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神社について 真実

【神人さんのfacebookページより転載 https://www.facebook.com/profile/100063860820530/search/?q=%E7%A5%9E%E7%A4%BE】

☆彡  転載している内容は、一部抜粋している箇所もあります。

【神人靈媒日記】

国家神道の総本山である伊勢神宮に祀られている

天照皇大神とは太陽神のことではなく

昔々に生きていた皇族の人靈の総称

=天照大日孁貴(あまてらすおおひるめのむち)等の歴代の天照○○です。

国家神道とは、明治新政府が神社神道と皇室神道を結びつけて作り出したものです。(※社が神社と呼ばれ始めたのは明治政府の指導によるものです)宗教としての神道を国家本位の立場で利用し、神道を国民精神のよりどころとさせ、行政的措置によって国家が監督し、国民に天皇崇拝と神社信仰(古来からの権力者と一族の靈を祀る)を義務づけるといった洗脳教育を行なった名残りが現代も継続しているのです。

2018.2.22 神人 拝

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★神人霊媒日記★

神とは何か?

いるのか?いないのか?

誰もが一度は疑問に思ったことがあることと思います。

「願い事を叶えてくれる目に見えない偉大な存在」

という認識の方が現状では多いのではないでしょうか?

ですから、何処どこの神社・神様が

良い!?とか、悪い!?とか

という話をよく耳に致しますが…、実は

神様とは何か?という大切なことが、

現状では正しく理解されていない状況にございます。

神とは、「生命を司るエネルギー・仕組み・顕れ」のことを申します。

判り易く申すならば、多重次元宇宙のことであり、

3次元的に申すならば、現次元宇宙そのものであり、

銀河、太陽・星・月・地球であり、

森羅万象(山・川・海・雨・風・土・岩・木・水・火…)でございます。

「生命の循環に関わる一切のもの」を申します。

大神(多重次元宇宙)が己の中に、

神(現次元宇宙・銀河・星…)を産み出し、

神の中に、全てのものが存在致しております。

これが、「真の神の概念」です。

それが、いつの時代からか、人神が主流になり始めます…。

云わば、時の権力者と一族・先祖、又は時の人気者たち、

又は、一部の人々によって作り上げられた想像の存在たちです。

この国において申しますと、弥生人が仏教導入を元に致して

日本独自の仏教的思想を作り上げてゆく中で、

神仏を混合致しながら、本来の神々を偶像化・人物化致しました。

そして、貴い存在をすべて神(かみ・カミ・上)と括り始めました。

時の権力者たちは、己も神として崇められたい!と思い、

いつの頃からか、権力者・権力者の一族は亡くなると

神社が建てられ、社の主・御祭神として祀られるようになります。

歴史上の人物の中には、まだ生きながらにして

己を神として神社に祀らせた者も居ります…。

云わば、全てではございませんが、神社によっては、

非常に傲慢な人・一族らが祀られていることがございます…。

過去の人々が、「神」という名称を、人物に対し称号化致したのです。

先生・社長・会長・大臣・将軍・大統領・帝等と同じような称号化です。

ですから、本来であるならば、神社(かみやしろ)ではなく、

霊社(たまやしろ)、墓として考え祀り、表記するのが正しいです。

時代と共に宗教分裂が起こり、あらゆる独自の宗教が多く作られ、

神社・仏閣も日本中にたくさん建てられてゆく中で、

人集め・金集め・権力争いと結び付きながら勢力づいてゆきました。

そこで、おかげ信仰という洗脳が始まって参ります。

云わば、「お参りして賽銭をくれたら、あなたの願い事を叶えます」

という参拝ビジネス化が流行り始め拡がってゆきました。

願い事が叶うという内容につきましては、其々の場所によって

全て人々の都合の良いように(変更可能)考えられました。

願いが叶うというのは、どういう絡繰りか?と申しますと

己に何度も言い聞かせながら実行することによって顕れる

自己洗脳システムです!

私は絶対優勝できる!絶対に優勝できる!絶対に優勝できる!

