見出し画像

魚新通り

こんにちは☺️
見つけてくださり有難うございます♪
今回は、新町から魚屋町に向かう魚新通りを散歩してみました🚶🏻‍♀️‍➡️


新町

いつも賑やかな本町通りを離れて、魚新通りに来ました。本町通りと同じく電線が無くてすっきりしています。

新町の街並み

新町の町名由来看板は、こちらの記事に載せてますので、関心ある方は併せてご覧ください。

左側の歴史がありそうな建物は、米清旧宅というそうです。読み方は分かりませんでした。

米清旧宅の説明板

米清旧宅は、正式名は三井家住宅主屋で、明治22年(1889)築、奥が三井家住宅蔵で大正7年(1918)築、どちらも登録有形文化財です。

魚屋町うおやちょう

魚屋町の街並み

この辺りから魚屋町なのですが、町名由来看板はもう少し先なので、先に載せちゃいます。

魚屋町の町名由来看板

魚屋町は城下町の中でも特に賑わった町で、昔は魚屋商人が多かったので魚屋町と言います。
犬山一二ヶ町の一つで町人地でした。

ところで、旧ライン劇場ってなんだろう?🤔
調べたら1970年ごろまであった映画館でした。

井戸端まっさき

井戸端まっさきと秋葉神社

ライン劇場は、この奥にあったようです。
左の緑地は、魚屋町ポケットパーク井戸端まっさきと、秋葉神社です。

先程載せた町名由来看板の一部を書き出してみますと・・・

旧ライン劇場へ行く道の中程に、津田氏の大門口と呼ぶ所があり、ここに津田与左衛門の屋敷があったという。ここから、木曽川の二符の渡しへ通じる道もあったが、江戸時代に入って廃止された。

木曽川の内田の渡しには、一符と二符があり、二符は廃止されたらしいです。

犬山之図

犬山之図

さてこれは、城とまちミュージアムで買ったクリアファイルなのですが、赤で囲ったところに津田与(與)左衛門さんの名前が見えます。青で囲ったところは水溜となっていて、井戸端まっさきの辺りのように見えます。

犬山里語記の魚屋町の項を見ると・・・

中程北側に津田大門といふ所有 今は亭主番所と成(略)往古は木曽川二部の渡しへ通路の下り口と云(略)中古此御屋敷も新道へ御門替りたりそれより西に新道に入口有 此処水溜有

津田大門は、魚屋町沿いにあったのではないですかね?🤔そこはよく分かりませんでした。

余坂よざかの木戸跡

くっきりした桝形

余坂の木戸(善師野口)付近です。

道路改良工事をしないところが犬山城下町の素晴らしさですよね😍

2024年6月撮影

余坂の木戸跡説明板です。
犬山城下町には木戸が全部で9ヶ所あったのですが、説明板があるのは余坂だけです。
だいぶボロボロなので、以前撮った画像も載せます。左端の土卒は、士卒しそつ(士族・卒族)の間違いのようです。

数年前(いつ頃か不明)撮影

城とまちミュージアムのジオラマで魚屋町付近を見ると、木戸は印の位置にあったようです。

ジオラマの余坂の木戸あたり

木戸で魚屋町は終わり、木戸の外は城下廻りの余坂村になるのです。

最後まで読んでいただき有難うございました。
ではまた👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?