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短編小説 「煩悩ガール」

はじめに

ネット配信のラジオ「GERA」で毎週土曜日の午後8時から最新話が配信されている吉住さんのラジオ番組「吉住の聞かん坊な煩悩ガール」
各回にはそれぞれの回の内容を一言でまとめたサブタイトルが付けられているのですが,それがあまりにもどこか文学的すぎたので,この度それらのサブタイトルを使って短い小説を作ってみようと思い立ちました。これから始まる小説は,「煩悩ガール」のタイトルを拾いながらも,物語としての方向性を見失わないようなストーリーを目指したつもりです。拙い文章ですが,是非最後までお読みください。

短編小説 「煩悩ガール」

序 章

私の名前は,佳奈。28歳。お笑い芸人を始めて7年目。ようやく世間が私に注目してくれるようになった。
 突然だが,事務所の先輩の魂ずさんがやられているラジオで「魂ずの部室」という番組がある。
「『魂ずの部室』にだけは負けたくない」
 そう思って始めたYouTubeでのラジオ風の生配信もなかなか板に付いてきた。でもまだ,事務所の錚々たるメンバーから比べればまだまだであるという自覚はある。
 お笑いの新人発掘の番組に出演するため,テレビ局のディレクターやプロデューサーを前にネタ見せをして,どうにか彼らの目に留まるよう画策している毎日だ。1日見てもらえて3本が限界だ。
 「『6本目あたりから可愛く見えてくる』のになぁ…」
 といつも心の中で思いながら,テレビ局を後にする日々の中で,ひとつ心が踊る出来事があった。私のことを慕ってくれる可愛い後輩がいることだ。

第一章

私は,3姉妹の1番上。いつも年下の妹たちの面倒を見ているうちに,早い頃に母性というものの存在に気づいた。その後輩と会って飲みに行ったりする度に,
 「私はこの子と家に帰れないんだな」
 という強烈な虚無感と寂しさに襲われる。

面倒見のいい私は,学生時代にはよく後輩の面倒を見てあげる優しい先輩だったが,私は自分が誰にでも優しくしてしまうことで後輩たちにナメられているのではないかと思い,ブルーになった時期があった。そこで,そんなブルーな思い出を払拭するために卒業アルバムを捨てた。
 友人に「佳奈はどんなタイプの人間?」というよく分からない質問をされることがある。その時には必ず,
 「卒業アルバムは捨てるタイプ」か,
 「『思い出はいらない』タイプ」
 と答え,周りがざわめくというのがもはや自分の中では「お約束」になりつつある。
 私の天性の「面倒見のよさ」は時として仇となることもある。
 私は,吹奏楽部に所属し,部長を務めていた。
 ある日,私が部活の後輩と話していると,その会話が盛り上がり,思わずお互い敬語や言葉遣いを気にせず話していた。それを見た別の後輩が
「佳奈先輩,あいつと仲いいんですか?面倒見がいいのはいいですけど,一人の部員に肩入れするのは納得できません。」
 と言われた。全くの事実無根だったが,突然の出来事に佳奈は何も反論できなかった。
 その後,この噂が校内に広まり,吹奏楽部員が一斉に部活を休むという,いわば「部活クーデター」とも呼べる状態となった。このクーデターは2週間ほど続いたが,夏の大会が近づき,部員たちが練習に来るようになり,事は収まった。

そんな話を例の後輩としていると,後輩が突然,
「『僕,『ファン心理研究中』なんですよね。ファンの心理って様々だと思うんですけど,ファンの皆さんがどんな心理で僕たちのネタを見てくれてるのか気になるんですよね」
 と言い出した。あまりに突然だったので,
 「ファン心理研究中?」
 と私が問い返すと,
 「そうです。『ファン心理研究中』です。」
 と後輩が念を押すように言ってきた。今まで考えたこともなかった発想である。
 天性の「面倒見のよさ」でファンへ肩入れしたりしてなかっただろうか。ファンとしてもあまりも距離感が近すぎるのもどこか寂しいのではないか…。様々な思いが頭をよぎった。
 時には,
 「あんなに敵だと思っていたのに!」
 という人が実は私のファンでいてくれたりすることもある。ファンの心理って読めないな,とも思った。

