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志望校未達・不本意進学したものたちへ(未完)

志望校未達・不本意進学したものたちへ

正しくは,志望校未達・不本意進学した(こんなページに辿り着くほど,進路に迷った)ものたち


挨拶


みなさまご入学おめでとうございます。

志望校に受からなかった皆様へ,僭越ながら不本意進学者の先輩である私から,皆様の前途に多少なりともいい影響を与えるべく,私の体験談と後悔をここに記します。

経緯

私は3年前,第一志望校に落ちました。合格発表を見たときは,あまり落ち込みませんでした。試験後にその手応えのなさからなんとなく結果を察していたからです。その後,後期日程にて地方国立に合格し,現在在学中です。

本題

さて,冒頭ではえらく大風呂敷を広げましたが,別に文才もなくモチベーションも高くないので,手短に話していきます。

疲れて途中適当になっちゃったよ。話半分に聞いてね。

私は,大学入学時こそ無自覚でしたが,仮面浪人している友人との出会いもあり,徐々に在学中の大学への不満足感を感じ始めました。いわゆる「学歴コンプ」というやつです。

コンプ発症→仮面浪人→センター試験未受験(仮面浪人終了)

という感じです。

さて,

学歴コンプなんか捨てろ,仮面浪人なんてするな,自分の環境を受け入れろ,その場所でできることをしろ。

何度も私の頭にはこの言葉たちが私を攻め立ててきました。結果的に見ても,これらはまさしく「正論」であり,それができることならそうすべきだと思います。ですが,なかなか踏ん切りをつけられない人がいます。例えば僕です。

そういう人は,いつまでも負い目を感じることになります。進学した大学に,大学でできた友人に,合格を喜んでくれた親に,努力が実らなかったあの日の自分に。

だから,僕は死んだ顔をして生活したのですが,最近気づいたことがあります。

結局これはいわゆる,見渡せばどこにでもあるような一種の「欲求不満」です。

欲求不満とは,理想と現実がずれているときに生じるものです。ですから,みなさんが「欲求不満」に陥るのは当然のことです。学歴コンプを蔑む人がいますが,私はコンプを抱くのは自然なことだと思います。目標に向かって頑張ったからこそ抱けるものです。ただ,それを引きずっている人が美しくないのも事実です。

私は先程述べたように「学歴コンプを捨てろ」なんて言いません。ただ薄れていきます。

私が大学で鬱屈していたのは,理想を高く設定していたからだと気づきました。

不本意進学者は「大学で見返してやろう」とか,「大学院で別の大学院に行くんだ」とか,色々息巻いてしまいます。それは一向に構わないんですが(いや本当に),一つ忘れてほしくないことがあるんです。

もしあなたが,『第一志望校』に受かっていたらそんなこと考えていたでしょうか。

ただ,大学生活を満足に過ごそうとだけ考えるのではないでしょうか。
そこが重要だと思います。

つまりこういうことです。あなたは,…….(未完)




なんだか面倒くさくなってきました。
とりあえず言いたいのは,まずは入った大学に骨を埋める覚悟で生きてみたらいいのではないかということです。

もし,進路を変えたいと思ったら逃げればいいです。

そして,本気で進路を変えたいと願うなら,すべてを捧げる覚悟で仮面なり,休学なりして,すべての神経をそちらに向けるべきです。僕のように中途半端に仮面してセンター試験も受けずになぁなぁになってしまうことは避けるべきですね。


なんにしても,自分の力を信じて過信せず,でも信じて頑張ってほしいと思います。


僕は大学受験も,大学生活もおよそ失敗ばかりでしたが,どんな経験も糧になると信じてます。回り道も悪いことばかりじゃないです。

けど,しなくていい回り道もあるのではないかと思い,筆をとってみました。

皆さんの今後に少しでも参考になれば嬉しいです。


最後に一言
この度はおめでとうございました。




蛇足:理想と現実とは
第一志望に受かれば理想です。受からない自分は何なんでしょう。どうして理想を求めてしまうのでしょう。理想の大学に行ったところで理想の人生が送れるとは限らない。そもそも人生に理想なんてないし,理想はたいてい叶わない。なら,この努力も必要ない。けどこの現実に嫌気が差す時がある。自分はもっとできたはずなのに,もっといい大学に入れたのに。人生そんなものだと大人が言い,段々自分もそれに染まっていく。それが嫌になる。

怖い。

理想から離れてしまうのが怖い。現実に慣れるのが怖い。現実を変えられそうもなくて怖い。正解が分からなくて怖い。

だから,立ち止まる日もある。
だけど,何度でも踏み出せる。
今日までそうしてきたように。



以上


もし良ければ、お金をください。