大人と子供の境界線
最近思うことがある。
大人と子供の境界線が分からないのだ。
筆者は社会的には大人と呼ばれる立場の人間である。もう成人しているし,就職もしている。所得税や住民税もきっちり取られている。
だが,子供のころから何が変わった?と聞かれるとやはりこう思ってしまう。
変わってないやん。
そもそもの話になってしまうが,大人と子供がどう違うのかは小さな時からよくわかっていないテーマである。
子供のころ大人について教えられたことで,今ぱっと頭に浮かぶのはこの3つ。
「大人は周りを見て判断・行動しなければなりません。」
「大人になったら責任をきっちり果たさなければいけません。」
「大人は周囲に気遣いできなければいけません。」
さて大人になった今,果たしてこれができている大人が周囲にどれくらいいるかといわれると…ほとんどいないことに気づく。
子供と大人の違いってなんだろうか?年齢じゃない境界線は何のだろうか?
知識と判断
今は変化が激しく,常識がすぐに非常識になる時代である。
職業上最新の知識を追っていかないと仕事にならない職業である。判断するにも行動するにも知識というものはとても重要なのだ。
変化が激しいということはためてきた知識がどんどん古く使えなくなっていくケースが多いということでもある。知識が使えないのであれば判断もできまい。
さて,新しい知識や新しい考え方は若い人の方が詳しくなっているときく。野本先生のnoteにも書いてあることからこの実感は自分だけのものではないのだろう。実際年下と接しているとこれからはこんな行動や考えが主流になるのだなと肌で感じる。
若い方…具体的に言うと社会では「子供」とされている人々も含まれる。新しい知識や考えから判断するとなると,若い人の判断の方がしっかりしているときも多くなってくる。
そうなれば1つめの「周りを見て判断・行動しなければなりません。」は何も大人に限ったことではない。といことは判断をする・しないは大人と子供の境界線にはならないということになる。
責任
では2つめ,「大人になったら責任をきっちり果たさなければいけません。」についてはどうか。
責任とは次のことである。(goo辞書より抜粋,一部省略)
1.立場上当然負わなければならない任務や義務。
2. 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
3. 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
これは確かに大人っぽい!ここに境界線があるかもしれない!
と興奮したのもつかの間。
確かに立場上負わなければならないものは確かに大人には多い。仕事の結果,納税の義務,法律違反時の罰金や懲役など。責任を取るという行為は大人になってからでないとできないと思ってしまう。
しかし本当にそうか?子供に果たして義務や責任がないのか?
考えてみて思った。あるじゃないか。大概の子供がひいひい言いながら果たさねばならぬ責任が。
宿題。行事の練習。人によっては家の手伝い。
子供によっては仕事を持っている可能性も高い。(役者さんとか。)
たしかに学ぶことは子供の権利であり義務ではないが,それを言うなら働いている大人も同じである。だがしかし責任をきっちりと果たさなければいけないのは子供だって同じ。子供にだって責任があるのだ。よって責任の有無は境界線にはならない。
気遣い
では3つ目。「大人は周囲に気遣いできなければいけません。」
これはもう速攻で言える。
昨今のコロナウイルスに伴い物資不足騒動や,ブラック労働事情をみれば論文や学術的見解はなくともこれはわかっていただける方も多いのではないか。
他人に対して感情のままにあたる人は多いし,周囲に気遣いできない大人なんて自分含めていくらでもいる。周囲のことが見えるか否かも個人差があるし,周囲の気持ちや雰囲気を感じ取れるか否かも個人差がある。
テレビや本を見ていても,周りで働いている人を見ても,成功している方や有名な方,世の中にいる大人全員、気遣いがしっかりできるわけではない。
また気遣いができるか否かは本人の資質以外にも,時間的余裕,環境的要因,周囲や世間の価値観にもだいぶ左右されてしまう。逆に世間的に子供と呼ばれる人でも周りを見て気配りや行動できる人は多い。
結論から言うと気配りができるのはいい大人の条件の一つではあるが,大人であることの絶対条件ではない。
大人と子供は何が違うのか?
冒頭で話した「大人になったら…」はどれも確立された条件ではないということになる。それでもなんかあるだろう,何かないのかと探しているうちに日が暮れてしまった。
結局,この境界線の問題は個人の価値観でしかなく,万人に共通する明確なものはないのだ。大人と子供では使うお金や伴う責任,行動量のスケールが違うのは事実である。しかしその境界線はとてもあいまいなものだと思う。
このことから「大人なのだから…」「子供なのだから…」という主張は間違っているものも多いということだろう。もちろん個人の価値観として「大人とは」「子供とは」という考えを持っているのは大いに結構だろうが,文化圏や背景によって「大人だからできる」「子供だからできない」違ってくる。これらの主張は飲酒や喫煙以外,これからの時代あてにならないと思ったほうがいい。
せめてその価値観を人に押し付けないことがいい大人の振る舞いだと筆者は思ってしまうのである。
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