不夜城を思う

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2021(https://adventar.org/calendars/6338)の20日目の記事です。
自分の書く熊野寮アドベントカレンダーが熊野寮についての記事ばかりになるのおもんねえなーと思いつつ

寮の後輩と焼き肉に行き、寝て起きてAM3時にこの文章を書いています。
面子の半分は私と在寮期間がかぶっていませんでした。こわいね。

早いもので、京都に来てから8年が、寮を出てから2年が経とうとしています。
初めて寮に来たときのことを今でも覚えています。
なぜ談話室に居つくようになったかはあまり覚えていません。

後輩に昔話をしてしまう機会がちょくちょくあります。
自重するようにしているつもりが、口から零れてしまっていることを自覚はしています。ごめんね
空間から記憶が薄れていくような、その寂しさに耐えられない弱い人間です。

記録、大事ですよ。一時期は寮のイベントがあるたびにたくさん写真を撮っていましたが、日常を納めた写真は多くはありません。日記とか、記録とか、そういったものもあまりありません。(twitter…?)。
そういえば私は5,6年目くらいの時期に、あったことを箇条書きにする形で日誌を付けていました(祖父がやっていたのを真似た)。今回読み直して懐かしい気持ちに浸れました。結構お勧めです。まあでも1,2回生くらいの思い出したいときの部分はないしな。

色々なことを忘れてしまった気がします。形にして残しておきたかったな。でもそれは難しかったでしょう。
京都に来たばかりのころ、あるいは大学生活を通して、目の前のことを楽しむことで一杯一杯でした。それは覚えています。これは反省です。
人間的な成長もなく、それで失ってしまったものも多くあります。その代わりに得たものに、価値があったと信じたいところです。

最近一回生が同期でアヴァロンをしたなどの話を聞いて懐かしい気持ちになりました。なので(芸が乏しくて恐縮ですが)、2014年入寮同期の男5人の話を少しだけ。
個性、キャラクターがそれぞれ強く、そしてまたよく談話室で遊びに遊んだ仲でした。タイトルにもした通り、やはり同時に思い出すのは夜の談話室のイメージです。夜になると人が談話室に集まり、そうなって初めてさあ今日は一日何をして過ごそうかとさえ考えていました。夜は世界の中心でした。
人物の話をすると、皆、我が強く、好きなものをしっかり持っていて、自分の考えをしっかり持っていて、それに殉じて生きることができるやつらで、俺は尊敬しています。
夜中に麻雀マイティカタンスマブラ囲碁他様々にあそびました。あでも我々の世代だけで4麻の卓が立ったのは実は一回限りかもしれない。アイドルのライブ動画やシンガーソングライターの曲を視聴することもあればテニスとかサッカーの試合を見ることもありました。クッソ長い議論をしたり論を聞いたり回もありました。パッと思いついたところで行くと(よく擦るネタなので思い出しやすいだけであり、思い出したらその都度書き出していきたい)、店で出てきた食べ物を残す残さないの議論、夜中に口笛を吹く吹かないの論争、新歓で会った女の子をデートに誘うにはどうしたらいいかとか。
論を戦わせるタイプの議論以外にも、漫画談義(むこうぶち牌姿当てクイズ(←これは異常者)、毎週のジャンプ(特にサモナーと青春兵器全盛期だった、あとアクタージュとか))、カンボジアの学校建設ブローカー説、文系的な各種思想へアクセスしやすくするポータル的システム、風俗の話、ダークソウルの話、マイティ倍プッシュ議論、鳴くときに「ティー」っていうのやめろ議論、同じタイミングで別々でヒッチハイクで東京に行く計画を立てていることが明らかになり爆笑した回、などなどいろいろ。あー懐かしい
寮祭実行委員もやりました。
俺以外喫煙者だったので、よく一緒に吸っている姿も見ました。
あーあとなんだっけなー

めちゃくちゃよくしゃべっていたし互いの性格はわかっていたと思いますが、当時から皆別々の方向を向いていたと思います。私としてはそうした中でも一種のバランスのようなものが保たれていた感覚があってそれを共有できていた気もしていてもしそうならそれこそが美しさだったなとか訳の分からないことを考えることもあります。まあ、で、今もそれぞれの全然違う、人生を送っています。
結節点としての熊野寮で彼らと出会えたのは本当によかった。

一人は途中で失踪しました。いったんは消息をつかめたみたいですが、その後はまたわかりません。何も言わずに消えたんだから声をかけてほしくなかったんだろう、そういう時もあるだろう、あいつがそうするのだから、いつかは戻ってくるさと謎の信頼をしてあまり探しませんでした。結局戻ってくることはなく、一度消息をつかめたことはありましたが、その後はまた不明です。躍起になって探さなかったのは今でも後悔していることの一つです。
個人的には考え方の向きというか思考のプロセスの追い方が近いなと思うことがあった。まあ人当たりのいい奴だったので、俺が勝手にそう思っていただけかもしれないけれども。何かのかけ違いがあって、上手く行かなくなってしまったのか、俺には想像することもできないけれども、どこかで生きていてほしい。生きていたいと思えば生き延びることはできるとは思うけど、生きていたいと思ってくれているかどうかも今やわかんないんだよな。ただ願っています。連絡をよこせ

私含め、残りの4人は同時に卒業しました。といってもずっと同ブロックだったのは自分とEQお化けのヤクザ顔だけで、ほかの二人は他ブロックだったり下宿していたりで近くに住んではいなかったのですが、それでも同じタイミングで卒業できたのはシンプルに感慨深かったです。これらとはたまに連絡を取っています。
それにしても俺以外はみんな2年ダブってるし、俺はダブってこそないけど大学院で特に何もせず(これは謙遜ではなく本当に特に何もしていない)、客観的にみるとのんびりと暮らしたもんですね。ネタにする以上に悪いと思っていないのであれですが。
(あんま関係ないけど本当に留年しとけばよかったって思ってるよ 今はね でも今のまま当時に戻ってもやっぱり留年しないかもしれない。怖いもんな 怖い以上の理由はない。怖い以上の理由がないまま無自覚にただ卒業したのは普通に恥ずかしいと思っている)
みんなして社会人という謎の概念上の存在に一瞬化けたものの、最近は休職したり退職したり、逆に土日出勤させられてたりするようで、私も特に昨年度くらいは上司とそりが合わなかったりして結構キツイ思いをしたりしていました。
そういう意味では、生きづらい奴らという点では共通していたかな まあ人間だれしも生きづらいものか 程度の差が大事なのであって

あの頃、夜は世界の中心でしたが、気を抜くと空はすぐに白み始めるものでした。あるいは、その瞬間が一番好きだったとも思えます。空が白み始めたころにファミリーマートへ向かうときの空気ほど美しいものはありません。
現在、私の夜は長いです。それでも朝は来ます。残念ながら


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