グループから外される。出る杭は打たれるんだ。打たれているうちに自分自身の輝きも見失う。
ああ、みんながダイヤモンドになれる社会が来ればいいのに。珍しさに価値を見出してもらえれば良いのに。
「変」って言わずに「面白い」って言えばいいのに。王道と言われるレールなんてなければいいのに。
自分に自信を持てればいいのに。他人に輝きを感じられればいいのに。
ああ今日も空は広く明るい。
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