私があまりにも深い思案顔なっていたからか,例の後輩が
 「佳奈さん大丈夫ですか?」
 と,私の顔の覗き込みながら訪ねた。
 すかさず私は,「大丈夫なんです。」となぜか妙に畏まってしまった。
 「何かあったら言ってくださいね。僕でよければ相談乗りますから!力になれるか分かりませんが…。」
 彼は,ライブで卸す新作ネタの作成に行き詰まるといつも優しく声をかけてくれる頼れる後輩だ。ある日,ネタの最後のオチが浮かばず,考えすぎて頭が痛くなっていた時があった。そんなときに彼が
 「頭痛いんですか?なんか頭痛の新しい治し方あるらしいですよ。雑誌に載ってました。」
 とその雑誌を見せてくれた。
 その雑誌には,見開きで
 「みちお流 頭痛の治し方」
 と書かれた特集が組まれていた。トム・ブラウンのみちおさんが我流で編み出した頭痛の治し方を伝授するというページで,とても真似できるような治し方ではなかったのだが,後輩のその然り気無い気遣いに思わず涙ぐみそうになった。

第二章

私は小さい頃からお笑いが好きだった。
 「笑っていいとも!」や「エンタの神様」「オンエアーバトル」「イロモネア」などの番組を見てきた世代である。特に好きでよく見ていた芸人は,ウッチャンナンチャン。
 彼らがテレビに出ると,
 「ウッチャン♪ナンチャン♪」
 と鼻歌交じりにテレビを見ていたと,親から聞いた。
 高校を卒業して,進路を決めるに当たって, 
 「お笑い芸人になりたい」
 とはっきりと思うようになり,色々調べているうちに今の事務所に行き着いた。
 小さい頃からやんちゃで警察のお世話にこそならなかったものの,よく人に迷惑をかけている不良少女だった私は,
 「人に迷惑をかけない人間になりたい」
 と思い,どの職業だとあまり人に迷惑をかけなくて済むか,と考えた結果,なぜか「お笑い芸人」という今の職業に行き着いたのである。
 お笑い芸人としての私は,常に『最先端の笑いを届けたい』という一心で人に迷惑をかけずにネタ作りに勤しんでいる。
 そのおかげで先ほどの彼のような後輩や,信頼できる先輩にも恵まれ,『この時代に生まれて良かった』と心から思える日々を送っている。

第三章


 
 忘れられない夏の思い出がある。
 私はもともと関東の芸人だが,縁があって大阪で明石家さんまさんが司会を務める番組に出演する機会があった。もちろん事務所の主要な芸人たちも一緒だ。
 いざ,本番が始まると,常々先輩から聞かされていた通り,スタジオは「トークの戦場」と化していた。
 テレビで見てる何倍も早いトークの展開に,雛壇にいた私は,スタジオを動き回りながら雛壇の演者に話を振るさんまさんが止まって見える,という不思議な感覚に陥った。
 結局,これといった爪痕は残せず,新幹線で東京に戻ることとなった。あれ以来,さんまさんの番組にはまだ呼ばれていない。

あの経験はかなりショックなものとして頭の中に鮮烈な印象として残っている。今もあのときの悪夢のような状況が蘇ることがある。
 芸人を辞めようとさえ思った。
 それでも,こんな私が芸人を続ける理由は,さんまさんと再び会ったときに大きな爪痕は残せなかったにしろ,せめて,最低限さんまさんの印象に残るようなことをしたいという思いが胸の中にあるからだ。
 ただ,その「さんまさんの印象に残るようなこと」が何なのかは分からない。それはネタかもしれないし,エピソードトークかもしれないし,はたまたあまり得意ではないモノマネやギャグかもしれないからである。
 でも,次にさんまさんの番組に出るときにはスタジオの雰囲気などから,
 「自分から『動かなきゃと思う時がきっと来る』と思う」
 という差出人の分からない自信が胸の中にあるのもまた事実なのである。

