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小林賢太郎ロス

いまだに私は賢太郎さんがパフォーマーを引退されたことに喪失感を抱えている。
これは胸のどこかでずっと塊となって私の一部と化している。
ことあるごとに賢太郎さんの姿を思い出してはメソメソし始めるので、こんなに物事に執着のない私が?と自分に驚いてしまう。

思い出し方が身内の死去にともなうそれに似ている。
生前の姿を思い出しては懐かしむ。
あのときあんなだったよね、ここでこんな事してたよね。なんて。
大好きだったおばあちゃんより賢太郎さんを思い出してはメソメソしている。
いや、賢太郎さんはご存命だ。それは知ってる。
ラーメンズもカジャラもKKPもYou Tubeでいくらでも観られるけど、観れば『あのときあの席から観たな』とか『当日券並んで並んだっけ』とかそういう思い出までが蘇る。

賢太郎さんのかけらを観るのが非常につらい。
私は彼の才能をビジュアルをあの声を思考回路を、彼の全てを愛している。天才だと思って崇拝している。

だからシアターコントロニカ『回廊』はオープニングは賢太郎さんの姿と声で脳内再生だったし、『そば』のくだりは『千葉!滋賀!佐賀!』的に賢太郎さんの姿を探した。
賢太郎さんだったらどの役だったかな、っておもいながらずっと観ていた。
仁さんも召喚しながら。
私はただのただのやべーやつだ。

レンタルビデオ屋でアルバイトしていた弟が『これヤバいから』と魅せてくれた『椿』のビデオ。
日本語アメリカン。最高だった。
そこからは劇場へ。どんどんラーメンズ沼にハマっていった。そしてぬけだせないままコンビの活動はなくなり、賢太郎さんの動く姿まで観られなくなった。
私は今も沼からぬけだせないままいる。
もしかしたらハマっていると思っていた沼は既に干上がり、ドロだらけになった私は乾いたドロを払い落とせないまま生きてるのかもしれない。
きっとそのドロを身体の中に取り込んだのだろう。だからいつまでも賢太郎さんの姿を探してメソメソしているのだ。
今を生きている賢太郎さんの姿を見たい。
そして声を出して泣けたらいいのに。

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