見出し画像

私の健康のこと-耳の聴こえと補聴器体験-(前半)

こんにちは。ななかなです。

2024年がスタートしてもう1月も半分終了。
みーんな同じ時間を過ごしているはずなのに、子どもといると24時間は本当にあっという間。子供が二人いるのですが、時間の体感速度がお子1人の時と比べると2倍(笑)

ということで?、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
年末年始モードからようやく平常モードです。

そして記念すべき2個目の投稿笑
始めたばかりのnoteで大したテーマもないけど、自分自身のことを中心に書きつつ、何かしら自分の中で整理できたらなーと思っています。

今回のテーマは「私の健康について-耳の聴こえと補聴器体験-」

人ってさ、パッと見ただけではみんな健康そうだし、元気そうに見えるけど、意外と人それぞれ体調不安、体調不良を抱えているものだと思う。
私も見た目は(おそらく笑)普通だけど、体に不調を抱えて生きている…

◆中耳炎になった話

私は3歳の頃風邪を引いて重度の中耳炎になった。
病名は「真珠腫性中耳炎」。
そしてそれがきっかけで今も左耳に難聴が残っている。
聴こえのレベルとしては、右耳(正常)の半分くらい。

少し長くなるけど、当時の様子を思い出しながら書いてみようと思う。

私の場合、中耳炎の症状が結構ひどかったようだ。
耳垂れが出たり、膿で中耳(鼓膜の中)にある音を伝える骨「耳小骨」が溶けて破壊されてしまい、大きい病院で複数回手術を受けた。
今は人工の骨が耳の中に入っているらしい。
(ちょっとグロいですよね、ごめんなさい💦)

◆中耳炎の治療。入院、そして手術

骨が解けるほど悪化してしまった中耳炎。
これはもう手術するしかないだろうと、
3、5、10歳と3回に渡り通院、治療、そして手術、入院をした。

最後に入院・手術したのは小5の夏休み。
この入院では聴力を回復させる為の手術を受けた。

手術は嫌だし怖いし、入院生活も子どもの私には退屈で、早く退院したくて、1日の終わりにカレンダーに大きく×と印を付けていた笑
そして毎週月曜19時から放送されていた犬夜叉とコナンを観るのがとても楽しみだった。
(後に犬夜叉の大ファンになる…)

入院中は大部屋で、向かいのベッドには扁桃腺の手術で入院していた年下の女の子と、絵を描くのが上手なおばさんが居たことを覚えている。
(女の子とは日中よく病院内を探索したり、ナースステーションにもたくさん遊びに行った)

回診にくる看護師さんの中にとても気の合う方がいて、会うたびにいろんな話をした。
絵を描いたりして、よく遊んでもらった記憶もある。
退院する時はお礼の手紙を書くほど、大好きな看護師さんだった。
今となっては名前も忘れてしまったけど、顔はなんとなく覚えている。

しかし10歳ともなると夜間の親の付き添いは無く、母は仕事が終わってから車で1時間かけて面会に来てくれて一緒に夕飯を食べたり、私の身の回りの世話をしてまた車で1時間かけて帰宅、3つ上の兄の面倒も見ながら、
とにかく超絶ハードな生活を送ってくれていた。

私は、大好きな母と離れるのが寂しくて毎晩泣いてたし、どうしても眠れない時は暗い廊下を歩いてテレホンカード(懐)で公衆電話で母に、そして時には父に電話した笑
"いいから早く布団に戻って寝なさい!!"
って叱られたし、何回も掛けすぎて母の携番この時に覚えた。
おかげで今でも母の携番言える笑
母からしたら、家に帰ったらやること山積みなのに、毎晩のように電話が来て、迷惑だったと思うけどあの頃の母には感謝しかない。

手術のことは断片的な記憶だけど、全身麻酔の為前日の夜から絶食。
親と離れるのはもちろん、私1人で恐怖の時間と闘わなければならないのが怖くて、涙拭く用に持ってたタオルを手術台の上に置かせてもらった笑
超絶ビビりで臆病で、寂しがり屋だったんですね、わたし笑。

術後は気づいたら病室の天井と母の顔が見えて、ホッとしながらまた眠りについたのを覚えている。結構長い手術時間だったようで。
切開した部分が早く回復するように耳と頭を、まるでミイラのように包帯をぐるぐる巻きにされ何日も過ごしたっけ笑
当時習っていたピアノの先生、地元の幼馴染、いろんな人がお見舞いに来てくれたけど、包帯ぐるぐるで恥ずかしかったなぁ。笑
耳の後ろを切開しているので、自分で傷跡を見ることはできないけど、骨を削ったのか右とは明らかに違う感触。笑

退院する日は3つ上の兄、そして父も病院までお迎えに来てくれた。お会計を済ませ、病院の外に出た瞬間、モワッとした夏の暑さと蝉の声がガンガンに鳴り響いてたのを覚えてるし、何より外の光が眩しかった笑

でもやっぱり外はいい!!もう入院なんてしたくない!!

と幼いながらに思ったよね。

長くなってしまったのでここまでで今日はおしまい。

次の投稿でいよいよ、約30年の時を経て補聴器に出会います…!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?