「反応」を選択すれば主体的に生きられる

社会人も学生も、何事にも「主体的に」取り組むことが求められます。自ら目標を見つけ、自ら考え、自ら行動する。仕事や学業に必要な姿勢であることは確かです。

主体的に生きることの意義は、自分の人生を自らコントロールすること。でも実際には自分で考えて一生懸命やっていても、良くない状況が変えれない、思い通りの取り組みができない、忙しさに追われやりたいことが後回し…というふうに、気付けば頑張ってるはずが思い通りの生き方とは違っていることがあります。

一方、「主体的」の対義語を調べると「受動的」や「従属的」という単語が出てきます。意味としては正しいのだけど、自分でも気付かないうちに自ら嬉々として他人に従属する人がいたりして、実感としては少しズレている気がします。

スティーブン・コヴィ氏の「7つの習慣」という本では、「主体的」の反対の概念として「反応的」という表現がされています。文字通り、他人や環境・状況に反応する態度・生き方です。

主体的な人は自分の影響力が発揮できる範囲のことに集中して取り組みますが、反応的な人は周囲の変化を望み影響力を効果的に発揮できません。ストレートに言うと、自分を変えることができるか。ということだと思います。

「〜しなければならない」「〜に違いない」「〜はできない」といった言葉を使っている時、人は反応的になっている可能性があります。主体的に生きている人は「〜したい」「〜とも考えられないか」「どうすればできるか」という言葉を口にします。

自分の思うように生きる為には、反応的な言葉を使うのをやめ、自分の力により変えられる事柄に集中することが大切です。そうすれば自分にとって重要な事柄を優先でき、影響を与えられない物事に反応しなくて済むようになります。

何か困ったことが起きた時でも、それに対する反応は自ら選択できるようになれば、自分の力で変えられることに効果的に取り組め、思うような生活に近付いていけるのではないでしょうか。