はまさんへの手紙

この手紙はいったい、はまさんに、送ったのかな。
下書きだけだったのかな。
こんな長いの、送らないか…。
2007年ごろのだと思う。
今、メモを探してて見つけた。


はまさん。メールありがとう。
体調も良くなって、返信書くぞと
おもったら、やっぱり書けなかった。
この間はほんとうにいっしょに過ごせたこと
うれしかったし、
くだらないことを書きそうで恥ずかしいです。

このまえ、行きしの高速バスの中で、ギターに、「うたえるだけでうれしかったのに、この頃苦しかったのは、感謝を忘れとったからなんじゃね」と話しかけたら、「それ自分だけじゃろ」と言われました。
ほんとだ、と笑ってしまった。

ゆきちゃんにも、
ものすごくいいライブで、
虫とかも鳴いて参加してくれとったし
キャンプでたき火をしとるような気持ちになった、と言ってもらいました。

わたしは、苦しくも楽しくも何もなくて、
ぼやーっとして演奏していたので、
なにもわかりませんでした。
あとで聞いて、やっぱりうたっているのは
わたしじゃないんだなあと思いました。
あの場にいたひとたちがうたっていたんですね。

時々、演奏中に、寂しくてつらくてどうにもならないときがあります。
ギターに、どうしたらいいか聞くと
「なにもするな」と言われます。
でも、なにかをしようとしてしまいます。
この間のときは、「われながらひどいなあ」と笑いが出るような、音程もとれないし、ギターも思うように弾けないし、ほんの時々、
ひどいなあ、いいのかなあとギターを
見たら、ギターは黙っていて、
そうだ、「なにもするな」じゃもんね、これでいいんよね、と
思いました。

また感謝を忘れて、苦しんだり、人のせいにしたり、なにをしているのかわからなくなったりの連続なのかもしれません。
でも、いい日も悪い日も、振り返らずに、
できる努力を、自分のペースで
していきたいです。


たのしいことがあったり、嫌なことがあったりするのは、
車の車輪がまわるみたいに、
どっちもあるから、まわるのかもしれないなあと思いました。

このまえ、南正人さんの本を読んだら、
つらいことがあるから喜びを感じられるんだよって
書いてありました。
だからいいことだって。
両方があるのが当たり前で、
幸せだけが単独で存在することはないって。

それがどんどん行ったら、その先は、
これが幸とか不幸とかも感じないような
自分も他人もない、一体化した世界なんだって。
木や草の世界は、そんなところなのかも、
だからホッとして呼吸ができたり、
やさしいのかな。

はまさんの言葉は、木や花が
話してくれることと、とてもよく似ています。
何回も思い出して、たすけてもらいます。

枯れてもまた生えてくる、

そう言えば、いつか、同じようなことを
いつも通る道の、花が言っていました。
その花は、明るいオレンジ色で、かたちはコスモスみたいな花です。

前に、通りがかった時、その花に、
「あんたらよりは強いけえ、大丈夫よ」と言われて、
そうか、、また咲くもんね、と答えたら、
「本当は、あんたらも同じなんよ」と
花は言いました。

人間も、生き変わり死に変わりして、
直接のつながりがないようでも、
いつか人間全部が滅びても、そのとき
ほかの生きものが生きるのは、
わたしたちが枯れてもまた咲くのと
同じなんだよ、というようなことを、
たぶん・・


昨年、ちょうど1年前の「風の祭り」のとき、
瞑想の時間みたいなのをやっていて、
なんのきなし参加したとき、目をつむっていたら、とてもふしぎな映像を見ました。

宇宙の真っ暗いところで、地球があって、
観音さまのような大きい人がすわっていて、
それから、丸い大きなわっかが見えて、

わっかには、一部分、短いゴムホースみたいなところがあるのが見えて、そのゴムホースの部分に、びゅん!と、光みたいなものが通りすぎました。
そしたら突然、これが「人間の一生」、って、

言葉じゃなくて映像なんだけど、どうしてか
理解できました。

エネルギーが一瞬、とおりすぎるのが
「命」って、
だから、2秒も、50年も、100年も、
ちょっとの誤差に過ぎないって。

それじゃあ「私」ってなんなんですか
と、その映像に聞いてみました。
エネルギーが私なのか、
ゴムホースが私なのか、それとも、なんにもないのかとか、
たぶん、そんなことを思いました。

そしたら、その答えを、
そのときだけ文字で、「神」って出て、
「神=私」という字が見えました。
どういうことなのか理解できませんでした。

そしたらまた映像になって、
木も、山も、動物も、好きな人も、嫌いな人も、
「=私」って、
イコールわたし。同一人物。と言われました。
なんだかとてもびっくりした。

今度は、
さっきまで実際に眺めていた山が見えて、
その山はすごく遠くにあるのに、手を伸ばしたらひょいっとさわれて、
かどっこを、ぽくっとちぎったり出来ました。

山も、木も、あの人も、あの人も、
「私の一部」、
憧れたり、届かないような気持ちで見ていたひとも、私の一部、
嫌いだと思うあの人も、私と同一人物
って、

とてもふしぎで、
もちろん理解とかまでいかなかったけど、
なぜか、すーっとする気持ちになりました。

それから、最後に、「ほろびるもの」と言って生き物の死骸が見えて、
目のとこが空洞で、
さみしい、なにもない世界、こわいような映像でした。

それは、肉体は滅びます、という意味じゃなくて、「ほろびるもの」とは、
自分のために発する表面的の言葉?とか、策謀とか、そんなのを、ほろびるものって、その映像は言っていました。

カサカサになって消えていく、
嘘とかは、うまく行っても何も残らないというか・・・
まったく説教っぽくなかったけど、
それを見ました。

そのへんで終わって、目をあけて、
ふしぎな気持ちで、心に残っています。

映像だから、人に説明できないし、
いまだに言葉におきかえることができないけど、そのまま、はまさんにも
お伝えしておきます。

なぜか、この前お会いしてから、
いま思ったことを、そのまま伝えるのは
大事な気がしました。

いつも、はまさんに助けがあって、
苦しいことがあっても、また笑えますように。

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