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キャンサーギフト

癌とは不思議な病気で、痛みとかなく進行するので心筋梗塞や脳梗塞などと比べて死ぬまでの時間が長い。たとえ末期だったとしても症状が出て即死というのは稀じゃないかな?
だから芸能人とか治療しながらテレビ出演したりしてるし。抗がん剤治療受けながら通勤してる人も多いと聞く。

日本人の死因ベスト1位な悪性腫瘍だけど、死ぬまでに色々準備やら考える時間があって、そんな時に生き方かえたり、人間関係かわったり癌とわかってから色んな気づきや変化がある事をキャンサーギフトとよぶ(と私は認識してる。正式な出所を調べたわけじゃないのであいまいに誤魔化しちゃう。へへ)。

そのキャンサーギフト。確かに受け取ってるなぁとしみじみ思う。
子育てに関して、癌があろうがなかろうが同じスタンスでいたつもりだったけど、今の方が確実に諦めが早い。それいいの?って感じだけど少なくとも私と子ども達の距離感が程よくなった。思えば私、結構な完璧主義を子どもに投げつけてたんかもなぁと今なら思う。
ささやかな事なんだけど、伝えた事をやれてないとキレてた。
「約束したやん!なんで守らんの!!」
って。
だいたい将来のためにこうした方がいいって私が思う事なんだなぁ。
でもがんになって大人になるまで見守れんかもしれんなぁって思った時に、これ重要か?って今までしばってきた約束の数々が不用に思えてきた。

子育ての断捨離

時代も変わるし、私の考え方とかぴょんと飛び越して飛び立って欲しいとか思いながら私の今現時点の固定観念でぐるぐる巻き…どないやねん!!ツッコミどころ満載ブレっブレな子育て方針( ̄O ̄;)

というわけで、勉強せずに遊びに出かけようが笑顔で送り出す。子どもの人生にいつまでも並走できないし、「なんであの時もっと勉強しろっていってくれなかったん?」って怒ってくる事はまずないよね。とりあえず放任主義で育ってきた私が母にそんなことを思ったりしない。

そして最近の私の合言葉はこれ。

「そんなんにストレスためるくらいならほっとこ。」

余計なストレスいらん。だから子どもだろうと他人の事は放置。どうせ自分の人生自分しか引き受けられないんだから自由に自分で引き受けていこ。

片付けしてなくて「あれどこ?」にも
「どこいったんやろなぁ。残念やなぁ」
とか言いながら動かない。一緒に探したりしない。前やったら確実、「なんでちゃんと片付けせんの!!」とかぷりぷり怒りながら一緒に探してた。
やらんでいい事やってたわぁ〜。

でも、歩くところに物置きっぱなしとかされてたらギャンギャン怒るけどね。それはホンマ迷惑やし足の裏痛いねん!!(踏んだ。サクッと。)

そしてもう一つは人間関係について。
正直、ママ友問題につまづきまくって疲れ果ててた。子育て終わったら今住む土地離れてどっか引越しできんかなぁくらいに嫌気がさしてた。
何がキッカケなのかわからないけど、急に私を無視してきた人が2人いた。そのどちらにも「全然理由がわからなくて、直せる事は直したいし、気づかんうちに嫌な思いさせたなら謝りたい」と連絡したけど、1人は「忙しくて時間とれない」と拒否して諦めたけど数ヶ月後に笑顔で話しかけてくるようになった(不気味すぎる…)。1人は話し合いの場が設けられたけど頑なで謝罪しても気持ちは変わらない感じだった。(え?じゃあなんで会う事にしたの?謎すぎる…←きっとそうやって茶化す所が気に食わんかったんやろな…ってわかっちゃいるけどなかなか人間変われない…)

なんかねぇ…40歳も過ぎて「シカト」かよ…って思っちゃう。子どもじゃないんだから、毎日顔合わせるわけでもないのに自分の不快を人に投げつけないで生きられないものかねぇ。

けど、そういう人たちにも子どもの行事やらなんやらで顔合わせるし、その度挨拶しても無視される塩対応を受けるんだねぇっていうのに疲れた。
夫からは「そんなんほっとけ」って言われて「そうだな」と思うけど、いちいち気にしてしまう自分の性格のやっかいさよ…。

