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まだ見ぬ景色を、俺は見たい

通訳案内士! 
難しいとは聞いていたが、勉強を始めてみると、到達地点がいかに遠いかを実感する毎日だ。

「俺が登ろうと決めた山は、高尾山じゃない、富士山だ!」
と意気揚々と宣言したけれど、今思うのは、
「俺が登ると決めた山は、富士山じゃなくてエベレストだった」ってこと。


実は、富士山には浅間神社から2日かけて登ったことがあって、大変だったけど日本の最高峰を登り切ったという自信があった。
登っても登っても頂上に着かないので
「いったい、いつまで登ればいいんだよ」
とは思ったけれど
「もうこれ以上は無理、引き返えそう」
とは一度も思わなかった。


だけど、自分が登ろうとしている山は、そんな高さじゃないことに徐々に気付きはじめている。
俺はもしかしたら「エベレストに登る!」と宣言しちまったんじゃないだろうかと、今になって心配になっている。

富士山だったら、東京の自宅から電車に乗っていけば、登山口に着くことができる。ハイキング気分で登れる山ではないけれど、一歩一歩前に進めば必ず頂上に至ると考えることができる。

しかし、エベレストだとそうはいかない。
そこは日本じゃないし、登山申請も必要だ。一人で登ることはできない。もちろん、1日2日で登れる山ではない。
シェルパをはじめとして隊を組んで、装備を揃えて、日程を確保しなくてはならない。天候を様子見する期間も必要だ。登山日程が残り少ないから、もう登り始めないと、、、そんなスケジュールオリエンテッドな判断は、即、死を意味する。

時間も、お金も、準備の内容も、何もかも本質的に異なるのだ。

「本当にそこまでして、登りたいの? エベレスト」

問いが、次から次へと自分を刺すように飛んでくる。

「やるとして、じゃあ、何のために?」
「今の生活を変えてまで、何がしたいの?」
「それをしたとして、それができたとして、何が手に入るの?」
「それをすることで、得られるものは、失うものより大きいかい?」


矢のように飛んでくる問いに、逃げずに向き合う。ここで逃げちゃだめだ。

俺の心に浮かんできた答えは、明確な輪郭は持たないが確固たるものだった。


「俺は、まだ見ぬ景色が見たいのだ!」

俺は、生活を変える覚悟を固め始めていた。

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