第四章

先日,私がYouTubeでやっている例のラジオ風の生配信に魂ずさんが来てくれた。
 お二人は,私がする例の後輩のエピソードトークなどにしっかりと耳を傾けた後,彼らのギャグである
 「おつかれさぁ~っす!」
 を言い残して帰っていったが,私の中では
 「魂ず、ついに乱入!」
 という新聞の見出しのような事実が頭の中で整理できずに終わってしまった。ラジオで目標として負けたくないライバルとしている魂ずさんが来てくれた。
 私は,彼らのギャグに笑いはするものの,あまり笑いすぎるのも失礼かと思い,笑いを少し控えた。これはまるで笑ってはいけない笑顔の授業のようだなと感じたが,なんとか堪えるところは堪えた。人生に立ち止まった時は,この魂ずのラジオを聴いて,どこか吹っ切れている節があり,感謝してもしきれない所もあったからだ。

第五章

私は,熱血は信じないことを信条としている。というのも,学生時代の恩師が皆熱血だったのだが,進路面談のときに「芸人になりたい」と言うと,皆一様にどこか少し冷たくなるのだ。それだけではなく,鼻で笑うような教諭もいた。本当の熱血であれば,私のこの夢も全力で応援してくれるのではないか。熱血に裏切られた気がした。それ以来,熱血は信じなくなった。百歩譲って唯一熱血で信じられるのは,松岡修造さんくらいなものである。

学生時代の卒業旅行で,グランドキャニオンに行った。その時,東の風向きでまるで私の右側から風が吹いているようだったのを覚えている。私の中のグランドキャニオンの想像をはるかに越える大自然がそこにはあった。芸人になるという夢をそこで大きな声で叫んだ。雄大な自然は私の大きな心の叫びを優しく受け止めてくれた。どんなに辛くても辞めたくなったらこの出来事を思い出してなんとか踏ん張ってここまでやって来た。もうここまで来たら辞めるつもりは毛頭なくなった。

第六章

友人や後輩とのやり取りは今や専らLINEを使うようになった。私は,よくキャンペーンタイアップの無料スタンプをよく使う。「無料スタンプを使う女は家庭的」などという噂を耳にしたことがあるが,私のこの面倒見の良さはもはや家庭的といっても過言ではないかもしれない。
 昔,住んでいた地域にとても面倒見の良い幼馴染みがいた。少しありがた迷惑と言われるくらい面倒見が良く,悩んでいるときなどには相談に乗ってもらったりもしていた。その幼馴染みのことを見て,
 「私もこんな人になりたかったな」
 と思ったことが私の面倒見の良さの原点である。つい何日か前に,その幼馴染みと久しぶりに再会を果たした。
 その幼馴染みがふと私に
 「あなたは好きなものを好きと言えますか?」
 と聞いてきた。質問の真意を図りかねて,
 「えっ?急にどうしたんですか?」
 と聞くと,その幼馴染みは,
 「なんか最近あなた自信ないように見えるの。だからあなたには自分の好きなものを自信を持って好きと言えるようになってほしいの。」
 と言われた。確かに最近,お笑いでもあまり結果が出せず,どこか自分の好きな「お笑い」に自信の持てない節があった。私はこの言葉を聞いてはっとしたのと同時に,自分の好きなお笑いを胸を張って好きと言えるように頑張ろうと鼓舞されたのであった。その幼馴染みは,その面倒見の良さから,友人からはどこか面倒な存在として扱われていた。そのせいで幼馴染みは,友人に
 「あなたと友達になれるかどうかは分からない
 と言われることが多く,その幼馴染みは,数少ない友人である私に
 「私は誰かと一緒に過ごしたかった」
 と嘆いていた。それを隣で聞いていた私は涙が止まらなくなった。悲しかった。自分の良い性格が仇となって孤立しているという事実が。
 私は,この幼馴染みとどんなことがあっても離れないと心に決めた。そんな幼馴染みとは今でも連絡を取り合っている。