と言いながら練習に励むメンタルトレーニングの状態です。

思う・言う・行うといった未来を生み出す願望実現の仕方です。

それは、何処かに参拝せずとも自分の家でも出来ることなのです。

ですから、現在での捉え方としては、

神社・仏閣・教会・パワースポット巡りというのは

信仰アミューズメントパークのひとつとして、

参拝やおみくじ引き・お守り購入(お土産のひとつ)を楽しまれれば

それはそれでかと思います。

神社には、誰が祀られているのか?

神社には、何の為に参拝するのか?

願望実現の為なのか?→何処でも可能。

御魂の供養の為なのか?→縁者である場合。

感謝の念を伝える為なのか?→何処でも可能。

あなたは、何の為に参拝されておられますか?

答えは、神社や教会・仏閣に、神は居りません!

神(多重次元宇宙)の中に、人は存在しているからです。

神社・教会・仏閣にて感応するのは、

全て霊存在(大霊団、霊団、霊)です!

何故、私がそのようなことを言い切れるのか…!?

それは、それらと日々交渉しながら生きている霊媒だからです。

みなうれしうれしたのしたのしみらいへかわる<(_ _)>

神人(神=地球に感謝しながら生きる人) 拝

(続く)
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【神人靈媒日記】

山の神様が山にある奥宮から

春ごろ神輿に乗って里に降りてこられて

里にある神社の中で田の神様と名を換えられ

日の神様 雨の神様 風の神様に取り継ぎなさり

五穀豊穣の御利益を人々に与えたのち

冬ごろ神輿に乗って山の奥宮に帰られ

再び山の神様となられるというような話が

全国各地の祭事として現在もありますが

すべては古人の作り話です

自然を擬人化することは偽りであり

自然を所有化することも傲慢であり

自然の一部を神域とすることも偏りがあり

自然とは人間の所有物ではなく

自然森羅万象こそが真の神の顕れなのです

山の神は山の神のまま存在し続け

人の都合で田の神に変わることもなく

権力者が支配している聖域でもなく

山は山として多くの生命を司り存在しています

ですから記紀の申すところの

富士山は古の権力者の娘:木花咲耶姫でもなければ

靈人:木花咲耶姫が支配している場所でもなく

天皇家の祖靈や豪族の祖靈のものでもなく

初めから人間や靈団靈人の所有物ではないのです

地球という大いなる神の御身体の

一部であるということのみです

2018.3.12 神人 拝

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【神人靈媒日記】

〜神と靈との違いを理解する〜

神とは、生命を司る仕組みであり、大いなるエネルギーの顕れです。いる?とか、いない?とかといった観念ではなく、全てが神の中に存在しており我々は神に生かされているのです。また生きていても死んでいても多重次元宇宙という大神の中に存在しているということなのです。ですから、神とは御利益を求める対象ではなく、ただひたすら感謝の意を手向ける対象なのです。

大神=多重次元宇宙/宇宙/大銀河/銀河系/太陽系/日/月/星/地球

神=自然/生態系/森羅万象(山川海湖森雨風雷火水土岩…)

多くの人々は靈団の存在を知りません。かつて生きていた人々の集合体であり、現生的に申すならば、国や企業・各種グループといった趣向の近い靈人の集合体と理解すると良いでしょう。良いも悪いも御魂相応の靈団がそれぞれたくさん存在しております。靈団靈人に対しては、過度に崇め奉る対象ではなく、人々と接するように礼節をもって親しく大切に関われば良いのです。隷属化させようとする靈団があるとするならば、靈性低き者たちであると理解されれば良いでしょう。靈性高き靈人たちは、人に対して決して隷属化しようとはしません。経験=学びを促し愛をもって導くのみなのです。

靈団=靈人の集合体(大中小)

人霊=過去に生きていた人間

動物靈=獣靈/集合意識体

植物靈=木靈/集合意識体

自然靈=形を持たないエネルギー体

想像靈=人間の想像により作られた存在

神社に祀られている存在は、ほとんどがかつて生きていた権力者であったり、権力者の家族・関係者たちです。ですから、神社ではなく靈社と言われることの方が正しいでしょう。

祀られている靈人と御縁ある人にとっては先祖であったり、もしかしたら先祖らがお世話になった方でもありましょうから、祀られている靈人らに対しては、氏子として関わり親しみ大切になされれば良いことでしょう。

しかし、権力者であったから奉るというのは、権力に媚び諂える人と同じで嫌らしくも見えるものです。御会いしたこともなければ、御世話になったこともない人に対して、昔の権力者だからとして、なぜそこまで現代人が隷属化しなければならないのでしょうか?

