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「そこに、〜な自分がいて」は、ださいから辞めとけ

いきなり口がわるいですが、これは真っ当な真実です。すみません
なぜださいかって、こういうこと言う人って他人と本心で話していなくて人とぶつかれない人なんですよ

どういうことかというと、
「友達と話してて、友達はそれでいいって言うわけ。でも話聞いてるなかで、そこに『それって違うんじゃない』って思う自分がいて」
とかいうやつだ

何となくこの状況はお分かりいただけたと思うが、要は
「何かを感じとるのに自分ではない第二者がその現場にいて、その第二者が自分、=第一者に起こった感情を第二者も自分なのにまるで他人のように二人称で説明をしている」
という何とも摩訶不思議な状況だ

お前は誰なんだ?

その感情を受けとっているのは他の誰かなのか?

お前はお前だろ、
見聞きすることも感じる心も他でもないお前のものだろう

やらされてるわけでもないのに、やらされている

自分の感情は差し置いて、全部他人に合わせて同調圧力に無意識に流されている

いや、好んで「世間」を選んでいる
己の感情に目を耳を傾けず世間様と同じことを正義としている

こういうことを言う奴を心底虚しく、気の毒に思う

なぜって、少なからず他人の目を気にして生きてきたのが自分そのものだから

親から世間から刷り込まれた
「他所に迷惑かけないで」「恥ずかしいから辞めて」「みんなはこんなことしないよ」
を20数年はやってきた

でも実際そんなこと何一つ無意味で自分の人生のためになることなど無かったと30数年目に気づく
そして20数年要らぬ心配をしていたことを猛省し依存していたすべてを断ち切り、自立を決意した

まともな他人達は手前のことなど気にするほど暇ではない

詰まらない他人の噂話が好きな輩はそれを金で買えない時間の使い方をそれで正しいと思っている人達だけだから
まぁ私の人生には関わりのない人達なのだが

「人は自分が思うほど自分(私)のことを気にしていない」という本田圭佑氏の言葉に救われたことを、こういうときによく思い出す

だって私だって、目の前でしょうもないことをしている人を目の当たりしたとしても今日丸一日それを気に留めているか?いや、いない

翌日になってもそれがずっと頭から離れないでいるか?いや、必ずない

だから他人の目なんてどうでもいいのだ

大事なのは「何が目的で」「それに向けて自分はどうしたいのか」

他人の目線を気にして自分はどうしたいかが分からないような人間は常にフラットな目線で物事を視ることができず、芯がぶれて目的を見失いがちだ

流され、何とか岸に着いてへとへとになり、気づいたら身体はボロボロで自分の心はどこかに放りっぱなしで置き去り

それが楽しいならいいけれどそれはいい人生なのだろうか?

あなたの大切な人はそれを心から喜ぶのだろうか

あなたの目線は視線はあなただけのものだ、誰にも入り込めない場所にある

だから
「でも話聞いてるなかで言った、『お前のそれ違うと思うよ。肯定して同情されたいだけなら他あたって』って」

って他人と本心でぶつかり合えるようになったほうがずっと人生楽だし、何より周りの人間や出会う人の質はより上がる一方だろう

肯定されたいだけの友人は切ればいいし
あなたの本音を聴きいれない友人ならそっと離れればいい

これは本音で生きてこなかったことを反省して、同じことを繰り返さないために自分を生きることを決めた私が過去の私に言いたいことでもある

だから熱量をもって苦しむひとに伝えたい

本音を言えないやつはださいって笑

本当は本音なんて、伝わっている

あなたを大切に想うひとには、おそらく殆どの確率で

本音でぶつかってぶつかれないやつは同じ土俵に居ない
ぶつかれる奴らだけでぶつかろう

そしてあなたはあなたなのだから、好きなものだけ手にとって幸せに生きよう

読んでくださってありがとうございます、

また次回に〜

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