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やじろべえ日記 No.19 「土台」

公園へ行くと,浅井さんと伏見さんはもう準備をしていた。なんだか言い出しっぺの私よりもやる気があるのでどうしたものやら。

私は野良のキーボード弾きをしている学生だ。名前は市村という。大して重要な情報でもないので忘れてもらっても構わない。

野良のキーボード弾きをしていると話したがここ2週間近くはもっぱらここにいるシンガーの浅井さんやキーボード弾きの伏見さんと一緒にセッションをすることが多くなった。実は私は『日ごとに演奏が変わってしまう』という特性があり,そのため1週間以上同じ人とセッションできたためしがない。2週間接して特に嫌気もさされずに演奏を続けられているのは奇跡なのだ。

そして今回は初の試み。3人でのセッションになる。さて,どうなることやら。

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「まずは昨日浅井さんと伏見さんが弾いた曲をやってみてもらっていいですか?私は昨日いなかったので二人の演奏を聴いてどう入るかを決めたいです。」
「わかりました。浅井さん,用意はいいですか?」
「少し待って…よし,いけるよ。」
「市村さん,カウントお願いします。」
「わかりました。」

カウントをとってみる。一応タイトルは教えてもらっていたので音源は聞いていたが,二人とも探り探りで演奏しているようだった。
特に浅井さんは苦手な音域なのだろう。かなり無理をしているように見える。伏見さんは…なんというか自由に弾いている感じだ。自由な演奏は彼女の持ち味なのだが今回はそれが悪い方向に働いているように見える。

曲が終わった。浅井さんは少しヘロヘロに見える。まずは伴奏隊を形にした方がよさそうだ。
「伏見さん,浅井さん結構ハードっぽいから,先に伴奏を固めましょう。浅井さん,少し休憩しててもらっていいですか?」
「…あ,ああ。そうしてもらえると助かる。」
浅井さんは相当無理をしていたようだ。息がもう既に切れていた。

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気を取り直して伏見さんと私で合わせてみる。
「まずはサビのイメージだけど,サビは何を考えながら弾いてますか?」
「サビですね。うーん。私は雄大な景色を思い浮かべてますね。サスペンスのラストシーンで出てくるような岩場ですね。」
伏見さんの口からサスペンスという言葉が出てくるとは思わなかった。というか伏見さんの口から出てくる『サスペンス』ってこんなに緊張感がないのか。

とはいえ,サスペンスに出てくる岩場の場合おおかた犯人が追い詰められているか人質とっている場面であることが多い。それを雄大な場面か…なかなか独特な感性だ。しかし言いたいことはわかった。
「だとすると,もう少し緊迫している感じは欲しいですね。実際,浅井さんはここで前に行こうとしています。すこし前目に弾く練習をしましょう。」
「わかりました!」

そして弾くこと30分。

「なかなか難しいですね。どうして緊張感が出ないのでしょう…」
これに関しては正直伏見さんが悪いという感じではない。伏見さんはもともとあたりを漂うような,輪郭がぼんやりした演奏が特徴的な人なのだ。主役を引き立てるという意味では伴走者としての適性は十分である。

ただ,今回のように緊張感がある曲だとそれが逆効果になることもある。特に今回はテンポ感もきっちりさせ,刻み方もはっきりさせないといけない。少なくとも歌に合わせるとなるとそうなる。そう考えると伏見さんの今の演奏では形にはなりにくい。

仕方がない。今回は少し自分が引っ張る形でやるか。
「伏見さん,ちょっと自分に合わせてもらっていいですか?」
「はい!」
「じゃあ行きますね!1,2,3!」
サビの少し前からやることに。サビは張り詰めた感じを出したいため,私が少し強めに弾くことにした。ただしほんの少しだけだ。あまり強くなると伏見さんの演奏が破綻するため,テンポは少しずつ速くする。そして,私が表に出るのは伏見さんが緩むタイミングだ。あくまで添えるだけ。

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演奏が終わると,浅井さんは声をかけてきた。
「なんだか緊迫感は増していたね。それに合わせられるよう頑張らないと。」
一方で伏見さんは少し不服そうな顔だった。
「…」
「伏見さん,どうかしましたか?」
「いえ,なんというか,今日の市村さん,あんまり変化なかったなと思ったんです。」
「ああ,今回は添えるだけにしましたから。」
「どうして添えるだけだったんです?」

え?

「どうして…といいますと?」
「いつもは受け入れてもらいつつ,世界がどんどん変わっていく感じがするのに。今日はただ話を聞いてもらっているだけ,っていう感じでした。」
「…すみません。私も探り探りでした。これに浅井さんが入った場合どうなるんだろう?と考えながらやってました。」
「僕はこれならうまく入れそうだと思ったけど,伏見さんは少し不満なのかな?」
「はい,なんでしょう。せっかく一緒にいるのに面白さは少ししか増えないって感じがして,とってももったいないって思いました。」

…まあ原因は心当たりがある。一つはさっきも言った通り私が探り探りであったこと,もう一つは私が浅井さんに合わせすぎていることだ。ボーカルに合わせるのはセッションの鉄則だが,浅井さんの歌い方に寄せるあまり伏見さんのいい側面を生かしきれなかった感は否めない。

「…少し私も考えのまとめが必要です。今日は伏見さんと私で土台を作る作戦を試しましたが,明日は別のアプローチでいきましょう。」
「なるほど。明日はどうするつもりですか?」
「私が土台になれないのであれば,浅井さんと伏見さんの間に私が入っていく感じでやってみてもいいですか?」
「OKです。」
「うん。わかった。」

ただ,正直これもうまくいくか。自信がない。

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