30年目の吐露。

編集長が読んでたので借りたんですね。この本。

このアルバムと僕には深い因縁があるんですよ。
この本はユニコーンの皆様はもちろん
当時のスタッフの皆様にお話をお聞きしたそうで
僕も読んで「へえ!」という感じでした。
なにせ、当時は僕は10歳。小学5年生とかだったんですけど
このアルバムのひとつの曲に関して、この本にも載ってない話を
知っているんです。


それがタイトルにある通り30年目の吐露。
僕は「ジゴロ」を歌ったペーターなんですよ。
「は?」でしょ。自分もそう思いますね。
だからこそ、30年間ほぼ誰にも言えないで抱えていたんですよね。
この本をきっかけにオープンにしようかな、と。
もう、いい年齢だし(笑)。
さっき書いたように、僕はこのとき小学生の子供だったので
ユニコーンの存在も知らなかったし
服部のアルバム自体を知ったのも発売して少ししてからかな。
当時所属していた合唱団の年上のお姉さんから
「これ、◎◎くんの声だよね!?」って教えてもらって初めて
聴いた感じなんですが、年齢が上がるにつれて
だんだんと言えなくなるんですよ。
ユニコーンの代表的なアルバムのひとつになっちゃって
それこそ中学高校となったときに「ジゴロ歌ってるの自分なんだけど」
って言ったら「嘘こけ」と言われて終了だったわけです。
(そうなるから、言ってないですけどねw)
あのアルバムに!?おまえが!?って感じになるのはわかるし
まあ、誰も信じられないよね。
これを読んでいるあなたも半信半疑だと思うので
僕がいった翌日にスクリーンに投影されたという話だし
本書にもあった「武道館にいったときに撮った写真」を載せちゃう。
(一部加工しております)

画像1

信じるかどうかは置いておきます。
さて。
知っていることを書いていきます。
この曲でよく言われる「お母さんからめちゃくちゃ怒られた」ってやつ。
これは本書でも書かれているし、よくネットとかで書かれてますよね。
これには理由があるんですよね。
当時、僕は合唱団に所属していて、ユニコーン以外にも色々な曲を
レコーディングしています。(これも、どうせだからあとで吐露します)
その合唱団の伝統なのかなぁ? 事前にデモと譜面を渡された場合は
譜面から歌詞だけを小さいノートに書き写して清書していたんですよ。
もちろん、突然譜面とデモだけ渡されて即レコーディングもあったけど
このときはデモと譜面が先にあったので、母が僕用に清書したんです。
あの歌詞を母親が子供のために書いていたかと思うと笑ってしまうけど
当の本人はデモテープの音源と歌い込みだけで実は録音のときには
譜面はろくに見ない。
目の前のお母さんが書いてくれたミニノートのみなんです。
(あのデモテープの声が川西さんだったのは今回初めて知りましたw)

だから、歌詞を理解するというより音程とかそういったものを
中心に理解していたはずで、これは「ジゴロ」だけでなく他の歌でも
「歌詞は置いておいて歌う」っていう感じはあったかもしれない。
でも、この曲は徹頭徹尾「歌詞は意味わかんない」「変な曲だな」っていう歌詞と曲のダブルパンチで「なんの曲なの?」って質問はした気がする。
それが、母親にとっては「なに歌わせてんの」って感じだったとは
思うんだけど、当の本人は「うちの母さんそこ気にするかな?」って
いうのは少しある。ちょっと意外というか。
抗議があったって書いてあるし、言ってもおかしくはないんですよね。
後にも先にも、こんな歌詞なかったから(笑)、まあ母親なら言うかな?
くらいで、皆様が思うほど厳重な抗議ではない気がします。
歌っている身としては、もっともっっっっとイヤな歌詞がある曲なんて
いっぱいあったし。

でも、僕は楽しかったんですよね。この曲。
そして、じつは、すごく難しかった。
本書に書かれていないんだけど、鮮明に覚えていることがあって
レコーディングブースに入って「じゃあ歌ってみて」って
確か横で誰かがリズムを取ってくれてたと思うんだけど
ひとりでレコーディングブースに入ることのほうが当たり前だったので
(いらないなあ)って思いながらマイクに向かって一発目を歌ったあとに
なんか大人たちが話し合っているのが見えたんですよね。
そのリズムを取ってくれた人もサブにいって話し合ってる感じ。
レコーディングブースからはまったくなにも聞こえないなか
大人が「どうしようか」って話し合うことはよくあるんだけど
結構時間がかかっていて「んー。なんかダメなのかなあ」って思っていたら
「あのさ。もっとヘタにできる?」って言われたのが衝撃だった。
これまで、いかにうまくとか。ここはこういうふうにって言われることが
常だったし、あっても「もっと元気よく」とかはあったけど
「ヘタに?」「ヘタってどうやればヘタになるの?」と考えてしまった。
こういうのが一番むずかしい。

