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沖田総司とは何者?沖田総司の人生に迫る!

皆さんは、新選組きっての剣豪、沖田総司のことをご存じでしょうか?
沖田総司という名前は聞いたことあるけど、どんな人物かは知らない……。
そんな方もいるのではないでしょうか?
そんな方のために沖田総司(おきたそうじ)の生い立ちや人物像、関係してきた出来事を紹介していきます。この記事を読めば、沖田総司のことをより深く理解できることは間違いないでしょう。

〇沖田総司がいた新選組ってそもそも何?


沖田総司は新選組(しんせんぐみ)屈指の剣豪です。
沖田総司が所属していた新選組は、江戸時代の終わりに京都で活躍していました。「尊王攘夷思考」(そんのうじょういしそう:天皇を敬い、外国人を追い払う考え)と呼ばれる考えを持ち、反幕府の取り締まりや治安維持に貢献してきた組です。
新選組の主要メンバーとしては、沖田総司のほかに近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじがたとしぞう)らがいます。

〇沖田総司の生い立ちや生涯


沖田総司は1842年(天保13年、もしくは天保15年)に白河藩に足軽として奉公していた沖田勝次郎の子として、江戸の白河藩邸(現在の東京都港区西麻布)で生まれました。

幼少期に両親を亡くしたため姉が家督を相続するものの、沖田家は白川藩をぬけて浪人となったために、苦しい生活を送ることになります。

1850年(嘉永3年)には剣の腕前が評価され、天然理心流道場「試衛館」(しえいかん)(現在の東京都新宿区)に入門して剣術を極めました。
さらに新選組のメンバーである「近藤勇」の養父である「近藤周助」(こんどうしゅうすけ)に弟子入り。
沖田総司の剣豪の才能は抜きんでており、若くして「試衛館」の塾頭を務めています。

1863年(文久3年)には近藤勇や「土方歳三」(ひじかたとしぞう)らとともに、徳川家茂の上洛にあたり、将軍援護のために作られた組織である「浪士組」(ろうしぐみ)の一員になりました。
同じ年に(同年8月)京都に留まった浪士組のメンバーとともに「壬生浪士組」(みぶろうしぐみ)を作り、「八月十八日の政変」(はちがつじゅうはちにちのせいへん)と呼ばれるクーデターを制圧するために出動。
「八月十八日の政変」(文久3年)の鎮圧に貢献したことが認められて、松平容保(まつだいらかたもり)から「新選組」の名を賜ります。

一番隊隊長を務め大活躍していた沖田総司でしたが、1868年(慶応4年/明治元年)には発症していた肺病の療養に専念するために江戸に向かうこととなり、戦前を離脱するという結果に。
江戸で療養生活を送っていましたが回復はせず、1868年(慶応4年/明治元年)に千駄ヶ谷(現在の東京都渋谷区)にて帰らぬ人となりました。

〇池田屋事件の惨劇と沖田総司の関係性


皆さんは池田屋事件(いけだやじけん)という事件のことはご存じでしょうか?
池田屋事件は沖田総司にとって大きな関わりがある出来事の一つです。
池田屋事件とは1864年(元治元年)に新選組が尊王攘夷派(そんのうじょういは:天皇を敬い、外国人を追い出す考えを持った人達の一派)を制圧した出来事のこと。
この事件は名前の通り、「池田屋」という旅館(京都府三条木屋町)で起きました。
池田屋で集まっていた尊王攘夷派の志士を新選組が襲撃し、尊王攘夷派に大きな被害を及ぼします。
因みに新選組は、最初から尊王攘夷派の志士が池田屋に集まっているということを知っていたわけではないそうです。そのため、とにかくしらみつぶしで色々な旅館を回ったと言われています。

そんな苦労の末に、尊王攘夷派の志士を見つけることができた新選組。
剣術を普段から鍛えている新選組は戦いの中で有利にたてると想われましたが、いくつか思わぬ事態が発生し、不利な状況に立たされることに。
その一つとして沖田総司の話が出てきます。

新選組屈指の剣豪として活躍してきた沖田総司が、なんと戦いの途中に喀血(かっけつ)を起こし、まともに戦えるような状態ではなくなってしまったのです。

沖田総司の病以外にも、共に戦っていた藤堂平助(とうどうへいすけ)が額を切られ重症に陥ったり、永倉新八(ながくらしんぱち)の刀が折れるなどの思わぬハプニングが起き、新選組の戦闘要員が減ってしまう事態に陥りました。

そんな不利な状況に置かれてしまった新選組でしたが、土方歳三(ひじかたとしぞう)が到着してから状況は一転。
土方隊が戦いに加わったことで、新選組は勢いを取り戻します。
最終的には尊王攘夷派は討ち取られたのが9名、捕縛されたのが4名だと言われており、池田屋事件によって受けた影響はかなり大きなものだったとうかがえるでしょう。
 

○新選組屈指の剣豪が愛用していた刀とは?


