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『スパイス』 第2章 渇望

 あれだけ煽っておきながら「時差ボケ」の一言で逃れるなど、魔性にもほどがある。一年半ぶりに再会して、少しくすぐっただけであんなに可愛い反応を見せられて、盛大に煽られたと思えば怖気づいて逃げられるこちらの身にもなって欲しい。腹いせにライリーをくすぐったら「その気持ちを向けるべきは私じゃないでしょう」と、たった一つだけある弱点に仕返しを食らった。私に対してはぐらのくせにここで喜ばないのがライリー・ブライアントであるが、かといって怒りもせず「たしかにあれは酷ね」と受け入れてくれる友人に感謝しながら過ごしたのだった。

 楓は一日寝たら回復したのか、「もう寝なくていいわ!」とこれまたとんでもない誘い方をしてきたファム・ファタルを迷わずベッドルームに連れて行く。
「この時を待っていたのよ」
「私だって」
「あなたがどれだけ弱かったか、思い出させてちょうだい」
「私は忘れたことなんてないわ。あなたにくすぐられてどれだけくすぐったかったか」
「手加減されててよく言うわ。昨日怖気づいて逃げたの、分かってるんだから」
「ちが―――」
 何が違うのよ。そう返す代わりに、座っている楓の両脇腹に指を埋め込む。楓はアッと声を上げてそのままパタンと後ろに倒れた。揺れる瞳は、興奮と焦りを映し出す。ジェシカはその隙に楓をベッドに組み敷いてマウントを取った。もう怖気づいても逃がさない。
 指先で脇をそっと撫でると、楓はピクッと一度大きく震え、きゅっと腕を縮めた。甲高い悲鳴を上げ、眉を歪めて苦渋を滲ませる。懐かしい反応。懐かしい悲鳴。懐かしい表情―――そう、この姿よ。
「本当に、少しも変わってないわね」
 あの時とまったく同じように、楓は弱いままだ。
「待って!待って!」
 手首を掴んで抵抗できないようにすると、途端にジタバタ暴れて喚き出す。力一杯力んだ肩は却って脇の窪みを美しく浮かび上がらせる。ゆっくりとその輪郭をなぞると、ひときわ大きな悲鳴が上がり、囚われた手にはさらに力が入った。が、じきにその力も微かになり、楓はただ呻きながら震えることしかできなくなった。
 うそ、こんなに弱かったかしら。
 楓の弱さを誰よりもよく知っているはずの自分が、その弱さを引き出した張本人である自分が、心底驚いてしまう。
 呼吸が荒くなってきたところで少しだけ休憩させ、今度は肋骨に親指を滑らせる。
「あっ!待って!あっ、あっ―――――!」
 楓は短く声を上げながらビクビクと痙攣し出す。半狂乱で取り乱す楓は、明らかに混乱している――何が「忘れたことがない」よ。記憶よりも鮮烈だったであろうその刺激をたっぷり与えてから、肋骨から首に手を移す。
 顎の下に手を入れて抵抗を防ぎ、できた空間で優しく指を動かす。楓はう、う、と高い声で呻いては顔を歪ませ、脚をバタつかせる。どこからか掴んで引き寄せた枕を両手でぎゅっと抱きしめ、必死に耐えようとしている―――何て耐え方するのよ。
 可愛くて仕方ないその姿をしばらく楽しんでから枕を取り上げ、腰骨にそっと触れる。
「っ――――!」
 楓ははっと息を呑んで目を大きく開かせた。細かく身体を震わせ、恐怖の表情で首を振る。
「ここが苦手だったことは、ちゃんと覚えているようね」
 手を動かそうとすると、
「待って―――!」
 楓が蒼白な顔で訴えた。
「待って……」
 その言葉にジェシカは手を止めた。楓はくすぐられると「いやだ」「やめて」「だめ」などとよく喚くが、「待って」はあまり出ない言葉だ。
「今日は『待って』が多いわね?」
「こ、心の準備をするから…」
「心の準備?」
「忘れてないつもりだった。あなたにくすぐられるのがどんな感じか。でも、忘れてた…こんなに―――こんなにくすぐったかったなんて」
「カエデ…」
「思い出したいの……だけど、思い出すのが怖いの」
 懸命に言葉を紡ぐ楓に、この上ない愛おしさが募った。久しぶりだからくすぐられたい。でも、久しぶりだからくすぐられるのが怖い。その狭間で苦しんでいるのだ。欲望に感度が追いつかず、自分のくすぐりの弱さに自分が振り回されている。何て不器用で、何て愛しい子―――。
「そんなに弱くて、よくくすぐられるのが好きでいられるわね」
 それはジェシカの最大の呆れであり、最大の賞賛だった。楓はしばらく言葉の意味を噛み締めていたようだが、やがて
「いいえ―――」
 遠慮がちな照れ笑いでこちらを見つめて言った。
「だからこそ、よ(That is why)」
 そう言ってもう一度笑った。
 あぁ、もう本当にあなたは。いつもは弱いことを認めないくせに、強がってばかりいるくせに、私に負けるはずなどないと盛大に煽ってくるくせに、ベッドの上では素直になり、ここぞとばかりに自分が弱いことを認めるばかりか、だからこそくすぐられるのが好きなのだと自ら言うなんて。そんなあなたに応える以外の選択肢は、私にはない。
 しかし恐怖を超えてまで翻弄したいとは思わない。ならばどうするか。少しずつ刺激を上げていって、いつの間にか超えている状態にする。
「分かったわ。大丈夫。少しずつ思い出しましょう。くすぐったいがどういうことか、もう一度教えてあげる。だからカエデ、自分の弱さを存分に感じるのよ、いいわね?」
 楓はジェシカをまっすぐに見て頷いた。その瞳に恐怖の色はなかった。



Next Episode…「日常」
仕事で数日家を空けるジェシカ。その間にライリーと楓の秘かな計画が動き出す。ぐり女性、ぐら女性、両刀女性。3人のくすぐりフェチ女性の日常。


これまでのお話

登場人物紹介

前作(ぐら目線)

前作(ぐり目線)

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