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Louder Than Words《Club with Sの日 第31回レポ》



Why do we play with fire? 

2021年7月14日
ちょうど一年前のノンバイナリーデー。
英WalesのBangorの市長であるOwen J Hurcumさんの投稿にコメントした。
Owen J Hurcumさんは世界で初のノンバイナリーの市長だ。
ノンバイナリーの人たちにとってはロールモデルみたいな存在だね。
#NonBinaryPeoplesDay  のタグとともに、Owenさんの「THEY/THEM」シャツの写真に自分の想いを書いた。

“I want to live openly, truthfully and joyfully like you.”

するとその直後、ご本にから「いいね」が飛んできたんだ!!
文法的に正しい英語だったか、自分の考えを正確に表現できていたのかはわからない。
でも、「いいね」の通知は言葉よりも多くを語ってくれた。

日本社会ではQueerであることをオープンにして、何かを決定する立場につけない現実がある。
カミングアウトをしたら、知り合いがどんどん離れていった。
相手の差別的発言に耐えきれなくて、自分から離れていった場合もあるけど。
個人的な話をする前、ジェンダー問題についての話題が上がっただけで、認識の違いに愕然とした経験は何度もある。
「逆差別だよ」って言い返されて、それ以上言葉が出なくなってしまったことだってある。
毎日押しつぶされそうになりながら、どこかに味方がいるはずだと信じて必死で生きていた時、その“誰か”が遠く離れた国で見つかることもあるんだ。
Owen J Hurcumさんから反応が返ってきたとき、どれだけ嬉しかったか、どれだけ救われたか、言葉を駆使しても伝えることはできないだろう。
あの「いいね」は自分を変えてくれた。
たった一つの「いいね」があったから、ここまでやってこれたんだ。

もし、いつかイギリスに行くことがあったら、絶対にBangorを訪れて、Owen J Hurcumさんに直接お礼を伝えたい。
対面したら感激で舞い上がり、何も言えなくなってしまいそうだけど。
それまでにはもっと英語を上達させておかないとだね(笑)

“ノンバイナリー”というジェンダー・アイデンティティを、男女どちらかにはっきり決められない言い訳のようなものだと誤解している人がいる。
でも、ノンバイナリー当事者は驚くほど明確に自由と対等についての意思を持っている。
「誰もがそれぞれのジェンダー・アイデンティティを尊重されるべきだ」という確固たる信念を持っている。

Cages or Wings?

2022年7月13日
Club with Sの日 第31回
テーマ『ノンバイナリーの可能性とは?』

本題に入る前に、ノンバイナリー関連アーティストの紹介タイム。
(これも本題みたいなものだけどね)

まず一人目は、ノンバイナリーの環境活動家・Anuna De Wever
社会運動特集に向けてアクティビズムの勉強をしていた時、ドキュメンタリー映画『I Am Greta』(2020)を観た。
本編でGreta Thunbergと共に気候変動問題に対する運動を行なっていた若者の姿が印象に残り、鑑賞後、調べてみる。
すると、その方がベルギーに住むノンバイナリーの活動家・Anuna De Weverだと知る。
ジェンダー・マイノリティとして決して楽とは言えない日々を生きる中、10代の頃から気候ストライキを行う行動力を尊敬する。
ご本人のInstagramアカウントではQueerの仲間たちと気候デモをしている様子が眩しくて、気候変動問題とLGBTQ+、それぞれのテーマについて投稿されるタイムラインが魅力的だ。
Queer当事者であっても、LGBTQ+以外の分野の運動にも積極的に参加し、そこでマイノリティの仲間たちと絆を深めるAnuna De Weverの姿勢に、たくさん学ばせてもらった。

