コロナ私史 令和2年1月

国内初の新型コロナ感染者が確認されたのが1月15日。当時はまだ海の向こうで猛威を振るう感染症といった認識で、我が国に入ってこないよう祈りつつ過ごしていた人が多かった。政府の目下の課題は、中国武漢からの邦人救出オペレーションであって、世界各国と見比べてチャーター機だとか軍用機だとか離陸の許可を取れたとかなんとかをワイドナショーは競わせていたような気がする。未知の感染症を患っているかもしれない帰国者を受け入れた金のホテルが義士だと称えられ、協力したホテルや病院にはしっかりと損失補償をして報いてあげないといけないよねといった段階だった。

つまり、コロナ感染がまだ特異な災害であって、受忍すべきリスクの発現以上の、ひどく不運な状態だよねという国民的な同情が成立していた時代かなと思っている。我が事としてコロナを捉える人はまだ少なくて、感情的な反応を見かけることも少なかった。

政策面では、有事の邦人救出オペレーションの精緻化や自衛隊の活用改善(輸送機は確かこの時キャパが小さいという理由から民間機のチャーターになった)に問題意識。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?