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デューン 砂漠の救世主 覚書

自由の価値とは?

映画DUNE2の後3があるらしくヴィルヌーブは特にこの砂漠の救世主が1番やりたかったとの事で、これは原作を読んでみようかと、昔砂の惑星は原作挫折して終わったはず。本屋にあったのは新訳になってた。表紙絵も加藤直之の何やら暗い絵
冒頭
作者の子供からの解説的な物が載ってるが、原作の発表時砂漠の救世主がいかに評判が悪かったかというのが書かれている。
砂の惑星1.と同じように読むとえらい目に遭うよとそこんとこ良く理解して読めよと。身構えるやん。
で読み始めると、面白い。演劇を見ているような感じで、映画では画像メインでセリフが少ないけど、原作は人物の内心の描写が多く、セリフと実際その人物の考えていることの差異が面白い。王朝陰謀史劇として物語はすすむ。
途中で臣民の集団的無意識がポールを追い込むとか、ユング心理学の要素がかなり有る。当時の冷戦下の核兵器の恐怖とか、地球生命全体に対する自然崇拝の意識とかが面白い
人間電算機メンタートが人工演算機械の全面禁止を受けて生まれたとか、映画では説明のなかった要素の成り立ちが説明されている。人工培養人間とかもすでに出てきて本当に1960年代の小説なのかと。あとサンドワームを惑星外に持ち出して培養するところは、ナウシカのオームを人工培養する元ネタ。
たしか宮崎駿も砂の惑星の愛読者。今回の新しい登場人物でフェイスダンサーなる者、トレイラクス会が1番大きな役割をなして面白い。あとステイルガーのメンタルが2までとは明らかに違い、ポールとの溝がこの帝国の破綻の発端だったのかもと。徳政政治から法治政治への転換。
核兵器を用いた岩石昇華発破なる兵器なのか何なのか?その見知らぬ響きも恐ろしさを際立たせる。これ映像化するときどうなるのか1番みたいかも。
最後まで読んでもう一回冒頭を読むと、最初から誰がこの筋書きを書いて進めたのかわかりすい。最後の対決もこうなるのかと。
第二章からは皇帝ポールの苦悩独白。帝国を築き上げた彼は逆に臣民からの強迫観念でがんじがらめにされ運命に追い詰められている。最初に彼がいう。自由になりたいというセリフが最後に重くのしかかる。全てが見えるといわれるクイサッツハデラックは実は未来の断片しか見えずしかも並行未来としてどれか本当になるのか分からない。しかし人々は彼を神のごとく扱う。彼でさえこの世で自分で未来を選び取る事はできないのだ、最後に運命への戦いの代償として自由になったポールの孤独と解放の姿は、果たして自由って人間にとって幸福な事なのかという問いが残る
こないだ見返したタルコフスキーのノスタルジアでも焼身自殺する男が人類が自らの手で破滅の道を歩むなら自由には何の価値もないと叫ぶところがある。
あれも自由の価値とは何か突きつけられたような気がする。
昔読んだエーリッヒフロムの自由からの逃走が思い浮かぶ。
訳者の解説でデューンシリーズは実はイギリス中世史のクロムウェルを題材にしていると、宇宙ギルドは東インド会社、スパイスはそのまま胡椒など面白い指摘。
しかし映像の世界で毎回イギリス史を勉強させられてるきがする。テンプル騎士団、十字軍、キリスト教、魔女狩り。エリザベス。英国のくびき。もういい加減ウンザリですけど^_^
読み終わって話の筋というより人間描写の繊細さにびっくりした。フランクハーバート只者でないわ、こんなSFはあまり記憶がない。ルグインの影との戦いとかゲド戦記シリーズに似てる気もした。

砂漠の救世主 覚書 
下巻p72
新しいタイプの宗教官僚が台頭し、その機構は皇帝、ギルド、ベネゲセリリッド、領主会議、大小領家、聖職省幹部とは、明確に立場を異にする。仕える神は業務と記録、駆使するのは演算能力者と大規模ファイリングシステム。
公教要理での金科玉条は功利主義で、バトラーの聖戦で確率された指針を表面的に尊重し、人間の精神を雛形とする機械など作ってはならないと口先では言うもののことあるごとに馬脚を露わす。常に人間よりも機械を、個人よりも統計の数値を、想像力と独創性を必要とされる個人との密接な接触よりも、対象からの距離をとった概観を優先するからだ。

正しく現代社会への批評

下巻p215
ポールがシエチにおもむいたところで、
シエチには補佐官たちが固まって立っていた。あのものたちに向きなおりこう叫んでやりたかった。
崇拝の対象が必要なら、生物を崇拝しろ すべての生物を、蠕虫ぜんちゅうの一匹一匹にいたるまで例外なく崇拝しろ!われわれはみなこの美しい世界に共棲しているんだぞ!
だがあの者たちは理解できないだろう、砂漠においては生物の世界も果てしなく広がる砂の海の一部でしかない。植物を成育させたからと言って、その植物が華麗な舞を披露してくれるわけでもない。わきにおろした両手をグッと握りしめ、幻視を停めようと苦闘した。自分自身の精神から逃げだしてしまいたい。それは自分をひと呑みにしようと襲いくる巨獣だ!自分の中に横たわる意識はこれまでに吸収したありとあらゆる人生で重く濡れそぼりらあまりにも多くの経験で飽和状態になっている。

こういう文体でこの叙事詩は語られる。現代への警鐘と未来への指針 恐ろしく美しい 愛と恐怖と殺人 惑星と人間と神の相剋 読んでいて楽しかった 続きがまだ3話くらいあり 次の砂漠の子供達までは読んでみよかなぁ^_^
続きで気になるのはヘイトこと人造人間のダンカンアイダホとアリアの未来と、ポールの未来の予測では現れなかった双子の子供達 もはや未来はクイサッツハデラックの並行宇宙を逸脱したのだ!
しかしこのまるで戯作のような原作をかのヴィルヌーブはどう映像化するというのだ。まるで想像がつかんじゃないか。2まではリンチが大まかな指針になったろうが3はこの監督の本当の手腕がとわれる。楽しみすぎるやんけ!

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