二人目は、アジア系アメリカ人のノンバイナリーのアーティスト&アクティビスト・meg
トランスジェンダーであることをオープンにしている俳優・Elliot Pageがきっかけ。
ある日、Elliotが『Protect Trans Kids』と書かれたトレーナーを着ている写真を投稿してくれたのだけど、それがmegによるグッズだったのだ。
トレーナーの他にもシャツやステッカーなど、たくさんのQueer関連アイテムを製作されている。
LGBTQ+コミュニティへのメッセージや動画を毎日投稿してくれるInstagramは必見!!
前向きでポップな発信に元気をもらえるし、疲れている時は癒されるよ。
特にノンバイナリーの方にはぜひフォローしていただきたい!!
激推しです(笑)
megの優しくて温かいメッセージには一年以上前からサポートしてもらっていたので、もっと早く紹介すべきだったなーと思いつつ、こうしてノンバイナリーデーにお話できたのは最適なタイミングだったかも?

さて、本題タイム。
ノンバイナリーを自覚してから、日常生活や考え方に何か変化はあった?

前半は行動面。
目に見える行動の変化はどんなものがあるだろう?

①カミングアウト

初めてのカミングアウトは誰にとっても特別な経験だ。
結果が予想したものとは違っても、大きな不安や恐怖を抱えながら行動した事実は、一人の人間を確実に変えるだろう。
これは、正解? 間違い?
行動に伴うものは必ずしも“答え”だけとは限らない。
そこで、初めて“疑問”にぶつかるかもしれない。
もう一度、挑戦する。
前回とは違う方法で。
同じ内容であっても、言葉を発する本人が変化しているのだから、新たなアクションなんだ。
ノンバイナリーにとって、カミングアウトは模索の過程だ。

②ファッション・ヘアメイク

男らしくならないように。
女らしくならないように。
細心の注意を払って、ありとあらゆる工夫をしてきた。
だって、見た目通りのジェンダーだと誤解されるから。
でも、ある時気付く。
「バイナリーな表現に縛られているのは自分の方なんじゃないか?」って。
だから一度、まっさらな状態になってみる。
好きな服を着る。好きなメイクをする。
準備ができたらクローゼットから飛び出す。
「そんなのノンバイナリーらしくないよ」って笑われたら?
「君も、君も、君も、そして君も、十分ノンバイナリーらしいジェンダー表現だよ」って返そう。
選択肢は無限にある。
僕ら自身が選択肢を生み出すことだってできる。

③言葉選び

“ノンバイナリー”というアイデンティティの説明ほど難しいものはないよね。
自分の中ではすごくシンプルでしっくりきているものであっても、相手にその感覚が伝わるとは限らない。
言葉を変える。微妙なニュアンスを変える。
さっきの相手には明確に伝わったのに、同じ表現を使った今回はかえって相手を混乱させてしまった。
……みたいな体験を繰り返していると、自然と言葉に敏感になる。
文学が趣味だったり、意識して語学の勉強をしているわけではないけど、勝手に言語能力が高くなってしまう感覚(笑)
ありふれている言葉が、時にバイナリーの中にあると気付いてしまったら?
ジェンダー・ニュートラルな表現に変えよう。
ジェンダー・マイノリティのためだけじゃない、すべての人々のために。
僕らは言葉が人々の世界観を形成していると知っている。

④メディアへの視点

本や映像作品、音楽、広告。
Queerであると自覚してから、日常生活で目にするメディアでLGBTQ+がどのようにレプリゼンテーションされているか、より注目するようになる。
特に、LGBTQ+をテーマとした作品で、“Q+”はどんな風に扱われている?
ノンバイナリーやクエスチョニング、アロマンティックやアセクシュアルの存在は可視化されている?
まだまだ十分に語られていない現実があるけど、単語を見つけたり、その存在を意識した表現がされていたら嬉しくなるね。
細かい部分までじっくり観察できるようになったら、一つの作品を今までの何倍も楽しめる。
これはただ自分がオタクだからかもしれないけど(笑)

後半は精神面。
物理的なものではない、感受性の変化はどうだろう?

