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40歳を目前に大阪から横浜へ

タイトルのまんまですが、今年の3月末に横浜に引っ越しました。

夫の転職。
ずっと転職したいって言っていたのにやっと行動に移したのは38歳。

息子はちょうど小学校進学のタイミング。保育園の卒園式を待っての引越しとなりました。

引っ越して変わったこと。

1番は私自身が職を失ったこと。
下の子はまだ1歳半。
職探しも保育園入所も一からになってしまったのです。

横浜という保活激戦区で、仕事もしていないのに保育園に入れる訳もなく。
でも働きたくても子どもがいるから働けない。

夫の給料は転職して下がったし。
前の会社のように福利厚生も手厚くない。
家賃は大阪よりもずっと高いのに住宅手当も出ない。

そして都会だからと車を手放して来たのに坂の多いこと、横浜市と言っても広く、越してきた所は昔ながらの土地って感じ。坂も多くて不便だった。

電動自転車は買ったけど、買い出しも限られた量しか出来ず、ほぼ毎日近くのスーパーへ通ってる。

民家も密集、道幅も狭い。
商業施設もない。
町の病院もクリニックもあるにはあるけどあんまり、、
結局信用出来ずに少し離れた人気のクリニックに行っている。

不便なところばかり目がいってしまって、本当はもっといい所や越してきて良かったこともあるはずなんだけど。

引越しして最初の難関。
子どもの預け先。
仕事するなら預けるが先。

どう考えても、預けられない→働けない→保育園入所申請の点数が上がらない→入園できないのループから出られない。

そうして色々足掻いた先、引越しから半年後の今、子どもは一時保育で週2勤務をしています。

その経緯はまた次回の記事にしたいと思います。

何はともあれ、保活も職場探しも運、縁、タイミング。
行動しなければ始まらない。
どちらも大阪の時よりも条件は厳しかった。
それでも細々続けていればきっとどこかで何か糸口が見つかるはず。

私はこれからも保育園入所とフルタイム勤務を目指して動いていく。


パートナーの転職や転勤。

やる前はついて行くのが当たり前って思っていたけど、土地が違えばこんなに苦労するのか、日々の買い物ひとつも満足にできない。

毎月の赤字に脅かされながらも何も出来ないジレンマ。

そんなことを思いつつも単身赴任も大変だった。
これから大切な思春期を迎える子どもたちのためにも、家族が離れて暮らすのは避けたかった。

そう、引っ越しても変わらないのは人の優しさ。
都会でも優しい人は沢山いる。

日々の安定を求める一方で、こういう大きなイベントは人生のいい刺激になる。

全く知らない地で自分で道を切り開いていく。
それをもう少し若くてやりたかったなぁとも思うけど。


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