全てが対岸の出来事のように 

先日友人の結婚式に出てきた。
とても良い式だったし、幸せになってほしいと心から思った。
また呼んでくれたことにとても深く感謝を申し上げたい。
本人には言った。

披露宴で新郎新婦の生い立ちから二人の出会い、二人の今日までの歩みをまとめたスライドショーがあった。二人の人柄や二人の良好な関係が感じられ、見ていて感動した。
素直に心からのお祝いに集中すれば良いものを、スライドショーを見ながら、二人の幸せをお祝いしながら「自分は今までの人生を人に見せられる生き方をしてきただろうか」と考えていた。
暗くなりそうなことを考えがちなのは悪い癖だと思うが、考えてしまうのだから仕方が無い。できる限りシニカルにならないよう考えてみよう。

大前提として、私はあまり精神衛生の部分がよろしくない。身体的にも小さくないハンデを抱えている。それでも精神衛生の面ではここ1年ほどはとても改善した。明るくはないが、安定している。

幼少期は割と癇癪を起こしやすく、授業中に大人しく座っていられない子供だったことを覚えている。同級生や先生にしてみれば大迷惑だっただろう。

加えて特徴的に覚えているのが人からの厚意や親切を素直に受け取ることが出来ない子供だった。これは近年までそうだったし、今も実は怪しい。
身体的な問題で客観的に見て「これは危ないだろう」といういことなどが発生することがある。そうなると見かねた誰かが助けようと手を差し伸べてくれることがあるのだが、私はその手を素直につかむことが出来なかった。迷惑とばかりにはじいてしまっていたのだ。大人の今考えてみれば失礼な話で、本当に助けをもらうまでもなく、断るのであれば「心配には及ばない」旨と「手を差し伸べてくれたことへのお礼」を丁寧に伝えれば相手の印象も良くなったことだろうと思う。できなかったおかげでかなりの弊害を抱えたが今考えれば自業自得と言える。

親切を今も素直に受け取れるかは怪しいと言ったのは、今述べた経験から「とりあえず強く断らずに一旦自分できるから大丈夫ということとお礼を伝えて、それでも食い下がるようであれば断るのを辞めた方が相手の気持ちを害さないで済む」という学習をして、その通りに実行しているだけだという自覚があるからだ。その他色々な場面で人の気分を害し過ぎた経験から穏便に済ませる方法を学習し、それを自然に(そう見えているかはわからないが)行っている。というのが今の私だ。

幸か不幸か結婚する予定がないのでいらぬ心配だが、結婚式に呼んで来てくれるほど関係が良好な人がほとんど居ないと気がついた。
私がそんな感じなので人との折り合いをつけて良い関係を築けるようになったのがつい最近で、学生時代の友人などがいない。当時はいたが卒業後疎遠になった。

社会人になってからも褒められたものでは無く、社会人2-5年目までは危うく道を踏み外しかけていた。6-7年目になんとか正道に戻ってこれたのだが、正直この期間の話は恥ずかしくて人には出来ない。が「戻ってこれて良かったね」と何度も言われた。
縁を切らないで居てくれる人たちには本当に感謝しかない。

あふれんばかりの幸せに触れてきたというのになぜこんな後ろ向きなのか。
友人含め今、縁のある人たち、かつて縁のあった人たちに顔向けが出来るように生きていきたい。そう思って働いているが道は遠い。

今気がついたがどうやら私は新夫妻から頂いたメッセージカードを会場に忘れたらしい。本当にこういうところだと自分でも思う。やはり道は遠い。



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