①オープン・マインド

カミングアウトの経験や、ジェンダーについて対話をしてきた時間によって、個人的な事をオープンに語れるようになった人もいるはず。
もともと内向的な人であっても、他者と関わることへの抵抗が減ったり、新しい物事に挑戦することが増えたり、いろんなアイデアを自由に組み合わせて思考できるようになったり。
心を開くことは、自分のリアルを正直に放出することであると同時に、相手の個性を素直に受け止められることでもある。
“違い”に対して嫌悪感を示すのではなく、耳を傾けられる。
その姿勢こそ知性だ。
“ノンバイナリー”を“解放”と訳したっていい。

②隠れたバイナリーへの疑問

自身のジェンダー・アイデンティティが確立され、二元論から解放された後、社会に蔓延るジェンダー規範や、周りの人々に対して無意識に抱いていたバイナリーな視点を改めて見つめ直す。
このシステムはシスジェンダー基準ではないか?
この表現は誰かを排除していないだろうか?
マジョリティ中心に創造された世界で、マイノリティの存在を想像する。
浮かび上がってくる構造的差別は、隠された真実を教えてくれるはずだ。
それは不快で、受け入れ難く、苦痛を伴うものかもしれない。
「真実とはそういうものだ」と受け止めることが始まりだ。

③開き直り

追いかけてくる不安。
埋められない孤独。
底の見えない暗闇。
裏切りが導いた絶望。
クローゼットに満たされた沈黙。
YES or NO?
何度も何度も自問自答を繰り返す。
でも、正解は絶対に出ない。
なぜなら、求めているのは3つ目の選択肢だからだ。
「自分として生きていく」
ある日突然、視界が開けるのか、それともじわじわとやってくるのか、開き直る瞬間がいつ訪れるのかはわからない。
ただ、その瞬間の先には、他の誰にも真似できない、驚くべき未来が待っていることだけは約束しよう。

④曖昧さの受容

「いつまで迷っているつもり?」
「早く決めなよ」
優柔不断な自分は周りからよくそんなことを言われてきたし、自分でも自分を急かしながら数々の選択をしてきた。
曖昧な状態は“弱さ”だと考えていたから。
ある時、セクシュアリティの揺らぎを感じ、ジェンダー・アイデンティティにじっくり向き合って、長期間悩む日々を過ごした。
視界が霞んだままさまよった末、このぼやけた世界にも名前があることを知った。
そんな経験をすると、他の流動的な物事に対しても、落ち着いて対峙できるようになった。
必要以上に焦ったり、決断できない自分を責めたりすることなく。
目の前に真の“答え”があるかもしれないのだから。

一つ一つの変化には、メンバーの方それぞれのエピソードがあって、孤独に寄り添った物語は柔らかい光を放っている。
個人情報を書くわけにはいかないから、どうしても抽象的な記述になってしまうけど、自身の体験を思い起こしながら、相手に届けるためではなく、かつての自身に語りかけるように言葉を紡いだ時間は、かけがえのないものだった。
揺らぎの中でがむしゃらにもがいた過去の経験が、今を生きる誰かに響く瞬間にも立ち会えた。

不安定な社会と予測不能な未来。
僕らの世界はまだぼやけている。
でも、だからこそ、美しい。

Fear or Love?

2022年7月14日
ノンバイナリーデーには何か行動を起こしたくなる。
ノンバイナリーの可視化チャレンジだ。
朝起きて、ダンボールでプラカードを作る。
黒の画用紙に白ペンで大きく書き込む。

“NON-BINARY IS HERE”

