多分苦境の時こそその人の真価が問われる

苦境のときこそ、その人物の真価が問われるのであって、そこの年収や資格など社会的地位は関係ないと思いました。

先日、妹の就活の相談に乗っていたときにふとそんなことを思いました。妹は就活でなかなか思い通りにならず、苦戦しています。実際、数十社受験してもまだ、鹿児島の零細企業にしか内定を有しおらず、本命企業や都内企業には一歩及んでいません。もう6月にもなるし、相当に焦っていると思います。周りの友人は就活を終了して卒業旅行の計画を立てたり、研究に専念したりしているなか、一人就活を続けなくてはいけないのはなかなか辛いものがあるはずです。こうした不安やコンプレックスに押しつぶされそうななか、同期や先輩に最終面接の壁打ち相手を始めて頼んでみたということ。恥ずかしい気持ちを抑えて、苦境のなか自分から他者に助けを求めに行く姿勢は僕も見習わなくてはいけないなと思いました。(どんな状況にある人でも、僕はこうした自分にはできない見習うべき行動を取れる人を尊敬し見習える人になりたい!)

【追記】
加えて本題とは少し離れますが、僕が妹の相談に乗って感じた別の想いも同時に書いておきます。なぜ、このような苦境に妹はあるのかについて少し考えてみました。もちろん、理由は複合的で一意に断定できるものでは到底ありませんが、一つには「過去に避けてきた、逃げてきた、楽をしてきた」ことの「つけ」を払わされているのかもしれないなと思いました。人生、安易な選択肢はかえって危険化もしれません、、、現在つらいことがあるとき、心が折れそうならば即座に退散するべきですが、戦える気力があるならば逃げつに闘ってみることが肝要かも

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