息子のイジメ問題も含めて自分もうまく立ち回れてなくて、親子でコミュ症起こしてるって気もするけど、そんな所で上手く立ち回る必要ってあるん?自分には合ってないのかもしれんなぁと、今思うと孤独感と閉塞感でどんどんあかん思考に落ち込んでいってた。なんかもう色々と疲れ果てて、誰とも会わずに過ごせたらいいのに…って思ってた。息子のイジメ問題とか自分自身のうまくやっていけなかった人のことを考えてその他全員この土地まるっと「無理かも…あわんかも。」ってなってた。

だから、がんが発覚した後すぐ、自分の葬式には家族だけでママ友とかそんな人達に来てほしくない、誰にも知られずひっそり終わればいいって思ってた。
意地悪する人しか頭になくて病んでたよね。周りが見えなくなってた。

仕事も休業して、人とも会わずに自分を見つめる日々の中、神様って会うべき人に会わしてくれるんやなぁって今なら思う。
ちゃんと愛すべき心優しい人達が周りにちゃんといたのに見れなくなってたって事に気づかせてくれた。

スーパーで偶然久々に会ったママ友から痩せた事を言われて、この人なら話してもいいかな…って恐る恐る話すとそれから1ヶ月に一度くらいのペースで私の家にハグしに会いに来てくれるようになった。
「急に来てごめんね。ハグしたらすぐ帰るからね。毎日どうしてるかなって考えてるよ。元気そうでよかった。」
そう言って笑顔で去っていく。

知り合いが多くて情報たくさん持ってて、これが効くらしいよと色々教えてくれる人。

水素吸入がいいらしいって話をすると、それ持ってる!いくらでも使ったらいいよと30万もする器械を気前よく貸してくれる人。

夫の知り合いなのに、私に直接連絡くれて「ここのクリニックのここがいいよ」とか「筍取りにいかへん?」とかまめに連絡くれる人。

がんのおかげで優しい人が寄ってきてくれて、少しずつ硬くなった自分の心がほぐれてきてるのを感じる。

あぁそりゃがんにもなるわな…って今までの思考思い出して納得する。
うまくいかない方にばかり注目してカチコチに凝り固まった頭でぎゅうぎゅうに自分を縛り付けて知らず知らず身動きできなくなっていた。そりゃ内臓も凝り固まって誤作動起こすわ。体と心は連動しているってホントそう思う。
どんだけ健康に気を遣って運動とか食事に気をつかったところで心がちゃんとしてなかったらダメなんだなと癌のおかげで芯から理解できた気がする。

今の私は心の鎧いを少しずつ剥がしていく感じ。
頑張らない。
自分だけで生きていくのは無理。
体が誤作動起こしがちな今、家族に頼って生きて行くしかない。

今の私の目標はこれ!
「甘え上手になる。」

すっっっっっっっごく苦手で避けて通ってきたジャンル。

正直、自分が頑張ればなんとかなるならそうしたい。そっちの方が自分には楽だから。ずっとそうやって「頑張れ自分!!」って生きてきたし。
でも今回ばかりはそんな風に生きていけない。
頼って迷惑かけてそれでも少しでも長く生きて欲しいって思ってくれる家族に感謝しながら、自分の心をほぐしながら生きる。
たぶん…いや、絶対癌にならなければそんな思考の切り替えが必要なんて思わなかった。ずっともっと何を頑張ればいいのか…そんなことばっかり考えてきたから。

師匠は猫。

我が家には犬がいるけど、ご主人様のために頑張りすぎるきらいがある…。
「いや、そんなん求めてないよ」って事にやったら頑張って吠えまくったりする。(ホンマそれいらん)だから全然参考にならん。って思った時に窓際でのんびり過ごすどこかのお家の猫さんが目に入った。これだ!!

という訳で、なでたら気持ちよくなるような毛並みや、しなやかな体躯もないけれど、たまに家族にヨシヨシしてぇって感じでまとわりついてゴロゴロいっちゃう猫のような人間になります。とりあえず今の私の理想の生き方。
癌よありがとう。こんな事堂々と言えるのも癌のおかげです。
(でもこれ家族が読んだらブチ切れそう。笑)

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