思いやりも技術だ

些細なことで友だちと喧嘩になった。LINEのやり取りのなかでお互いの言いたいことがうまく伝わらなかったことが原因。わりとすぐに仲直りできたのだが、「親しき中にも礼儀あり」の大切さが身に染みた日となった。

慌ただしく日々を過ごしていると、気付かないうちに自分本位のコミュニケーションをとってしまっていたりする。

「私は忙しいんだ!」
「私はこんなに頑張っているのに!」
「もっとやさしくしれてもいいだろう!」

皆が皆同じことを考えているけど、他人の欲求を満たすために生きてる人はいない。結局のところ、周りに期待せず自分の面倒は自分で見たほうが良い。

こんなふうになかば諦めながらも生きていると他人の善意に涙するような、恵まれた体験をすることもある。忙しく生きてる人の中で、ほんの少しでも自分のことを想ってくれている人の存在を知ると、自分の小ささ、勝手さを思い知らされる。

恩返しを考えようにも、神様仏様みたいなその人には、自分にできることなんて何もない。ただ自分の人生をもっと誠実に生きようと努めるぐらいはと、気持ちを引き締めたいと思う程度だ。(それだけでも十分と、その人は言うだろうけど)

漫画家のヤマシタトモコさんの作品にこんな言葉が出てきます。

「わたしがもし、わたしがもしあなたたちだったら、わたしを少しでも愛したでしょうか」

他人には思いやりをもって接する。子どもの頃から教えられてきたはずのことが、いつの間にか、どうやって思いやりを受け取るかばかり気にするようになっていないか。

一方で「やさしい人」「思いやりのある人」というのは、周りもやさしさで溢れているんじゃないかと思う。しかもその人自身は周りに見返りも何も求めていないのだろう。

人を思いやれるというのは、人に思いやりをもって接してもらえるということでもあり、これはれっきとした技術だと思う。

一朝一夕には身につかない。習得の為の日々の鍛錬を怠らず、何より続けるには強い関心を持っていないといけない。

そんなことを自然にやってのけてしまう人に触れると、思いやりの気持ちを鍛えずにいた自分ではその境地に達していないと気付かされる。

技術は日々の鍛錬によってしか習得できない。それを身に付けたいと思えるような強い関心は、幸運にも「返しようのない恩」を受け取ったことのある人だけが手に入れられるもののような気がする。