靈人が上で肉体人が下という考え方そのものが大きな間違いです。何故ならば、現代に生きている全ての人々は、何度も生まれ変わって来た人々(祖靈が進化した姿)であるからです。生まれ変わり学ぶことをせず社に居続けている靈人が偉いという考え方そのものが偽りであることを理解しなければなりません。しかし、靈人のままでいて民の為に尽くしたいと願い居られる方も稀にいますが、ほとんどの社は権力を誇示し続けている類いの靈団靈人らが多く感応してくるように見受けられます。

また本来ならば、神社に参拝するということは、自販機に小銭を入れて諸々の願いを叶えて頂くことではありません。そして御利益があると偽りを申して、人集めや金集めをする行為もまたとても嫌らしいものであり、公然の詐欺行為です。

民を靈に隷属化させるような歪んだ教えを説く靈感者ではなく、神と靈団と靈の違いを正しく御伝えすることの出来る靈感者が増えていって下さることを切に願っております。

神に対しては

生かして下さっていることに感謝するのみであり、

靈に対しては

親しみもって大切に関わることのみであります。

そして、世俗的な御利益は

自身の近親靈にお願いすることが望ましいのです。

*神人(かみひと)は、神(地球)に感謝しながら生きる人(靈人)という意味で私は用いております。みなうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたい。

2018.9.14 神人 拝

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【神人靈媒日記】

伊勢神宮とは125宮の総称ですが、中でも内宮と外宮のふたつは特に有名です。内宮と言われる皇大神宮は、第11代垂仁天皇によって創建されておりますが、皇女・倭姫の巡行の末、靈聴に従い御神体とされる八咫鏡が現在の内宮に安置され、御祭神を天照坐皇大御神ということになっております。三種の神器のひとつ八咫鏡に関しては現在も存在するものなのかどうか?専門家の間では真偽が問われてもいますが、未だに定かではありません。また明治時代になるまで歴代天皇が誰も内宮へ参拝に来られたことがないにも関わらず、すべての神社の頂点とされていることもまたひとつ疑問視されるところです…。

伊勢参拝が庶民のブームとなったのは、比較的歴史は浅く江戸時代からで、20年に一度の式年遷宮(神を新しい社殿にうつす神事である遷御の儀が行われる)の度に人気を集めてきていますが、当時の伊勢は参拝をかねた娯楽街としてもとても有名で、街はかなり盛えていたという歴史があり、東の吉原、西の伊勢と一度は行きたい場所としても知れ渡っていたそうです。

さて、今から10年近く前の2008年12月に三重県伊勢市にてライブを主催して頂いた際、快晴の翌朝、十数名で参拝することになり、伊勢内宮に伺わせて頂きました。ひと通り参拝を済ませて五十鈴川を眺め参道を皆様と共に歩いていると、何気ない場所でとある靈人が私に声を掛けてこられました。

靈「あなたにお話したいことがあるのですが宜しいですか?」

私:「はい、どうぞ」

靈「あなたは何をなされていらしたのですか?」

私「わたしは神社を参拝し廻って来ました」

靈「何のために社を廻られて来られたのですか?」

私「…?」

靈「社にはどなたかおられましたか?」

私「古い時代の神主のご靈人がご挨拶なされました」

靈「この地はかつてこのように社が建ち並ぶような場所ではございませんでした。わたしたちは、昔この地にて平和に暮らしておりました。山や川や海の恵みをたくさん頂き、天地(あめつち)の自然の神々に日々感謝を申し上げ、祖靈たちの教えを伺いながら祀りいたし、みんなで助け合い共に暮らしていたのです。祖靈はわたしたちに仰りました。“この地に来られる方々すべてに対して、食べ物や飲み物を無償で惜しげなく与えなさい。そして唄い舞いみんなを喜ばせ大切にもてなしなさい。そうすれば末代まで平和が護られることでしょう” そして、わたしたちはその教えに従い今に至るのです。」

