かりゆし58が教えてくれたこと

ロッキングオンが主催している、「音楽文」というサービスが、終了になるそうだ。

「音楽文」は、あるアーティストやライブ、音楽に支えられた一般人が、誰でも応募できる作文サイトである。

2018年4月25日に、私が応募した作文が掲載されています。が、サービス終了とともに作品も見れなくなるということなので、記録として残しておこうと思います。

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8年前のある日、某テレビ番組で障害を持つ少女が、いつも元気をもらっている曲を紹介していた。その曲は「かりゆし58」が歌う「オワリはじまり」。それが私とかりゆし58の出会いである。
 
私には、大好きな叔父さんがいた。私たちの家族とは少し遠いところに住んでいたため、毎年お正月に会うのを楽しみにしていた。叔父さんは、愉快で楽しくて、いつも私たちをしょうもないことで笑かせてくれた。叔父さんとの思い出はたくさんある。飼っていた犬のフンを川に流した思い出、鼻くその歌を一緒に作って大笑いした思い出、冬に外で焼いた牡蠣を食べた思い出、、、どれもしょうもないけど楽しくて笑顔の思い出。

そんな叔父さんが、病気だと知ったのは、高校2年生の時だった。ずっと前から病気だったのに、そんな素振りも見せず、叔父さんが病気だなんて1ミリも思ったことがなかった。

授業中、お母さんからラインが届いた。「叔父さんが病気で大変だから、今から叔父さんのとこいくよ」
叔父さんの家はすぐに行ける場所ではなかったから、なんとなく予想ができて、冷や汗が止まらなくて、涙が出そうだった。

叔父さんの家に行くと、いつもと変わらない笑顔の痩せ細った叔父さんがいた。最後のような気がして、笑顔で喋るつもりだったのに涙が止まらなくなった。その日は叔父さんの好きな食べ物をみんなで囲って食べた。

数日後、叔父さんは入院して、数週間後、亡くなった。信じられなかった。ずっとずっと涙が止まらなくて、小さい頃の思い出から、数日前のご飯を食べた時の思い出までが頭の中をぐるぐるしていた。
 
叔父さんのお葬式の何日か後に、かりゆし58のライブがあった。行く気にもならなかったが、気分転換になるだろうと、姉と母と行った。

そして、「さよなら」が始まり、真悟が奏でるアコギと、バンドサウンド、真悟の声が響いた。次の歌詞が聴こえた時、私は叔父さんを思い出した。

ー命は始まった時からゆっくり 終わっていくなんて信じない ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの 明日かも知れないから

普段は何気なく聴いていた歌詞が、こんなにも自分に刺さるとは思っていなかった。涙が止まらなかった。隣を見ると、姉も母も泣いていた。私たちが生きている今日は、もっと生きたかった叔父さんの明日なんだ、と思った。叔父さんが近くにいるような気がした。

今もかりゆし58の「さよなら」を聴く度に、叔父さんを思い出す。故人は、思い出すことが無くならない限り生き続ける、とどこかで聞いたことがある。かりゆし58の「さよなら」が在り続けること、私たちが聴き続けることで、叔父さんは今も私たちの心の中でずっと生きている。

かりゆし58、ありがとう。かりゆし58が、命の大切さを教えてくれて、叔父さんとの思い出をしっかり繫ぎ止めてくれています。これからも叔父さんとずっと一緒に生きていきます。

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