新選組屈指の剣豪として大活躍していた沖田総司。
そんな彼が愛用していたとされる刀は何かご存じでしょうか?
沖田総司が所有していたといわれているのは、「菊一文字則宗」(きくいちもんじのりむね)、「大和守安定」(やまとのかみやすさだ)、「加州清光」(かしゅうきよみつ)の三振。
ちなみに菊一文字則宗に関しては、入手の困難さから沖田総司が所有をしていた可能性は低いとの見解があります。
そこで今回は「加州清光」と「大和守安定」についてみていきましょう。
 

・加州清光


沖田総司の愛刀のうちの一本である加州清光は、なんと池田屋事件の時に沖田総司が帯刀していたと言われている刀です。池田屋事件といえば、かなりの激戦となった出来事。そんな激戦を戦い抜く際に持っていく刀として選ばれた加州清光は、沖田総司から絶大な信頼を受けていたのではないでしょうか。
そんな加州清光の刀剣の種別としては打刀(うちがたな)に分類されます。
ちなみに加州清光は切っ先が折れて修理に出したものの、修理不可として戻ってきたという記録が残っており、現在まで残っていない刀です。
 

・大和守安定


大和守安定は紀伊国(現在の和歌山県)出身の刀工。
切れ味が抜群によかったことから人気を博しました。
刀工ランクにおいても「良業物」(よきわざもの)に分類。
長曽禰虎徹」(ながそねこてつ)と似ていることも特徴の一つとして挙げられます。ちなみに長曽祢虎徹は江戸で作刀した刀匠(とうしょう)です。
新選組局長近藤勇の佩刀(はいとう)ともいわれている説もあります。
そんな長曽祢虎徹と似た刀である、大和守安定を愛刀として大切にしてきたことからも、沖田総司が近藤勇のことをかなり強く慕っていたことが伺えるでしょう。
 

〇新選組を題材にしている作品は?


京都で大活躍していた新選組。そんな新選組をテーマとして取り上げた作品はたくさんあります。
 

・「薄桜鬼」

「薄桜鬼」(はくおうき)は「アイディアファクトリー株式会社」が手掛ける恋愛ゲームブランド「オトメイト」より販売されている乙女ゲームシリーズ。新選組がテーマとなっており、乙女ゲーム好きから歴史好きまで幅広い層から愛されている名作です。
Nintendo SwitchやPlayStationまで、様々な媒体でシリーズを展開。
またゲームだけではなく、アニメや映画、舞台など様々なメディア展開を行っています。土方歳三(ひじかたとしぞう)や斎藤一(さいとうはじめ)など名だたる新選組メンバーが登場。
もちろん、沖田総司も登場します。
新選組の世界観が好きな方はぜひ一度プレイしてみてください。

・「新選組!」

「新選組!」とは2004年に放送されたNHK大河ドラマです。
京都の治安を守り続けた男たちの青春群像を描いた作品となっています。
キャストには香取慎吾(かとりしんご)や藤原竜也(ふじわらたつや)、江口陽介(えぐちようすけ)ら豪華俳優陣が勢ぞろい。
脚本は『古畑任三郎』(ふるはたにんざぶろう:フジテレビで放送された刑事ドラマ)などの名作を担当していた三谷幸喜(みたにこうき)が担当しています。

■まとめ

新選組屈指の剣豪、沖田総司についてみていきました。
この記事は、沖田総司という名前はきいたことはあるけど、実際にはどんな人だったのか分からない方に向けて、沖田総司のことを少しでも知っていただく機会になればとの想いで作成しています。
この記事を通して沖田総司のことを知ってから、新選組に関する作品に触れるとまた違った視点で楽しめるかと思いますので、ぜひ試してみてください。

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