3.11の記憶(関西人版)

30年近く生きてきて、個人的に生活に大きな影響を受けたと感じている出来事は3つある。豚インフルエンザの流行(修学旅行が行先変更になった)、東日本大震災、そして今もなお続く新型コロナウイルス感染症。SARSとか同時多発テロとかも記憶にあるけれど。

東日本大震災は(後述するが)幸いにも直接被災した訳ではなかったが、それでも生活が一変した記憶がある。震災から11年が経つとその記憶も薄れつつあることに危機感を覚え、もっと薄れる前に記録に残しておきたい、と思いこのnoteを書くに至った。何の役にも立たない文章だが、まだ記憶があるうちに記録として残しておく。

2011年3月。
2011年3月1日に卒業式でレミオロメンの「3月9日」を歌って高校を卒業したわたしは、国公立大の後期入試に向けて、卒業式後ではあったが登校して入試対策に勤しんでいた。
といっても後期入試は小論文のみだったので、志望校の過去問や先生にもらった課題を解いて先生に提出し、先生からは前日までの課題を添削していただいたものを解説とともに返却してもらう、という一連の流れを午前中に登校してお昼ごはんを食べて14時か15時くらいには下校するサイクルの中で行っていた。
3月11日も同様で、キリの良いところで切り上げ、下校して電車に乗った。当時はまだスマホが黎明期でわたしの携帯はガラケーだったし、今これだけ普及しているLINEはまだ存在せず、Twitterその他SNSのアカウントも無かったので、東北地方で何が起きているのか知らずに帰宅した。関西も揺れたそうだが、電車に乗っていたため気付かなかった。
帰宅すると祖母がテレビを観ており、そこに映る光景に唖然とした。東北地方が津波に飲まれていた。原子力発電所の燃料が「メルトダウン」を起こしている、とテレビ局がしきりに伝えていた。
関東地方も震度が大きく、揺れている様子が伝えられていた。海際にあるTDRが大変なことになっていて、暫く休業していた覚えがある。

何日か経って、友人と鎌倉方面へ行く予定だった卒業旅行について話し合う会があった。旅行会社(←確か高校の最寄り駅のとこだったと思う…)とも相談して、行き先は福岡に変更になった。
もう1組、日帰りアドベンチャーワールド行き卒業旅行は、TDRで被災した子が来られなくなった。(吹奏楽部のサックスのパート旅行だったのだが、現地で偶然トランペットパートに会ってびっくりした。)
民放のCMが全て公共広告機構のものになった。(今さっき試しに口ずさんでみたところ、未だに「ぽぽぽぽ~ん♪」をフルフレーズ思い浮かべることができてしまった…)
原発事故に伴い節電が呼びかけられ、昼間の地上を走る電車の車内灯は消灯するようになった。(関西では今でも実施している路線が多く、すっかり違和感が無くなっていることに、先日友人から指摘されて気付いた。)

4月に大学に入学する頃はまだまだ自粛ムードが続いていたと思う。
学力レベル的に関西/西日本出身者が多い関西の大学に進学したため、周りで実際に被災した人や被災したためにその年の大学進学を諦めた、といった人はいなかったと記憶している。(諦めた人に大学で出会うのは不可能だが…)
スマホを持っている友人を中心に、サービスを開始したばかりのLINEが使われ始めた。「既読」機能は震災の経験から安否確認の意味で付いている、と知ったのはいつ頃だったか。
(参考: https://weathernews.jp/s/topics/202103/010195/ )

11年経つと、もうすぐ大学入学予定だった人間がもうすぐ社会人8年目になるし、30歳は目前に迫っている。今回、印象に残っていることを書いてみて、毎年当時に思いを馳せているとはいえ記憶が薄れていっていることを痛感した。
もっと前にもっと詳しい記録を残しておくべきだったのかもしれないし、今記録できてよかったのかもしれない。どうすべきだったのかは正直分からない。

最後になってしまったが、東北の復興を願い、東日本大震災で犠牲になった全ての方に、合掌。

https://youtu.be/omC7WLMKOfo


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?