靈「あなたは真実をお知りになられておられる方です。ですからどうか皆様に真実をお伝え下さいませ。かつてこの地には社などありませんでした。すべて後から来た人たちが造っていったものなのです。わたしたちはこの地から離れなければならなくさせられたのです」

私「こちらはあなた方が先祖の代からずっと住んでいた場所なのですね。事情は分かりました」

靈「あなたがもし真実をお伝え下さるのであれば、わたしたちはみなでお力添えさせて頂きます」

私「あなたはどちら様ですか?」

靈「わたしはサルメと申します」

私「サルメ?」

靈「ではまたお越し下さいませ」

私「ご縁に感謝申し上げます。ありがとうございました」

その日の夜、この旨を御参加された方々にお伝えさせて頂きましたが、皆様驚かれている様子でした。

そして数ヶ月後、偶然にもTVをつけてみると、伊勢神宮の特集番組が流れており、広報担当の方がおっしゃっておられました。

TV「自称靈能者と申しておられるどこかの方が参拝に来られて、社ではない何でもない場所に御神靈が現れて、内宮の歴史に関して偽りを吹き込まれているそうですが、皆様どうぞ偽物には気をつけて下さいませ。こちらの伊勢内宮は、歴史が物語っている通り2,000年もの由緒正しき御社でございます。皆様の御参拝を心よりお待ち申し上げております」

10年ほど前に伊勢内宮参拝した後日、無知だったわたしはサルメという名前をwebで調べたところ、古代の祭祀を司る巫女の総称名とあり、サルメを祀る神社も伊勢には存在していると知りました。伊勢地方にいた女性シャーマン族の御一方が、あの時わたしを諭し真意を託し確かに話し掛けて来られたのでした。

ですからその日のことが大きなきっかけとなり、わたしは神人として人々に真実を伝えながら生きてゆくという覚悟が出来たのでした。

さるめのみこと

弥栄ましませ弥栄ましませ。

ありがたいありがたいありがたい。

2018.3.3 神人 拝

【神人靈媒日記】

《悪しき霊感者に見受けられる傾向》

10.神社仏閣聖地巡りに固執している

パワースポットと言われる場所が年々増えており、有名神社仏閣もその中には多く入っています。日本全国津々浦々の御利益スポットと呼ばれる場所が精神世界系雑誌で特集紹介されれば、雑誌は飛ぶように売れて定番化した人気テーマとなっているようです。さて古来より人が神社仏閣にゆく目的とはそもそもなぜでしょうか?おそらくは御利益が目的であり、わざわざ遠くまで足を運ばれる方も多いことでしょうが、残念ながらほとんどの方々が騙されています。御利益話とは、金儲けや人儲けを目的として誰かが作り噂を拡げ、長い時間をかけて「作り話」→「御利益話」という風に定着し慣習化したものなのです。おみくじ=占いも、御守り=御札も実際のところはほとんど効力はありません。公然の嘘=国に認められている詐欺=民衆娯楽でもあるのです。すべては思い込みの原理であり、吉と思えば吉となり凶と思えば凶となる転向しやすいものなのです。ですから、神社仏閣関係者に「御利益は本当にありますか?」と尋ねると「御利益があるかもしません」と応えられます。御利益がある!と断言すると詐欺となるからです。御利益があるならば、みんなの願いが既に叶っているはずです。本当に真相を理解している人というのは、御利益を求めてパワースポット巡りなどはしないものなのです。

2018.3.16 神人 拝
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【神人靈媒日記 2019.8.20】

〜神道靈界の変革〜

わたしはこれまでの講演等にて、神社とは本来ならば靈社と申すべきであり、過去の時代の権力者一族が祀られており、靈団靈人が感応して来る場であること、個人的な小さな御利益を求めて参拝するような場ではなく、世の安泰祈願や地域守護に対する感謝を手向けるための場であること、靈と人との関係性は対等であり双方が礼節を持って関わるべきであること等…を、民が深く理解する必要性があると申し上げて参りました。

ですが、靈界でも色々な誤解もあったようで、神道靈団並びに眷属靈団からの靈的嫌がらせを長年多々受けて参りましたが、ようやく真意が御理解頂けたようで、今朝方において正式な和解がなされました。

