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『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』聖女と神秘と超異端【読書】

今回の読書 『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』著・竹下節子

(読書感想文を書いている人、歴史にはとてつもなく疎いほうでございます…精進してまいりますので、おかしなことを言っておりましたらそっと教えてくださいませ…。
(また、FGOのジャンヌ&ジャンヌオルタのお話もございます。当方オルタは所持しておりますがその他ジャンヌは未所持ですので、わかってないところもあるかもしれません…すみませぬ)
 ジャンヌ・ダルク、救国の聖女、オルレアンの乙女、数々の名で愛される彼女。フランスの顔としても知られ、愛され、国民の心に宿る彼女の存在を、『超異端』として政治的、宗教的、歴史的に迫る1冊です。神の声を聞いて一念発起したうら若き乙女、ジャンヌ。戦犯ではなく宗教的異端者として火刑に処されたジャンヌ・ダルクは、その後政治的な意図を持ったかもしれない復権をし、聖人となり、国の象徴として掲げられていきます。
政治と宗教が分離したフランスでその『聖女』ジャンヌが今も国のシンボルとなりつづける謎に、注目されたのはその神秘性と神話性でした。フランスとイギリスの戦いに、宗教的意味付けをしたとも言える彼女の聞いた『声』。『声』の存在が彼女に神秘的なイメージを加え、その歴史を神話的にしています。時代を経るにつれ、神話の人物を現実の人物に置き換えることが増える中、ジャンヌはその逆と言っていい道をたどっています。政治的な意味ももつジャンヌが、なぜ?また、彼女の背負うシンボルの多さにも言及されています。『神秘家、名誉復権の聖女、処女、戦士、男装のアンドロギュノス』…と、その多さと濃さには驚かされます。
ここで強調されるのは、その『超異端』さ。そして『超異端』ならではの神秘性…。彼女の男装がもたらした中性性、彼女以前の聖女の逸話や社会情勢によって、いかに彼女の一見突飛な行動が受け入れられたか、そして『聖女』としてのジャンヌがいかにして完成されたか…。宗教及び政治的観点や、聖女のイメージ、そしてジャンヌ以前の共通項をもつ聖女等をくわしく語ることで、彼女がいかに「できあがった」かが見えてきます。
ジャンヌ・ダルクの歴史を知りたいと言うよりは、その歴史と行動がどう受け取られ、どう人々に解釈され、現在に至るのか…といった事に興味がある方におすすめです。やはり世界史を大まかに知っていると違う面白さがあるのだろうな、と思ったので私は勉強してからまた読み返します。

🕊🕊読書感想文&思索🕊🕊
フランスでのジャンヌの演劇が、「村の少女が神のお告げを受ける、という神秘的なシーンが多い」「その後の、火刑に処される前の裁判をテーマにしたものが多い」という事に、現代日本で生活する私はびっくりしました。ジャンヌといえば旗を持って戦う、剣で戦う、どのソーシャルゲームでも神の名の元に戦う…場合によっては神に盲信的な描かれ方をされているイメージが大変強かったからです。その戦闘シーンが史実にどれだけ準拠しているかは別としても、「戦い」のイメージは強いのではないかという偏見がありました。事実戦うというインパクトは強いのだろうとは思いますが、神秘性に着目された彼女という背景を知るとなるほど、その前後も強いインパクトがあります。無宗教が大多数を占める日本ならではの感覚なのでしょうか…?
ジャンヌの最期に関する処遇は、宗教的にはマイナスでも、神秘性ではプラスに働いた、というのも面白いなぁ!!と叫び出さん限りでした。マイナスだったが「むしろ」それがいい、それがより強固な神秘性を持つ、しかも時代的にはタブーとそうじゃないものの間だったから問題ない…と考えると、とても微妙な天の采配で成り立っているんですね。これは確かに彼女が神に祝福された乙女と考えるのは無理もないと思いました。逆に、神に翻弄された…というイメージも深く刻まれるので、どちらに転んでも彼女から神を感じるということに。どちらもが彼女の側面かもしれません。
女性が中世で広範囲の影響力を持った理由が、「明確な地位がなかった、男性に完全には抑圧されていなかった、レッテルがなかった」ということが、大変印象に残りました。男性は分類されるハコが見えていた、女性にはそれがなかった故の、型破りやすさとでも言うのでしょうか…。政治的な責任の軽い立場であったということも自由度を助長したのかもしれません。ここら辺、世界史をもっと詳しく見ておけばよかった…。
ハコ、で少し考えが他まで伸びたのですが。FGOのジャンヌオルタは、ある意味本家ジャンヌよりも自らの立ち位置に悩んでいる気がします。たしかオルタはジルの考えた「処刑されたジャンヌはこう(恨む気持ちがある状態)であってほしい」という姿だという話がありました。このジルもまた、男性のあるべき像というハコから自らの収まる位置を探した年代の男性であるならば、そのジルの想像によるオルタもハコから逃れられないということもあるような気がしてきました…。このハコやレッテル問題、青年期のアイデンティティの確立の話ととても通じるところがある気がするのです。ジャンヌというハコがあっての自分(オルタ)ということで、オルタがより「ハコから逃れたい、オリジナリティがほしい」といった青年期の悩みに寄り添った姿になっているような気もします。

本当に想像を超えて妄想の域ですが、FGOにおけるオルタの話もしたいのです。これは作品におけるジャンヌの「側面」の書き方としても。FGOにおけるオルタは、先に書いた通りジルによる産物でした。このジルについても本著には触れられているのですが、彼は彼女の『中性性』に惹かれ、そして本来の彼の信心深さにも結び付けられ、熱狂的に応援するようになったとされています。ジルは芸術を好むともされ、もしかしてこの芸術に熱を傾けたことで有名だったジルの性質はオルタのルルハワでの同人への理解と情熱とかかっていたら面白いなぁと思ったり。ジルは信心深かったため、ジャンヌの処刑には大変ショックを受けたと言います。実はジャンヌ以前に、「復讐の女神」と呼ばれた女性がおり、この本でも触れているのですが、彼女の名もまたジャンヌでした。復讐のジャンヌの方は、聖処女でもなく海賊でしたが、オルタとおなじ「復讐」と冠されている所にどこか共通項がないか…と勘ぐってしまいます。ジャンヌの処刑にショックをうけたジルが、この「復讐のジャンヌ」を記憶に呼び覚ましたとしても不思議ではないな…と。復讐のジャンヌは同じ百年戦争の時代の方ですし、彼女を模した芸術もあったでしょうから、ジルが知らないこともないかな…あくまでFGO軸の妄想なので、事実とは関係がありません。

宗教と神秘と超異端、そして政治と時の運、多くの要素が絡まった彼女だからこそ、多様な人のいる現代でもいろいろな側面から彼女に憧れ彼女の伝説を愛する人がいます。私もその1人で、まだ全てを読み切ることは出来ていないけれど、今も色んな所で象徴され、愛され、戦うジャンヌに憧れるのだと思います。

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