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追悼・すいすいかめへ

 ミシシッピアカミミガメ。
 今や有害な帰化外来種として有名になっている。
 だが私とすいすいかめが出会った21年前には、この問題はほとんど知名度がなかった。

「ああそれ、もういらないから、その辺の川に捨てようと思って。」
 当時12歳の女児にそう言ってのけたのは、毒父を育てた毒祖母であった。
 花台だったかテレビ台だったかの下で私が発見した昆虫用のプラケースの中には、入れ物の半分ぐらいのサイズの石と、半分ぐらいのサイズの亀が入っていた。水槽に隙間がどこにもない。
「なんか最初はもう1匹いたんだけど、すぐ死んじゃったんだよね」
「冬?知らない、勝手に冬眠してんじゃない?」
「環境保護とかはわかんない、動物にそんなに興味ないし、もう要らないんだもの」

 いわゆる「生き物キッズ」だった私が、この老婆が大嫌いであったことは言うまでも無い。7歳のオスのミドリガメの甲羅は12歳の女児が片手で上から掴めるほどしかなかった。
 私が亀を引き取る、と言うと、急に老婆は「あなたにあげる」と言い換え始めた。つくづく嫌な老人だった。

 当時の私には亀の飼育経験はなかった。ただ、「生き物キッズ」だったので自分の知識にだけ妙に自信があった。爬虫類は変温動物で、冬は冬眠か加温で越さなければならない。人間の食べ物を与えてはいけない。爬虫類は懐かないのであまり触ってはいけない。

 生き物を飼育して最初にわかることは、「生き物の飼育は知識だけではわからない」ということである。
 懐かないと思われた亀は、その日のうちに自分が「かめ」であることを認識した。そしてその日のうちに呼ぶと来るようになった。2週間もすると、膝の上にも乗った。可愛かった。

 21年間、亀には、あまり良い飼い主ではなかったと思う。それというのも、すいすいかめを家族にした時、私は自分の父親がDV夫にして児童虐待者であることに気づいておらず、「機能不全家庭」と言う言葉を知るにも幼すぎた。
 我が家で30年続いていた家庭崩壊はコロナ到来でついにピークに達し、私と母は精神疾患に罹患して入院し、すったもんだの末に、ついにくだらない祖母に似たしょうもない父親を、家から追い出した。
 精神疾患患者のペット飼育が崩壊するのはよくある話ではある。悔しいが、それがそのまま我が家に起きた。特にコロナのここ数年は、適切な飼育がされていたとは言い難い。老年期のすいすいかめを家庭崩壊に巻き込んでしまった。ペットには飼い主しかいないのに。本当に申し訳ないことをした。
 
 それでも、すいすいかめは、母に射精しただけの男に比べたら、ずっと家族だった。
 呼ぶとシェルターから出てくるのが面白いので用事がないのに何度も呼んだ。亀も飽きずに何度でも出てきた。可愛かった。
 亀はいつもすいすい泳いでいた。
 飼い主が中学で不登校した時も、父親に殴られた時も、大学で留年した時も、発達障害の診断が出た時も、就活で爆死した時も、同居人のによちゃん(名古屋コーチン男性、享年9歳)が亡くなったときも、精神科から退院したときも。

「かめちゃん」

 かめはすいすいしています。
 ガラスの水槽ごしに、私に向かって。
 亡くなる前日も健康チェックに彼を呼んだ。彼はあまり「すいすい」ではない泳ぎ方で、こちらへ来た。これがすいすいかめの最後のすいすいになった。

 生き物の飼育には責任が伴う。
 飼育動物は終生飼育しなければいけない。
 私は自分がすいすいかめを遺して死んでしまわないか、いつも不安だった。
 すいすいかめを遺して死んではいけない。
 人生暗く陰惨で救いがなく、大抵の場合生きるには値しない。
 それでもなお、すいすいかめを遺して死んではいけない。
 
 義務感は時に、死ぬ理由に勝る。
 そうして12歳のあの日から、21年がたち、すいすいかめは、私を此岸に残して、向こう側へと泳いで行った。

 私は、飼育放棄を許せなかった正義感の強いいつかの少女を、裏切らないで済んだ。
 本当はすこしだけ、ついていきたい気持ちもあるけど、私はカナヅチだから、アカミミガメが泳ぐ速さにはとても追いつけないだろう。
 やむを得ず、すいすいかめが去っていくのをただ見送ることにする。

 君のいない世界で、やっていけるかどうか不安です。
 だけど、君が生かしてくれたので、できるだけ長く、君のように何か愛らしくてかわいいものを探してみようと思います。
 できれば、緑色で。
 できれば、甲羅があって。
 できれば、泳ぎが上手で。
 できれば、呼ぶとこちらに来るものを。

飼い主より


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