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challenge

こんにちは。それではもう本題に入ります(笑)
ここ最近、小説を2つ書きました。1年前に書いたお話の続編でもあるので、合計3つで一つのシリーズです。
ざっくりあらすじを説明すると、とある大学の管楽サークルのオーボエ奏者が、「呼吸トレーニング」との名目で指揮者の後輩にくすぐられるお話(m/f)です。このnoteは小説の内容を知らなくても読めると思いますが、ネタバレを含むので一応URLを貼っておきます。
書庫』『モジュレーション』『打ち上げ

このシリーズの執筆は私にとって、色んな意味で挑戦でした。この記事では、その挑戦について書いていきます。


①視覚的描写の封印

くすぐられた時の反応って色々ありますが、それを小説の一部として描写する時に私がよく使うのは、「声」「動き」「呼吸」です。他にも表情や体温などが挙げられますが、視覚的かそうでないかで分けると、「動き」は視覚的、「声」「呼吸」は聴覚的です。今回書いたお話は音楽が世界観のベースだったので、反応の描写もできるだけ聴覚的なものを使い、「動き」による描写は最低限に抑えました。
これが難しかった!これまで自分がどれだけ視覚的描写に頼ってきたかを実感しました。それがなぜって恐らく、反応の出やすい順(反応を我慢できない順)でいうと、〈動き、呼吸、声〉になるからだと思います。声帯を震わせなければ声は出ないし、咽を閉じれば呼吸は漏れない。けれどどんなに拘束されたとしても筋肉に力は入るから、身体の動きは制御しづらい。とりわけ脊髄反射であれば脳を経由しないので、制御どころではなくなる訳です。反応としてもっとも出やすい「動き」を書かないというのは、それだけハードルの高いものでした。


②非フェチの観点

このシリーズの主題の一つは、ズバリ「ぐら墜ち」です。つまりぐら墜ちするまで、主人公は非フェチな訳です。もちろん私は正真正銘のくすぐりフェチなので(笑)、非フェチの人の思考回路を書くのにそれはそれは苦労しました。
くすぐられる前はどのくらいビビる?くすぐられたら何て言う?どのくらいでギブアップする?などなど。次々浮かぶ疑問を解消するためにどうしたかというと、まぁ、頑張って想像しました(力技)。
もう一つ方法があったとすれば、私が比較的ピュアだった頃、つまりくすぐりが好きでもまだ「フェチ」のラベルがついていなかった頃を思い出しました。幼い頃にくすぐられた思い出や、当時見た印象的な夢。あの期間に経験した感覚や感情は、今思えばとても貴重でした。


③手段としてのくすぐり

これまでもいくつかくすぐり小説を書きましたが、その登場人物は全員くすぐりフェチでした。つまりくすぐること・くすぐられることは彼女たちの「目的」そのものである訳です。
けれどこのシリーズでの目的は呼吸トレーニング。くすぐりはあくまでも「手段」です。
ここにどんな違いが生まれるかというと、いじめる系の語彙が使えないんです!目的であれば、そのくすぐりにはサディスティックなニュアンスが含まれるので、「責め立てる」や「苛む」などの言葉を使うことができます。が、今回はただくすぐっているだけ。いじめているのではありません。なので使える語彙は「手を動かす」や「指が這う」などのニュートラルなものに限られました。
まぁ、ぐりキャラはSっぽく書きましたけどね(笑)


④ぐりを狼狽えさせるぐら

当たり前ですが、くすぐりはくすぐる人とくすぐられる人がいて初めて成り立つ行為です。お互いにくすぐり合ったりしない限り、そこには必然的に立場の違いが生まれます。主従関係、支配関係、呼び方は色々あるでしょうが、いずれにせよ力関係です。くすぐりフェチは、パワーバランスの差を含んだ関係であると言えます。
このパワーバランスの差をくすぐりだけに留めるのか、くすぐり以外においても維持するのかは、個人の嗜好によるのでしょう。
私の嗜好をいえば、パワーバランスの差はくすぐりだけに留めたいです。いや、たとえくすぐりの最中であっても、コミュニケーションは対等がいいと思っています。不均衡なのは「くすぐられている」行為そのものだけでいい。なぜなら、私の中で、くすぐりは対等な相手との信頼関係をベースに成り立つものだからです。対等な相手と敢えて不均衡な行為をするからこそ、性癖であるとも言えます。
それでは対等とはどういうことか。両者の間に常に「=」のマークが成り立つことでしょうか。もちろん、字義通りではそうでしょう。
別の解釈があるとすれば、多少のパワーバランスの行き来はあれど、総合的に見て対等だとお互いが思えている状態。これも対等と呼べるでしょう。私にとっては、その方が現実的です。(数学っぽくいえば、恒等式ではなく、方程式も含めた等式、というイメージでしょうか。)
何が言いたいかというと、ぐり・ぐらという関係であっても、一時的に不均衡な状態はあれど、そもそもの関係性は対等であり続けるということです。だからこそ、最後のシーンでは、コミュニケーションの主導権はぐらが握っています(そういえば小説の話をしていましたね)。

そう言う孝平に樹里の洞察が反応した。一連の孝平の態度を思い返し、もう一度辻褄を合わせる―――違う。
「必然でしょ?私のことが好きだったから、そんなこと思いついたんじゃないの?私のことをくすぐりたかったから、好きになるようにトレーニングしたんじゃないの?」
「ちょ、先輩、何を―――」
 孝平が樹里の前で初めて狼狽えている。当たりだ。
「ちょっとぐらい素直になってよ。そうなんでしょ?私がくすぐられるのが好きになって嬉しいんでしょう?」
 孝平は迷っている。答えに迷っているのではない。答えが何かなど、孝平も、そして樹里も分かっている。それを口に出すかどうか、孝平は迷っているのだ。
「答えて。答えてくれたらさっきの許してあげる」
 樹里は孝平を見つめる。もう少しで答えそうなのが分かった。

『打ち上げ』

尋問さながらにぐりを追い詰めるぐら、書いてて楽しかったです(笑) しかもこのぐらは元非フェチ。フェチ歴が浅いからこそ、長年のくすぐりフェチならば赤面してしまうような台詞をストレートに言えてしまう訳です。強いですね、ぐら堕ちしたての元非フェチ。
くすぐる側・くすぐられる側。トレーニングする側・される側。一時的な立場の違いはあれど、それ以外ではパワーバランスが行き来しつつ対等な関係でいる、そういう二人を書くことができていたなら幸いです。



読んでくださりありがとうございます。
初めてのnote、要領を得ないまま、けれど別に得なくても我流でやればよいではないかと、ひたすら書きたいことを書きました。感想やコメントなど、もし共有してくださる方がいたら、共有してもらえるとうれしいです!

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