母を肩書と捉える違和感についての考察
「母」って肩書なのか?と常々疑問に思っている。先日、子どもをお持ちでない女性ライターが「私が子どもが欲しいと思っていたのは母という肩書がほしかっただけだった」みたいなことを書いている記事を読んだ(ごめん、ひょっとしたら肩書って言葉じゃなかったかもしれない。書いてて自信がなくなってきた。でもこの文章はこのまま行こうと思う。)
最初に浮かんだ感想は「母って肩書なの?」だった。肩書なのだとしたら、一体誰に対しての?その役割の対象って我が子だけでは?我が子に対して「母 〇田〇子」って書いた名刺を渡したことある人はさすがにいないと思うんだが、私のイメージしてる肩書ってそういうものなので、「母という肩書」って何だろう…と思ってしまったのです。
ようするに、肩書=他者から見て明確な役割ってことなのかな。でも、でもです。ならなおさら、母を肩書(役割)とは思いたくないんですよね、私は。いろんな母がいるからさ。仕事してる母もいれば、外での仕事はしていないけど家のことを完璧に管理運営している母もいる。役割の中身自体があいまいだと思うんです。それに、子どもがいるからといって、「何」を優先するかはその人と家族や子を含むその人の周りの人たちの間で決めていくことなんじゃないかなと思って。「仕事する母ちゃんかっこいい、すき!」という子もいれば、「仕事なんかしないで。もっと僕と遊んで」という子もいるし、子だけじゃなくて伴侶の意見もあるだろうし、もちろん本人が大事にしたいことだってあるわけで。ここまでの文章すべて、母を父に置き換えても問題なし。
いや、もう率直に言うと、こちとら「母」を理由にするつもりないんだってことが言いたいだけなんだ。それなのに、母ではない人から「母」を理由にリミットを付けたりなんだりされるのって、ハチャメチャにストレス。「それってあなたの脳内母ですよね?」って言いたくなる。「私の子」にとっての「母」の役割は、「私の子」の意見を最大限優先させていただきます。
おねがいだから、母=子どもがいる女性って以外の意味を期待しない出遅れ。それ以下でも以上でもないんだよ。それ以外の意味は、十人十色なんだよ。
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