呪呪ロール


タイトルに特に意味はない。語感と字面が良かったので。

アドベントカレンダーのような締め切りがないので、ダラダラ書くことと相成った。しかしアドベントカレンダーにインスピレーションを受けたので雰囲気は寮を想定している。

文章の主眼はロールについてである。キャラクターとか、役割とか、立場とかと適宜言い換えてもよいと思う。「そんな柄じゃない」という言葉の、「柄」の部分である。


人間は社会的生物なので、社会における自らの役割を「演じて」過ごしている。人と接するとき、自分というキャラクターを演じている。
これは非常に社会的なふるまいである。想定された振る舞いはコミュニケーションのコストを下げる。また、共通の文脈はコミュニティーの結束を強める。このこと自体は何ら問題ではない。
ではなんで、このことを取り上げたかというと、一つには寮のような、あるいはすべての組織でそうかもしれないが、固定されたロールを通して人を見る結果、その固定が強まってしまう傾向が非常に強いと感じたからである。閉鎖的な組織、小さい組織、緊密な組織ほどその傾向が強いと感じる。
あの人はそういうキャラクターだから、ですべて片付けてしまう。その人の行動を、その人のキャラクターに沿って解釈してしまう、そういう機能がきっと人間にはあるのだろう。
また、キャラクターに沿ったふるまいを要求してしまうこともあるだろうと思う。この人といえばこれ、というような発言をその人から聞ければみんなが楽しそうにする。それはその人を緩やかに縛っている。
これらは自分でも身に覚えがあるところがある。だって楽だから。あとは、組織内の人のキャラクターというのは組織内の文脈であり、文脈を共有すると人間は結束感を味わえて楽しい。
いずれにしろ、やりすぎは良くないというのは真理なのだろうと思う。反省しなければならなかったタイミングもあったと思う。

そういえば、スタンフォード監獄実験というのにも、近しい部分がありますね。ロールが行動を規定し、縛ってしまう。エグいが面白い話だとおもう。


ロールを縛るのは他人とか状況とかだけではなくて、自分自身のキャラクターということもある。

最近、若干深刻なお悩み相談みたいなのをしているときに、まあ色んな行動があるよね、という方向性になりかけたところ、「そういう風にするのが良いかもしれないとは思っているけど、自分はずっとそういうやり方ではなかったから、できない」という旨の発言をされたことが引っかかっている。
「自分のやり方でしかできない」。他人がほかのやり方を実践しても別に問題も違和感はないが、自分がやっていると自分に違和感があったり、抵抗感があったり、気恥ずかしかったり、自分のやり方にこだわってしまう、など心の中でいろいろな要因と葛藤があってこの発言に集約されたのだろうと思う。
自分のキャラは自分の行動で作り上げてきたものだが、いつしか自分のキャラに自分で縛られてしまうということが起こりえる。その固定化の力は強い。

実際、キャラはあんまり変わらない。寮で見てきた多くの人はそうだったので、私は基本的にはそう考えている。18,19で入寮してきて、22、23、あるいはもっと年を重ねて退寮するまでに、キャラクターひいてはその人の人柄そのものが変わる人は少ない。別に変える必要もないのでまあ。

自分のやり方とは別のやり方をしたくないのであれば、する必要性はない。
ただ、別のやり方に興味があって、それを選ばない理由が「自分のキャラとは違う」ことでしかないのであれば、それは惜しいことだと思うってことだけ伝えたかった。伝わっているといいなと思う。

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