経済成長で人は幸福になれるか〜持つべきもう一つの視点〜
知識は何もない人間が、少し真面目に経済成長と幸福ついてのお話をさせていただきます。
突然ですが、自分は経済的な指標で幸福度が図られがちであるという現状があるということについて疑問を感じています。
「途上国」と言われたときにどんなイメージを持ちますか?
赤色の土や大草原、少し古い家などのイメージから、「途上国の生活は貧しい、自分たちが助けなきゃいけない」「貧困問題に直面している地域は幸せではない」などと思ったことはありませんか。
自分はあります。
大学一年のころ、とある授業でボリビアに住む貧困家庭のビデオを観た時のことでした。
自分はちょうど大学にも慣れ始め、ダラダラしてきた頃。
ビデオに移る遠い海の向こうの少年は勉強したいという一心で、遠い学校も通う。家族を少しでも喜ばせたいという気持ちで、身を削って働く姿が、ダラダラ人間に稲妻が走りました。
「なんとかしなきゃいけない」
そして昨年夏、カンボジアに行く機会をいただきました。
一年前の自分は「カンボジア」などと聞くと、まさに赤色の土や大草原が広がっているイメージを持っていて、まさに貧困問題が深刻で、困っていることはきっと多いのだろうという考えでした。
農村部に行くと想像通りの光景が広がっています。
でも、村に来てから海の向こうから来た自分たちを、言葉も通じないのにも関わらず笑顔で受け入れてくださった姿をみて感じたものがありました。
「人の温かさ」です。
人の温かさを感じて「貧しい=幸せではない」と半ば決めつけていた自分に疑問が生まれました。
本当に彼らは「貧しい」から、幸せではないのか。
自分たち、そしてカンボジアの人々にとっての幸福とは何か。
経済的な指標で測られる豊かさの限界
自分たち日本人は、経済的に見れば「豊かな国」として括られます。
そして、カンボジアなどの東南アジア諸国も、低所得国を脱却し中所得国になりつつある。
当然、経済が発展していくことは様々な面で便利になったことがある。
スマートフォンの普及、進化していく家電製品、自動運転、、
そして、「〇〇のGDP成長率は◯%」という言葉を聞いて期待が膨らむ。可能性を感じる。
しかし、本当に経済成長だけで幸福は測れるのか。
友達となんとなく喋っている時間、家族と食事をとる時間、人から「ありがとう」と言われた時なども、自分たちは「幸せだ」と思えるのではないでしょうか。
人と人とのつながりで感じる幸福はGDPに入らない。経済という指標では測りきれないと感じています。
経済成長だけが正しいのか 持つべきもう一つの視点
「途上国」と言われる国々には、日本と比べれば便利さなどにおいて劣るものはあります。
しかし、経済的に見れば「貧しい」というだけでで、幸福という観点から見ると必ずしも「貧しい」とは言えないと思います。
GDPという指標で豊かさが図られていることによって招く「偏見」はまだあるのではないか。
自分も含めて、これから世界に様々なチャレンジをするときに本当に大切になるのは「その人の本当の意味での幸福を考えることができるか」だと思います。
貧困をなくしたいなどの「やさしさ」がトゲに変わってしまうかもしれません。
開発援助を行い、経済的に発展していくことが全てではない。
何事も、一つの視点だけではできないという意識を持ちながら、これからも行動していければと感じました。
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