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自立するということ

私はカウンセリングという仕事をしているが、この仕事はやればやるほど奥深い仕事であると思う。

カウンセリングでは、相談者によってさまざまなテーマが話されるのだか、なかでも「自立」と「依存」は多くのテーマに通ずるところがあると感じている。

ことばで捉えられることはあまりにも少なすぎて、伝えたいことの多くは伝わらず、

くわえて、表現力の頼りなさが気がかりだが、今回はその「自立」と「依存」について書いてみたいと思う。


一般に、自立の反対は依存だと考えられがちである。

「自立してますね」
そう言われると、多くの人はうれしい気持ちがするのではないだろうか。
それだけでなく、褒められた、認められたような感覚になることさえある。

このような感覚を得るのは、社会が人々に「自立」を望み、「自立」をよい状態と見なすきらいがあるからではないかと思う。

ゆえに、「自立」は人々を惹きつける。
惹きつけられた人々は「なんでも自分でできないといけない」「人に迷惑をかけてはいけない」と

一人で物事を物事を解決できる自分になることを目指す。


確かに自立は大事だ。

一人でできることが増えることは喜びを生むし、人からのサポートを減らすことができれば、誰かの手を煩わすことは少なく、表面的には心地よいコミュニケーションを交わすことができる。

しかし、私は、現代社会があまりに自立を急かし、自立の状態にのみ重きを置いているのではないかと思う。

そして、そのような風潮のなかで形づくられた「自立」は、果たして本質的な自立なのだろうかと、問いかけたい気持ちが生じてくる。


「依存してますね」
そう言われても、多くの人は肯定的な気持ちになりにくい。
これは、社会が「依存」を嫌いやすく、望ましくない状態として見なすきらいがあるのではないかと思う。

「自立」と「依存」。
やはり両者は相対するもののように見える。

一方、日本にカウンセリングを広めた第一人者である河合隼雄は、自立について次のように述べている。

“自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか”

このように、実際には、両者にはつながりがあり、「支え合っている」のではないかと思う。

そこには“「依存」が十分になされたのち、「自立」が得られる”というプロセスが隠されている。

私たちはそれを見落としがちである。

誰もがみな、一人で生きていくことはできない。
他者や環境に支えられて毎日を生きていける。
「依存」がない日は一日としてないと思う。

それにも関わらず、私たちは「自分だけの力で」なんとかしようとこころを擦り減らしがちであるし、自立を意識するあまり「周囲に支えられていること」に目を向けられない。

目を向けられなければ、感謝することも叶わない。

「依存」や「感謝」を遠ざけて得た「自立」は、不安定で、寂しく、虚しいものとなるのではないかと思う。

現代人は「自立」にのみこころを奪われ、「依存」や「感謝」を遠ざけてはいないだろうか。

依存に要する時間や、そこで交わされる感情的なやりとりを受けいれる懐の深さを、私たちは備えているだろうか。

「自立」について考えるとき、それが「依存」によって支えられていることを、こころに留められる人でありたいと思う。

引用文献 河合隼雄(1992),『こころの処方箋』,新潮文庫.

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