こういうのは一度でも立ち止まって考えたらダメなので(笑)、勢いに任せてどんどん動く。
午後、駅まで移動する。
当日は雨が降っていたので、駅前の屋根のあるスペースを探して座り込む。
もちろん一人だ。
田舎でノンバイナリーの仲間を探すのは至難の業だし、見つけても共にリスクを背負えるとは限らない。
Queer当事者を探すのだって大変だ。
本音を言うと、若者を探すのも大変だ(笑)
長時間じっと路上に座っているのは疲れるから、本を読んだり、ノートに思い浮かんだことを書き連ねたり、自由に過ごす。
最初は慣れなくてぎこちなかったが、一時間もすれば景色に溶け込めるようになる。
夕方の帰宅ラッシュの時間になると、人通りが増えてくる。
通り過ぎる人たちは不思議そうにこちらを見ている。
彼らは一体何を考えているのだろう?
「変な人がいる」とか?
「NON-BINARYってなんだよ」とか?
まあ、何を思われたって構わないが。
だって、それが日常だから。
基本的に「変で」「人と違っていて」「奇妙だ」と思われているQueer。
10代の頃はいじめも暴力もたくさん経験したし、それに比べたら、直接攻撃を受けないだけマシだ。
冷たい視線よりもはるかに辛いことがある。
自分が一番恐れていること。それは……

答えは映画『The Batman』(2022)に登場する。
Riddlerのなぞなぞみたいになってしまった。ハハハ。
空が暗くなってきた。
この雨はいつになったら止むのだろう……?
誰とも話さずに今日を終えるのかとぼんやり思った頃、ある人が声をかけてきた。
(絶対宗教勧誘だ!! 絶対宗教勧誘だ!!)
SNSに影響を受けすぎた自分は、とっさに防御モードになる。
その人は何か話したそうで、とりあえず近くのベンチに移動して話を聴くことにした。
「ここで何のために何をしているのか」
「ノンバイナリーとは何か」
「ジェンダー・マイノリティの若者たちがどのように困っているのか」
相手の質問に一つ一つ丁寧に答えていく。
ノンバイナリーやジェンダーの説明はそれこそ数十分かかって、相手の反応を確認しつついろんな表現を用いながら、同時に、こんなにすらすらと次々に言葉が出てくる自分に驚いている。
初対面の人とうまく話せる事ってほとんどないのに。
たぶん、真摯に聴こうとしてくれたからだ。
話が落ち着いた頃、なんでわざわざ声をかけたのか尋ねると、「若い子が雨の中ずっと座っているのを見て、体を壊さないか心配だったから」ということだった。つまり、宗教勧誘ではなかった。しかも、自分は10代だと勘違いされていた(笑)
ご本人は若者と話す機会は滅多にないらしく、「私はもう70代だけど、あなたと今日こうしてお話して、たくさん勉強させてもらった」と嬉しそうに語っていた。
(映画かよ……)と心の中で思ったが、映画よりずっといい。
約半世紀も年の離れた人と隣に並んで、ただ話をすること。
自分の基準に当てはめず、一生懸命相手の話を聴くこと。
「たったそんなこと」と思われるようなこと。
それが世界を変えていく。
むしろ、そういうことでしか世界は変えられない。
少なくとも自分にとっては。

対話の最後の方で、印象的な瞬間があった。
ジェンダー問題について一通り話し終えた頃、相手が納得したようにこう伝えてきた。

「あなたは大きな愛と自由な心を持っているんだね」

!!!!!?????
これまでそんなふうに言われたことはないし、自分自身をそうだと思ったことなどない。
だから、率直にこう返す。

「自分が特別自由だとは思っていなくて、なんというか、むしろ、自分の周りの人たちが縛られているって感覚なんです。
“男らしく”とか“女だからこうあるべき”とか、勝手に制限をかけている。本当はもっと自由になっていいのに」

相手は少しびっくりしたような顔で見つめてから、笑っていた。
自分も笑った。
その瞬間舞ったスパークスは、雨の雫に反射して、美しい画を描いた。
あの夜体験した高揚は、鼓動と共鳴し、自分の核に刻まれた。


ノンバイナリーや、今もジェンダー・アイデンティティに悩んでいる若者たちへ。

君はこれからもたくさんの苦痛を経験する。
攻撃は容赦なく降りかかってくる。
そんな混沌の中にあっても、君は“答え”を見つけることができる。
たとえ見つけられなくても、君自身がその答えになれる。
その存在を知らずに世界が周り続けようとも、真実は君自身の中で生き続ける。





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