アサシンクリードシャドウズにおける憶測、デマに基づく批判論
はじめに
目下発売を控えながら大きな物議を醸しているアサシンクリード:シャドウズですが、おざなりな歴史考証や著作物の無断使用など、UBIが火に注いでいる側面もある一方で、事実に異なった憶測やデマによる批判が多く見受けられます。これらの誤った批判は正しい批判の正当性を貶めるだけでなく、海外デベロッパーの中での日本のファンベースのイメージを著しく損ねかねないので即刻控えるべきです。ここでは代表的なものを紹介していきます。
1.アサシンクリード:シャドウズが史実に忠実だとUBIが発言し、それによって歴史歪曲を試みているという主張
これはアサシンクリード:シャドウズ(以下シャドウズ)を批判する際に用いられるものとして体感的にですが、最も多い論拠だと思われます。これは他の歴史フィクションと違って史実に忠実であるというスタンスをとっているため、シャドウズは殊更批判されるべきという考えに基づいています。
まず第一に、アサシンクリードシリーズは一貫して歴史フィクションの立場を崩していません。これはゲームを起動した最初の段階で、「このゲームのストーリーは歴史上の出来事をテーマとしたフィクションで、信仰や信条など様々な異なる文化的背景を持つチームにより製作されました」(英語では"Inspired by historical events and characters. This work of fiction was designed, developed and produced by a multicultural team of various religious faiths and beliefs")というテロップで確認することができます。アサクリシリーズがノンフィクションとして受容された事実はありません。ではなぜ、ことシャドウズにおいて、あたかもUBIが「史実に忠実」といったノンフィクションともとれるように扱っていると、多くの人が思い込んでいるのでしょうか。
UBIが日本向けに翻訳されたインタビューで「忠実」という単語を用いていた記事は私が確認した限りではこれだけです。
(以下抜粋)
「実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いている」、おそらくこの部分が、件の火種となった部分でしょう。正直言って、これだけでUBIがノンフィクションの体裁をとっているように解釈するのも無理があると思いますが、原文ではもっと曖昧になっています。
(以下抜粋)
こちらでは、私たちは実際の歴史上の人物(real historical figures)である織田信長や、その時代に起こった出来事をお見せします、といった程度のニュアンスです。つまり過去作のアサクリとスタンスとしては全く同じで、真新しいことは何も言っていません。「忠実に描いている」と翻訳するには少々無理があるでしょう。しかも、二段目の文にも注目してもらいたいのが、翻訳文では「日本史上にも活躍の記録が存在する「侍」と「忍」を体験することができる」とあります。「活躍の記録」とありますが、原文ではそれにあたる部分は存在せず、"the two best fantasies of Japan"(日本の二つの最大のファンタジー)と謳っていて、受け取る印象が全く異なっています。原文では、実在する概念でこそあるものの、侍と忍者をあくまでファンタジーと捉え、フィクションとしての演出を重視しているようにとれますが、翻訳文では「忠実」の部分を補強するためか、原文にない「活躍の記録」という言葉を付け加えて、あたかも歴史的正確性を重視したような印象を与えるように誘導しています。
つまり、忠実である云々はUBIの意図した部分ではなく、翻訳者の独自解釈であったことがわかります。無論、翻訳者の方も多少耳触りのいい表現を取り入れる程度の意図しかなかったのでしょうが、まさかこのような細かい部分が揚げ足取りに近い形で引用され、大騒動を巻き起こすなんて予測できなかったと思われます。
さらに、こちらの動画をご覧ください。
これは海外の有志の方がまとめられた動画で、その中でUBI開発者たちのインタビュー動画を引用しています。その中でCharles Benoit氏は"make sure that we are historic and authentic but at the same time we are still doing a historical fiction"と発言しています。歴史性や芸術性を高めると同時に歴史創作の立場は依然として維持するといった感じですね。次に取り上げられているBrooke Davies氏は"the story is a historical fiction"と強調するように明言しています(彼女は他のインタビューでもシャドウズは歴史フィクションに位置づけられると明言していて、そのスタンスは一貫しています)。
これらの開発者たちの発言を統括すると、巷で騒がれているような「UBIが史実に忠実であると誤認させている」ような事実は全く存在しないことがわかります。つまり、日本人翻訳者が誇張的に付け足した表現を、UBIに否定的な人間がさらに歪曲して解釈し広めた結果、壮大なエコーチェンバーが引き起こされた可能性があります。
Xなどを参照すると、この間違った根拠をもとにシャドウズを批判し、「最初からフィクションと言っていれば問題なかった」という立場を取っている方も多く見受けられますが、上述の通りUBIは初めからずっとフィクションと言い続けているのであってこの様な観点からシャドウズを批判しているのであればすぐに撤回するべきです。この認識の食い違いが解消されない限り、UBIと日本の軋轢はどんどん拡大し続けるでしょう。
2.トーマス・ロックリー氏がアサクリシャドウズに関与しているという憶測、デマ
今現在、トーマス・ロックリーという人物が騒動の渦中で取り沙汰されています。詳しくは存じ上げませんが、彼が弥助を題材にした、創作を多分に含む自身の著書について、まるで史実であるかのように流布し、歴史修正を行っているという噂です。これらのことが事実なら、確かに問題です。しかし、そこで糾弾されるべきはロックリー氏についてであって、アサシンクリードではありません、この二つの事柄は本来無関係なのです。
私が調べた限りではロックリー氏とアサクリシリーズ、UBIを関連付ける情報は全く得られませんでした(見つけられたのは、シャドウズを取り上げるニュース記事の中で、記者がロックリー氏の著書について言及しているものだけでした)。もちろん、ロックリー氏がシャドウズについて監修を行っているという事実も存在しません。ロックリー氏の著書がシャドウズの開発に影響を与えた可能性も完全に否定することはできませんが、肝心のゲームがまだ世に出ていない以上、現時点では机上の空論にすぎません。もっとも、ロックリー氏の著書と違ってアサクリはフィクションの域を出ないので多少の嘘が混じっても問題はないのですが。
つまり本来ならばUBIとは無関係のはずのトーマス・ロックリーが、シャドウズ騒動の余波で槍玉にあがり、紐づけされて、シャドウズ批判のための材料となっているのが今の状況です。ロックリー氏が虚偽の歴史を広めているのであれば、それは非難に値するでしょう。しかしロックリー氏の活動を元にシャドウズを批判するのは極めて不当と言わざるを得ません。
最後に
「これだけ問題がボロボロ出てるのに、未だにUBIを擁護するとは何事か」とおっしゃる方がいますが、私はUBIを擁護する意図はありません。私の個人的なアサクリシャドウズへの見解を言うと、トレーラーの時点で目立つ考証の粗さ、文化理解度の低さが読み取れてしまい、もう少しなんとかならんかったんかと残念な思いはありました。コエテクあたりに考証協力を得られれば素晴らしい作品が作れたんじゃないかなーとか。さらに、著作権の問題や事後対応の悪さなど、UBIの姿勢に疑問を感じる部分は確かに多く、ある程度の反発もやむ無しという印象はあります。
しかしながら、いくら相手に否があったとしても、根拠のない思い込みやデマで叩いていいということにはなりません。それは倫理的にも唾棄すべき行為ですし、相手に付け入る隙を与えかねません。もしあなたが今、アサクリシャドウズを批判する立場をとっているなら、それが正当な主張かどうかを今一度省みてみたほうがいいかもしれません。
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