これまでの神人に対する謝罪と共に、日本神道靈団全体で今後御力添え下さることの御約束をして頂きました。

およそ20年前、指導靈の導きにより、神とは本来何か?を教えられ、「真を伝える人となりなさい」と諭されてから、現次元世界と異次元世界の人々にお伝えする生き方をして参りました。

また、靈に対して人は、隣人に接するように礼節を持って大切に関わることが望ましく、隷属的に関わるものではないということもまた高次元世界の指導靈らに教わりました。

ですから今に至るまでを振り返りますと、今回の出来事は、わたしにとってとても感慨深いものがございます。

日本靈界が大きな峠を越えられましたことを心より御喜び申し上げますと共に、御守護御導き下さる靈団靈人の皆様には、誠に有り難き思い申し上げます。

うれしうれしたのしたのし

ありがたいありがたいまことありがたい

むーうーるーうーおー

2019.8.20 神人 拝

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神人霊媒日記)

神社仏閣では、色々な霊存在・霊団が感応しますが、

快く持て成して下さった霊たちもおれば

敷地に入るなり威嚇いたし、嫌がらせをしてきた霊たちもいました。

霊存在と言えども、人間と同じく霊性・時代は本当に色々です。

神社仏閣の建物の見た目では、どのような霊性かは判りません。

発するエネルギーの質で判るものです。

判り易く申せば、心地良いか?否か?

色々と勘違い致している霊もたくさん居られましたよ。

人は、霊より下の存在だと思い込んでいる霊も居りました。

「貴様、生きている人間のくせに!」と申す者とか…(笑)

そこに居たくないが、呪いをかけられ封印をされ

動けなくされていた霊もおりました。

封印を解き、変わってゆかれました。

怨霊化致しておりましたが…。(鹿児島のとある神社)

日々、祀りごとをこなさねばならないと仕来たりに縛られ

ずっと忙しくなされておられる方も居られました。

その後、変わってゆかれましたよ。(東京・明治神宮)

変わりたいがどうすればよいか?

霊団の手前恐れ、変わる機会をずっと待っていた方々も居られます。

事情をお話しすると、「時が来たのですね。」

と、スーっと変わってゆかれた方も居られます。

「民の為に、まだお役に立たせて頂きたいのでこちらに居ります。」

と申された方々もおります。(福岡・宗像大社)

僕の20代~30代は、全国各地の神社を巡り

縁ある霊存在たちへの挨拶回りをさせられながら、

色々な話を伺い、たくさんの不思議な体験をさせて頂きました。

首が回る、身体が動く、見える、聞こえる、話をする…。

何度も死にそうになりました…。(苦笑)

霊媒としての初期修業の頃のお話です。

初期修行時代を振り返りますと、

家族と共に暮らしていなくて良かったとつくづく思います。

おそらく、みんな気が狂っていたと思います…。

その代わりにアパート隣部屋に住んでいた人たちは、

かなりいい迷惑だったことと思います。<(_ _)>(苦笑)

ですから、後の30代は因縁解消のため隣人に

長い間、苦しめられました…。

しかし、因縁を解消させて下さり感謝致しております。<(_ _)>

現在まで御導き下さった霊存在の方々に

改めて心より御礼申し上げます。

弥栄弥栄。 神人 拝<(_ _)>

(続く)
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【神人靈媒日記】

わたしは無神論者ではありません。しかし、有神論者でもありません。なぜならば、神とは何か?正しく理解している者だからです。わたしは、神に感謝しながら生きる人であり、靈団靈人の言葉を人々に伝えるシャーマンのひとりです。

そもそも神とは、いるとか?いないとか?という観念ではなく、神の中にわたしたち人間を含む全てが存在しているというのが正しき観念だからです。神とは多重次元世界であり、顕在世界においては宇宙そのものが神であり、銀河も星々も地球や自然森羅万象すべても、神であり神の顕れとなります。一神教が説く唯一絶対神ではなく、全てが神であり神の顕れであるということをわたしたちは理解しなければなりません。

