見出し画像

写真に写るという趣味について。

普通、プロに写真を撮ってもらう経験なんて、大人になればそうそう無いと思う。あっても、成人式、卒業式など、何かの節目の時が多いだろう。また、「写真が趣味です」といった場合の多くは、撮る側であることを自然に、無意識に想定されるだろう。しかし、今年はじめたわたしの趣味は、ほとんど日常的に、プロアマチュアの写真家の写真に「写」り、「誰かの作品になる」側での「写真」だ。

ちまたでは、こういうプロアマの写真家の写真に積極的に写る活動をしている人のことを「被写体」というらしい。わたしも写真家の人によく「いつから被写体を始めたのですか」「被写体を始めたきっかけは」などと聞かれてきた。写真を撮る側からすば、わたしは「被写体」なのだと不思議に感じていた。

自分の中でぴんとこない理由は、わたしは自分から依頼して撮ってもらうことを原則にしているからだと思う。「被写体」といわれる活動をがんばっている子たちは、撮る側から報酬をもらう(いわゆる有償撮影)が普通だし、彼女らの多くはより被写体として活躍することや、モデルのような道を目指しているように感じる。しかしわたしは、仕事の関係もあって報酬はもらえないし、被写体もモデルも目指していない。目指しているなにかがあるとすれば、よりよく写りたいということだけ。また、こんなど素人にも撮影依頼をする希有な方もいるが、能動的に、「この人にとってもらいたい」という人に時間を割きたいという思いがある。なぜならば、趣味なので。

そもそも、写ることを始めたきっかけは、写真が好きだったからだ。だけど、全然うまくなれなかった。そんなとき、すごく女の子を魅力的に撮る写真家の方が、有償で誰でも撮りますよ!という企画をしていた。それに応募して、撮って頂いた時間と作品が、あまりにもすてきで、自分じゃないみたいで、すごい自信になって、めちゃくちゃ楽しくて、撮影までにもっとかわいくなりないと思ってワクワク行動した時間までも含めて楽しくて、もっといろんな人が撮るわたしを見てみたい!と思ったことが、写ることを始めたきっかけだ。

また、ボディメイクを継続する上でのモチベとなることも目的の大きな一つだった。

写ることは、わたしに様々な変化を与えた。運動嫌いなわたしがジム通いをする大きな手助けとなっただけでなく、生活する上での新しい視点を与えてくれた。たとえば、以下。

・光のちがいを意識するようになった。(夏の光、冬の光、朝の光、夕方の光)木漏れ日がきれいな場所。

・日常的にすてきな場所を見つけることを意識するようになった。

・写真写りが良くなった。(やはり、たくさんいろいろな人にとってもらうと、自分の写りのいい顔の角度や表情をよく知ることができる。写真は撮る側だけでなく撮られる側のスキルも重要だと知った)

すてきな自分を知れて、ボディメイクのモチベにもなる。お気に入りのお洋服やアクセサリー、思い入れのある場所で撮れば、大切な思い出になる。写真を撮ってもらうまでの、「なにを着ていこう?」「どんなメイクでいこう?」と考える時間も楽しいし、「撮影までにおなかもう少しぺったんこにするぞ!」というトレーニングのモチベにもなる。写真を撮ってもらう時間は、カメラマンがみつける光のきれいな場所に、いつも「え、ここってこんなすてきな場所だったんだ!」と新たで意外な視点に驚きの連続だし、「かわいい」「いい表情」など褒めてもらえてhappyな気分になる。撮ってもらった写真が届くまでの時間もワクワクするし、写真が届いた後も、どんな作品に昇華しよう?と考えたり、フォトブックを作る作業も楽しい。写真を彼や友人、家族に褒めてもらうのも、うれしい。

先日、わたしが大学院生時代を過ごした大好きな町・大学・喫茶店で撮ってもらった写真をまとめたフォトブックを彼に見せたら、彼がページをめくりながらしみじみと「すごくいい趣味だ」とぼそっとつぶやいていたのが、強くこころに残っている。メジャーな趣味ではないけれど、自己満足の頂点のような趣味だけど、とても満足している。だって、すてきな自分にたくさん会えるのだから。来年も、すてきな写真家さんと、すてきで心に残る作品をたくさん作って、もっと自分を発見して、好きになっていきたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?