コロナ私史 令和2年2月

黒船が来た。3711人もの潜在的なコロナ感染者を乗せた船が首都の鼻先にある。検疫に時間がかかる間、部屋に閉じ込められた人々からは豊かな休暇から一転した不満が漏れ聞こえ人権派の同情を誘う。ひとつ船の中というイメージや増加する陽性者数から、そこでウイルスを増殖させているかのような不安が広まる。実際は政府の客室隔離より前に、客船側の判断のもと通常通り船内娯楽が提供されていたことが当時の陽性者数の増加カーブの要因であった。しかし2週間後の発症というのは当時の直感では分かりにくい。そこに更に、専門家を自負する医師が船内に侵入し正義の告発者とばかり語り出す。この頃からコロナを燃料にした深刻な争いが我が国で始まった。理想と現実の綱の引き合い。知識人と呼ばれる人々が問題点を指摘するのは容易い、そして問題点を痛烈に批判することを我が社会は知的でリベラルなことの象徴とし続けてきた。一方で、実行者の立場ではそれほど身軽な思考は出来ない。経路依存性の多分にある環境下で、それでも最善の選択肢を選び続けていく作業に従事する人たちの味方をする人は少ない。

下船時には、公共交通機関で帰ってもらうことで、結果的に感染を広めることに繋がってしまった。正直ミスだと思うが、社会の叡智が分断され散逸していなければもっと熟考された判断が為されたのかもしれないと少し悔やまれる。我々は等しく社会を支える者として生きていく。評論家と実行者ではなく、協同する市民として社会に与ることが必要だ。

政策面では、感染症病床や感染症対応の気密救急車などの適切な設備、旗国主義と検疫実施国の負担、リスクコミュニケーションと扇動的言説への対処といった諸課題が浮かび上がった。

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