3月31日

社会人として働く前夜、思うことをツラツラと書いてみたいと思います。最近は嬉しいことにいろんな人に会って話す日が多かったので、そうした友人との会話を通して僕が考えたことを書き留めたいと思います。

まず、最近妹とした会話。気丈で怖いもの知らずに見える妹だが、よく本音を聞いてみるとはったりでそのように振る舞っているだけとのこと。実際、心配事や悩み事何てないように見せておいて友達から「大丈夫?」って聞かれると、それで心の線が切れて涙がこぼれることもあるらしい。やっぱり、気丈に振る舞っている快闊な人も、多少なりとも自分と同じように不安や悩みを抱えているもの。そのうえで多くの他者に向けてどう振る舞っていくかだけの違いなのかもしれない。

次に、両親が二人で交わしていた今後の婚姻関係に関する会話。言葉による心のつながりを求めるお袋に対し、全てを絶対的な他者とみなし自己を理解してもらうことも他者を理解することも求めない親父。おそらく二人が理解し合うことは今後稀かもしれない。両親である前に自分たちの運命について語り合う一対の男女として成立していた会話。僕はこの会話から何を学び取るべきか?おそらく、カップルとしてお互いに相手の人間臭くてダメな部分も愛すること、自分に絶対的な自信を持ち心の安定を図ること、そして相手にお互い譲り合って感謝し合うこと、とかだろうか。僕の今後の課題は最後に挙げた、お互いに譲り合って感謝し合うマインドセットです。

高校時代の友人とも昨日は久しぶりに会って話した。「淀んでいた」。一言で飲み会の感想を言うならそうなる。何で僕が淀んでいたと思ったのかを考えると2つの理由がありそうだ。1つ目には、僕の心が淀んでいたから。外界から得た情報に対する所感はその時の人の心の心象風景が反映されやすい。しかし、今回はそうではないだろう。なぜならば僕は今、明日以降の社会人生活に期待感を持って楽しみにしているからだ。それで2つ目に考えられる理由は、本当にその会話の雰囲気が淀んでいたからというもの。もう少し具体的に今までの同窓会と比較して原因を考えてみた。今回が今までと大きく違うのは「社会人」をより具体的に頭にイメージしてみんなが会話している点だろう。以前まではみんなまだ学生だったし「シャカイジン」として具体性を持って会話せず、「学生」としての飲み会だった。ではなぜ「社会人」として集まったあの飲み会の雰囲気に僕が重いものを感じ取ったのか?理由はおそらく誰から言われたわけでもないのに環境的な雰囲気から一種の従う義務感を覚えるようになった「人生のレール」(→例えば、そろそろ結婚に向けて考え行動しなければならいとか)を意識するようになったり、一日の大半を占めるはずの仕事に楽しみを覚えれていなかったりとかが挙げられるだろう。

こうした何人かの人と交わした記憶に残る会話から社会人になる前の決意を箇条書きしておく。どうせ明日以降の新人研修とかでもやらされる気がするけど笑
(1) 大変だったり辛かったり思うことは誰にでも必ずある。問題はそのうえでどう平気にふるまったり、時に他者にその悩みを打ち明けて助けてもらったりするか。(特に後者の場合は普段から周りからある程度好かれている必要がある)
(2) 彼女とか大事な人には自分も積極的に見返りを求めずに譲って、また逆にそうしてもらったときには感謝する。
(3) 一種の決められた「人生のレール」に思考停止的に乗っかていてはいけない。楽かもしれないがその先にワクワクする密度の濃い時間はないだろう。常に自分が何をしたいのか内なる声に誠実であれ
(4) 仕事は楽しめ!仕事の楽しみ方をできるだけ早く見つけろ!
(5) 心身の健康は最低限保ち、物質的にも精神的にも豊かな与えても与えてもなお余りある人物になれ!

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