サクラコサン 第9話
~桜子さんの作文~
"祖父"
2年B組 岡野桜子
母方の祖父を私はいつも"おじいちゃん"と呼んでいました。おじいちゃんは私のことをいつも"桜子さん"と呼んでくれました。
私が13歳の時、心臓発作で突然亡くなりました。亡くなるその日の朝までとても元気でした。 学校へ行く私を
「行ってらっしゃい!」と大きな声で手を振って見送ってくれました。
おじいちゃんは79歳で亡くなるまでずっと私を育ててくれました。両親は共稼ぎでしたから私が赤ちゃんの時から、おじいちゃんが面倒を見てくれていました 。
おじいちゃんはとても優しい人だったので両親がいなくて寂しいと感じたことはありませんでした。
特に土曜日は両親が疲れているのでおじいちゃんは気を遣って私を外へ連れ出してくれました。
「桜子さん!今日はどこへ行こうか?」ウキウキした声で聞き、私が行きたいところに連れて行ってくれました。でもどこへ行っても大抵帰りは決まって銀座に寄りました。
銀座はおじいちゃんにとって庭みたいなところだといつも言っていました。
お茶をしたり食事をしたりスケッチをしたりサイクリングをしたり・・・楽しい思い出が山のようにありますが、中でも楽しかったのは画廊巡りでした。特におじいちゃんの馴染みの画廊が一件あり そこへ行くと 大好きなスタッフのお姉さんがいました。私が行くとジュースやお菓子を出してくれ、楽しいお話をいっぱいしてくれました。映画の話しやファッションの話しなどです。
そこの画廊主さんとおじいちゃんは大親友だと言っていました。
画廊には様々な絵が掛かって展示されています。幼い時から素敵な絵画に親しんだお蔭で 私は絵を見るのも描くのも好きになりました。
おじいちゃんが亡き後も私は時々その画廊に足を運んでいます。今でも変わらずに優しく迎えてくれます。 そして何より嬉しいのはその画廊にいるとおじいちゃんの話題がたくさん聞けるのです。
画廊主さんは池部さんという名前ですが おじいちゃんの幼なじみですから おじいちゃんのことに関しては何もかも知っています。私が行くと紅茶とお菓子を囲んで 池部さんはおじいちゃんの若い頃のことをたくさん話してくれます。 おじいちゃんは関東大震災や第二次世界大戦を経験して大変な苦労をしたはずなのに 私には一度もその苦労話をしたことがありません。
誰よりも働いて頑張って生き抜いた人だと池部さんは言っています。
しかし私の目から見ると いつも少年のように好奇心が旺盛で 面白いこと大好き人間でした。冗談を言ってよくまわりを笑わせてくれました。
私もおじいちゃんのように我慢強く、働き者で そして優しく ユーモラスな人になりたいです。
おじいちゃん!ありがとう!
終わり
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