人生が、楽しい。

人生が、楽しい。
最近なんとなく思うことが多い。
平日は仕事をして週末は楽器を吹くか宝塚を観に行くかが中心の生活。演奏会の運営に関わることも無くなり、楽器演奏はまぁ言ってしまえば自分の譜面・演奏だけに集中して気楽に楽しんでいる。そして仕事はある程度落ち着いている。何かあっても相談できる。職場に変な人がいないこともあり、転職前に比べて格段に対人ストレスが少ない。
オンもオフもある程度余裕がある。

30歳くらいで死にたい。
9〜10歳くらいの頃からなんとなくずっと思っていた。(インターネットの匿名性を利用して割と赤裸々に書くと、この頃、両親は毎晩子どもを取り合う喧嘩をしていて最終的に離婚した。この喧嘩が今でも人生最大のトラウマなのだが、虐待に当たるらしいと知ったのはだいぶ大人になってからだ。まぁ知っただけで未だに何もしていないんだが)
「生きていなければいけない」という強迫観念で生きていて、生き延びていかなければならないのが本当にしんどくてしんどくて、人生が長くて長くて永くて、できることなら早く人生を終わらせてしまいたかった。不謹慎極まりないことこの上ないが、事故に遭わないか、火事でも地震でも起きないか、不治の病にかからないか、とずっと考えていた。わたしにとって人生は、生きていくことは罰ゲームだった。「〜しなければならない」だけで生きていて、小学生の頃の「あゆみ」や懇談で先生から「もう少し肩の力を抜いたらどうか」と何年も言われながらその本質的な意味を理解できず成長したわたしは、「レールを踏み外してはいけない、踏み外したら死ぬしかない」という強迫観念のもと高校受験・大学受験・就活をし、自分の為に頑張るということが出来ない、何をするにも面倒くささが一番に立つ社会人になってしまった。

環境問題(SDGsという概念、未だに大嫌いである)や少子高齢化やそのうち来ると言われている南海トラフ地震や社会保険やその他様々な面で日本の将来が明るくなさそうなことや、自分が家系的に絶対将来ガンになるであろうことなど、将来に対して全く希望がもてないのも早く死にたい一因だった。これは今でも変わらない(ので一人暮らしが成り立たなくなったらぽっくり死にたい)けれど。

いざ30歳になってみて、どこか吹っ切れたのか、自然と「あ、まだ生きてて良いんや」と思うようになり、「もう少し生きてみよう」と思えるようになった。
最近、練習も本番もすごく楽しかった演奏会があったこと、宝塚の「fff」や「リスト・フェレンツ〜魂の彷徨〜」で人生やインナーチャイルドについて考えたこと、「ちはやふる」最終回に心を震わせたこと、などが良かったのかもしれない。
5年以上一人暮らしをする中で自分の感情と向き合ってちゃんと考えてあげられるようになったのと、ひとりで生きていく為に、一人暮らしを持続させる為に、周囲へ相談して頼る方法を覚えられた(と実感できた)のが良かったのかもしれない。(わたしの20代の最大の功績はこの「周囲へ頼ることを覚えた」ことだ。今日も周りの皆さんのお陰で生きています)
特に周辺環境で何かが変わったわけでもないのだが、日常的に「めんどくせぇ〜」と思うことが減った。

30代も、楽器を吹いて観劇して働いて、生きてゆく。
ほどほどに、人生がんばろう。

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