英語、話せなきゃダメですか?
英語、話せなくても生きていけます。
というか、英語を話せない人間として生きてきました。
別に、問題はありませんでした、、、
と書いて、本当にそうだったのか?と問い直す自分がいる。
だって、これまで何度、英語の勉強をしようと思った?
人生で英語の勉強をしなくちゃ!と思ったのは100回や200回ではないはず。
なのに、「英語、話せなきゃダメですか?」とか、いまさら何を言ってるの?
そうなんだ! 俺は「英語が話せない自分」を認めたくなかったに違いない。
だから、別に問題はなかった!とか、たいして困らなかった!とか、御託を並べているのじゃなかろうか。
実際、困ったことはたくさんあったじゃないか!
海外旅行先で、自分の意思を英語で伝えられたら!もっと楽しい旅になったかもしれないじゃないか。
旅先で知り合い今も連絡を取り合っている友達はいるかい? 誰一人いないじゃないか。
仕事で海外赴任を打診された時、「はい喜んで!」と答えられなかったじゃないか!
「英語が出来合ないので、英語学校に通わせてくれるなら、行ってもいいですよ」ニューヨークには、先輩が赴任することになった。
海外文献の翻訳を頼まれた時、Google翻訳が役に立たなくて、必死で日本語訳をみながら、英文を読み直して、真っ当な日本語に直し続けたこともあったじゃないか。
カナダから高校生のホームステイを受け入れた時、必要は時に必要なことを伝えられず、そばでほほえんでいるだけしかできなくて、悔しい思いをしたじゃないか!
そう、俺の人生には、英語ができなかったことで、後悔の山が積み上げられていたのだ。
それが分かっていたのに、俺は
「英語、話せきゃダメですか?」
と言い続けてきた。
不甲斐ない自分を直視することができずに。
家族で、一番英語ができる! 謎の自信を持っていた自分に、恥ずかしさを覚える。
「英語、話せなきゃだめってわけじゃないけど、話せるようなった人生を選びたい」
通訳案内士試験への挑戦には、そんな悔恨と改悛が詰め込まれていた。
「通訳案内士に俺はなる」宣言は、できない自分を直視し受け入れる宣言でもあるのだ。