第七章

芸人になり始めたのと同時に一人暮らしを始めた。当然,芸人になりたてなのでお金がなく,アルバイトで食いつないでる毎日を送っていた。なので,「駅近」や「オートロック」と言った住環境の良さや利便性は住まいを選ぶ基準として考慮していなかった。そうすると,おのずと都内でも若手芸人が多く住むエリアを紹介された。
 「お客さん,便利を取ったら芸人が住んでいるよ」
 と不動産屋の人に言われたが,まさにその通りで,まるで,江戸時代の株仲間のようだ。
 こんな同業者ばかりの街に住むのは嫌だった。まるで自分の携帯を不意に覗かれているような感覚だった。私は悩んだ末に都内を捨て,東京と神奈川の県境に住むことにしたのだった。

最終章

私は学生時代,吹奏楽部に所属する傍ら,ダンスを習っていた。コントの時の体のしなやかな動きはダンスで培ったものだ。
 習っていたダンスの教室の近くに横浜家系ラーメンのお店があった。1杯500円ととても懐に優しい価格だったので,ダンス終わりに毎回通っていた。店に通い始めてから半年もしないうちに,店の大将とも打ち解けて,芸人になる夢も打ち明けられるようになっていた。
 そんなある日,私と大将はこんな会話を交わした。
 「大将,やっぱりダンス後に食べるラーメンは旨いですよね~。汗流したあとだと,味が美味しくなるっていうか…」
 「そうかそうか,うちの店のラーメンはダンス後に味が変わるんだな。これがある種の『味変』ってやつだな。ハハハ。言うなれば,『ダンスは家系を変えてしまう』ってな。」
 大将は,そう言ってもう一回大声で笑った。
 「家系を変えてしまう君のダンスはすごいなぁ」
 「いや,私が変えたというか,自分がそう感じてるだけで……」
 「ああ,そういえば君,芸人になりたいんだっけ?」
 大将は,こう呟いて話のレールのポイントを渡った。
 「そうなんです。今はとにかくさまざまな芸人さんの動画を見てお笑いの勉強をして,将来養成所で経験積んで,事務所に入って……と考えてます。」
 「君はちゃんと将来のこと考えてて偉いね。芸人になったら単独公演とかやるのか。」
 「芸人として食べていけるようになるか,売れればやりたいなとは考えているんですが……」
 「単独公演やるんなら,俺のこと絶対呼んでくれよ。」
 「はい!」

あの会話からおよそ10年―。
 芸人になって軌道に乗り始めた私は,初めて単独公演をすることになった。
 初めての単独公演のタイトルに選んだのは,あの時交わした会話の一節である
 「ダンスは家系を変えてしまう」
 にした。その単独公演には勿論,大将を招待した。客の入りは満員。ホールには客の笑い声が響いていた。大成功に終わった。確かな手応えを感じながら,単独公演の帰り道を弾む気持ちで踏みしめた。
 今日もまたあの時を思い出すいつもの家系を食べに行こう。私のダンスが変えたあの味を。
 佳奈は,早足になりながら帰り道を歩いて,いつもの店の暖簾をくぐり,引き戸に手を掛けた。 (完)

あとがき


最後までお読み頂き,ありがとうございました。
文中で太字で示したところがサブタイトルになります。
なお,文中に一部誤字があったため,原作を一部訂正しました。
このラジオは,吉住さんのパーソナルな部分も知ることが出来るので,吉住さんファンの方は必聴だと思います。専用アプリ「GERA」から聞くことが出来ます。アプリのバージョンが対応していない方はGERAの公式Twitterから各回のリンクに飛ぶことも出来ます。この機会に是非聞いてみてください。
この「あとがき」までしっかり読んでいただいた皆さん,本当にありがとうございました。
次回の投稿もお楽しみに。


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