性格なんて変えなくていい

最近学生時代の後輩から相談を受けた。要約すると「自分に自信がない。自分の性格が嫌で、変えたいと思うがどうすればいいかわからない」というような内容。

この子に限ったことではなく、自信がないひとの多くに「自分の性格が良くないからそれを変えなければいけない」という思い込みがあるように思います。

僕自身も、他人の目を気にし過ぎたり、必要以上に献身的になり過ぎたり、ひとつの物事に捉われがちであったりと、変わるといいなと思う性格があります。

失敗や不都合を起こす原因が自分にあると感じる時、改善の余地を「性格」に見出そうとすることがある。でも、ひとは中身を単純に取り替えられるようにはできていない...

少し長い間悩んだ時期がありましたが、僕は結局「ひとの性格は変えられない」という思いに達しました。「大切なのは性格の使い方であって性格そのものを変える必要なんてない」といった方がいいかもしれません。

僕は根が真面目だとよく言われます。しかし実際は臆病が生みだした完璧主義だと自分では感じます。そんな性格のせいで精神的にも肉体的にも無理をしがちなことが度々ありました。

「頑張り過ぎ」や「無理するな」という周りからかけられても、自分ではそれが当たり前になっている。少しづつ「俺は休むのが下手だ」ということに気付き始めたもののなかなか自分を変えられない日々。

結局、過度な業務で体調を崩してしまい、休まざるをえない状況にまで追い込まれました。幸いにもしっかりと休養を取れる環境を整えられたため長期療養をすることになります。そして半年ほど経った時に、ふいに大事なことに気付きます。

「真面目で完璧主義であるなら、その性格を生かし休息を自分の中で義務化してしまえばいい」

休むことに義務感を持つーそれまでは考えたこともありませんでした。振り返れば周囲の言葉に耳を傾け素直に言う通りにすればよかったのですが、それはどこか「自分を甘やかしているのではないか」という恐怖心があったのだと思います。

自分を苦しめていたのは性格そのものではなく恐怖心であることがわかってからは、肩の荷が下りた感じがありました。

長所と短所は表裏一体といいます。臆病→慎重、能優柔不断→色々な観点で物事を見れる、飽きっぽい→気持ちの切り替えが早い、などなど。

僕は性格について自身の経験から学びましたが、これはひとの性格についても応用できると考えています。

人間関係の中である人の性格に悩まされた時、その人の性格を変えるのではなく、視点を変えそれをどう生かせばうまくいくのかを考えてみる。

ポイントは恐怖心にあるような気がします。自分が無意識に恐れているもの、相手が恐れてものはなにかを理解することー

「性格なんて変えなくていい」

自分を変えなければと思い悩むひとの何かの役に立てれば幸いです。