最低で最高

 「そういえば、私が学校に入学した時に撮った写真があるのよね。見る?」
「どしたん。いきなり。」
 
 社会が、飛び跳ねるような新しい季節に変わる頃。夕暮れが見える時間帯の古びた喫茶店に向かい合って座る人間が2人。注文したコーヒーもすっかり冷め、ちょぼちょぼ食べていたチーズケーキとりんごのタルトもほとんど無くなった頃、君はいきなり僕に向かってそう言った。その顔には、自嘲とも取れるような表情を浮かべて。
 
 「ほらこれ。今の私からは全く考えられないでしょう?」
 「確かに。ほんとだね。」

 僕は、スマホに映る君と目の前にいる君を交互に見比べた。前者は今の君からは考えられない程大人しく、正直に言ってしまうと魅力的では無い。僕は思ったことを正直に言うと、君は大きく口を開けて笑った。その口元にはお上品な手が添えられていたが。赤色のリップと、それに合わせた真っ赤なネイルがやけに光っている。
 
 「私自身、アンタと出会えて無かったら今もこのままだったのよ?そこは感謝してるわ。」
「そりゃどーも。」

 もう一度、君と写真を見比べる。やはり今の方が魅力的だ。じっと見つめる僕を不思議に思ったのか、君は僕の手からスマホを奪った。

「なにそんなに見てるのよ。変に緊張しちゃうじゃない。」
「ああ、ごめん。」

 目の前にいる君は、今では学校で1番気高い存在になってしまった。君の周りにはいつも、君のおこぼれを貰おうと必死に藻掻く6足の虫たちが寄るようになった。でも、今は君を独り占めしている。

「君のとなりに写ってるこの木は何?」
「それは、ハクモクレンって言うのよ。学校に入学した時に一目惚れしちゃって。一緒に来てたお母さんに撮ってもらったのよ。」

 ハクモクレンという木は、君の背丈の5倍はあって。そのせいか、君が今以上に小さく萎縮しているようにも見えたりする。

 「アタシはね。アンタといると、最低で最高の気分になれるからいいのよ。」
 「どゆこと?」

 最低で最高の気分とは。一体何だ。僕の小さな脳みそが、たった8文字の言葉を必死に解析しようとする。最低で最高。最も酷く、最も素晴らしいもの。とは一体。

 「ねぇ、それってどういう」
  「それは教えないわよ。アンタは自分で探しなさい。」

 君は、僕に謎を伝えてはいつもそうだ。今だって、僕が悩みに悩む姿を見て楽しそうに笑みを浮かべている。まあ、そこも君の魅力だと思うんだけど。

 「だめだ。さっぱりわかんない。」
 「そう。まあ、分かったらいつでもいっておいで。別に言わなくてもいいけどね。じゃあ私はそろそろ帰るね。」

 君はおもむろに席を立った。やっぱり、立ち姿も魅力的だ。落ち着いた青色の服を着て。肩まで伸びたであろう髪をポニーテールでまとめて。元々僕より背が高いくせに黒色のヒールを履いて。やっぱり君は、魅力的だ。あ。

 「君が言った言葉なんだけどさ」
 「もしかして、もしかしなくても分かったかしら?」
 「もしかしたらね。」

 僕が食い気味にそう言うと、君はただ小さく笑うばかり。やっぱり、君は何をしても美しい。僕だって、君に負けないくらいきちんととした服を着てきたのに。やっぱり君には敵わない。悔しいとは思うけれど、それ以上に。

 「かっこいいよ。」
 「何よいきなり。」

 分かりきったことを言うんじゃないと君はまた笑う。そしてそのまま、君には不釣り合いな男らしい手を振って店の入口まで歩いていった。

 机の上に残るのは、君の残したコーヒーと、チーズケーキ。

 僕は、コーヒーも。チーズケーキも。

     大嫌いだ。


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