で、そのときにできる限りのヘタさで歌って
なんか5回も取らずに終了した気がする。
レコーディングって長いときは本当に長いんだけど
「あ、もう?」みたいな人生で一番早いレコーディングだったのを
覚えているんだけど、はじめてアルバム(当時はカセット)を聴いたときに
「なにこの微妙な歌い方!」と少しヘコんだ記憶がある。
当時は上手に歌って褒められてたのが当たり前なので「これはなんなんだ?」という謎な気持ちなまま日々を過ごし半分忘れていたんです。
そして、中学生とかにあがったら、まわりがユニコーンとか聞き出して
「あれ…そのアルバム…」「あれ…」みたいなことが起きて
先述の「いえねえ(笑)」という感じになっていくのです。
信じられないで「嘘こけ!」ってなるのも嫌だし
信じられて見え方が変わる(現にいまの職場では言えてない)のも嫌だし
これは心に秘めておいたほうがいいねって感じをずっと抱えていたのです。

なので復活武道館でユニコーンの皆様と再会したときと
この本は本当にいいキッカケになったなって思います。
なので、いっそ他のも言っていきましょう。
僕の子供のときの仕事。

オリジナルのMVがなかったので、こちらを貼りますが
これのオリジナル音源で「だいすき!」とかの子供の声が
僕が所属した合唱団ですね。
(この動画のステージの子は別です。うちの合唱団じゃないです)
もちろん、僕も参加しています。

これ。東京ドームの「とんねるず NO TEUCHI」で
この曲を歌ったときに合唱団が出てきますが、そこには出演しています。
いまみたら映像化されてるんですね。見てみたい。

と思ったら、あった。この中にいますね。僕。

画像2

1989年、ワールド・オン・アイスのピノキオの歌は僕ですが
これは僕としては悔しい内容でした。
さっきもいいましたが、子供である僕に「これがどう使われる歌なのか」と
伝わることは少なく、ただ目の前にある譜面とデモを理解して歌うという
ことが多々でした。
上にある岡村靖幸もレコーディングしたお姉さん方が「これなの!」って
岡村靖幸の曲なの!?って興奮してたのを覚えてます。
これはレコーディングのときに多数の曲を録音したのですが
リテイクが多くて「なんで?」と思って、少しだけ後半に
不機嫌になっちゃったんですよね。
もちろん、態度にも感情にも出さなかったんですけど実物のショーを
見たときに「これを理解していれば、ああ歌えたのに!」って思って
はじめて母親に「ちゃんとやればよかった」って言っちゃったんですよ。
ちゃんとやってなかったわけじゃないし、あのときの理解で頑張ったけど
これがどういうもので、どう使われるのかを理解しないままだから
自分で聴いていて、悔しさしかなかった思い出がある。
これはいまの仕事の姿勢というか根っこに刺さっている出来事なんです。
でも、本当に素晴らしいショーで、いまだにピノキオ役の方がショーの
最中にわざわざ僕の前にきて手を振ってくれたことは忘れられない。

あーーーー。
やっと色々言えた。ほかにもいろいろありますけど
なつかしいなあ。
っていうか、いま見たら、僕の人生における89年って
人生のピークじゃないかってくらい立て込んでますね。
そこをピークに現在下降しております。

公開後にTwitterにていただいたリプライで思い出したことがあったので
ここに追記しておきます。
「ジゴロ」のレコーディングのときに母親とサブのソファに座って
レコーディングが始まるのを待っていたらスタッフの誰かから
「きみ、ファミコン好き?」って言われたんですけど
(好きだけど、なんて言おう…)って答えに詰まってたら
僕が答えるまえに母親が「うち、そういうのやらないんです」って
答えて(ええええ!? めちゃくちゃ好きなのに!)って思ったのを
思い出しました。そんな子も、いまや立派にゲームだとかを批評する
雑誌の編集者です。
追記終わり。

これを見たお知り合いの皆様。
今後ともなにとぞ……。





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