“神とは、生命を司る仕組みであり精氣そのものです。”ですから、神とは、世間で言われている御利益を叶えてくれる靈団靈人・他星人といった存在でもないのです。そして、そもそも御利益をお金や物で買うといったものではありません。神社仏閣にある賽銭箱は何でも買える自販機ではないのです。千円を入れて一億円当たりますように、病が治りますように、結婚できますように…などと申すことは、非常に身勝手で都合の良い滑稽な話なのです。公認されている御利益ビジネスにすぎません。

神を信じないと申す人は、神とは何か?正しく理解できていない人と同様です。神の恩恵を日々頂きながらも全く感謝することなく生きるということもまた、非常に身勝手で怠慢な生き方なのです。しかしそれは、社会がこれまで正しいことを教えてこなかったがゆえに歪んでしまった結果でもあります。神に対して人は、命をはじめ喜びすべてを頂いているということを悟り感謝することのみなのです。

無神論者も有神論者も真を学び、正しき取捨選択をしなければならない時代にきています。

「あなたが申していることは宗教である」と申し、批判的な見方をされる方も時折いますが、勘違いしてはいけないことは、宗教とは決して悪いものではありません。信仰者の全てが悪人な訳ではないのです。無宗教者が偉いわけでも美しい生き方をしている訳でもないのです。宗教批判をするとしたならば、宗教団体の在り方、個々の教えの受け止め方が問われているということだけなのです。

わたしは生涯にわたり真を伝える人として生きてゆきたいと心より願っています。

2017.12.20 神人 拝

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★神人霊媒日記★

神社・教会・仏閣というのは、

人が建築した祈りの場という空間であって、

決して神や仏が住んでいる特別な処ではございません。

神聖な場であるという位置づけを、民に刷り込むことで

そこに関わる人々の権威・権力を強めるためのものです。

地球そのものが、神社(かみやしろ)であり、

みんな神の中に存在する神の子なのです。

ですから本来、人には上も下もございません。違いがあるのみです。

そして、其々みんなに大切な役割が与えられており

この世界に必要として存在させられているものでございます。

人神も、元は生きていた人です。

亡くなって神社の祭神として祀られ始め現在に至りますが、

別に特別な存在になった訳ではございません。

特別な存在になったとして民を洗脳してきただけなのです。

それは、思い込みであったり、一族の権威・権力を維持する為であったり…です。

仏とは、人々が作り上げた想像の産物でございます。

お釈迦様も元は、生きていた人でございます。

亡くなってからお弟子さんたちが、仏陀と呼び始めたに過ぎません。

別に特別な存在になった訳ではございません。

その後も、地球や他星にも幾度となく転生致し指導者としております。

イエスもモーゼもマホメッドも亡くなってから神聖化されましたが、

元はみんな普通に生きていた人でございます。

亡くなってからも幾度となく転生致し、やはり指導者としております。

みんなが気付いていないだけなのです…。

それは霊性高き者たちは、生まれ変わって過去の記憶があったとしても

己が過去生で何者で在ったか?

ということを明らかに致したりする人は、ほとんど居ないからです。

それは、とても恥ずかしい行為にもあたるからです。

過去生において己が何者であったのか?

ということが重要なのではなく、

現生においては、己にいったい何が出来るのか?

ということの方が、とても重要なのです。

霊世界には、色々な霊性の霊人が居られますが、

霊性・霊質に応じて集いそれぞれのグループに属しても居り、

同じ趣味・嗜好の人々が集うコミュニティーのようなものが

無数に存在致しております。

それぞれの人数の大小規模に応じて、

大霊団、霊団、霊と判り易く説明させて頂きますと、

大霊団とは、国のようなもの。

霊団とは、都道府県市町村、企業・会社のようなもの。

霊とは、其々の個々を申します。

霊媒が関わる存在は、霊存在です。

ですから、神がかりとは申しません。

正しくは、霊がかりという言い方になります。

其々霊団の代表霊人との交渉・対話を致しながら、

必要なことを現生に繋ぎ共に役目を致すのが、霊媒の仕事です。

霊主体従ではございますが、

それは思考(霊)があって言動・行動(人)に繋がる意に等しきこと。

霊あっての人。人あっての霊という関係性は変わりません。

どちらが上下ということは、本来ございません。

そのことを、多くの霊団・霊人らも理解致さねば、

人と共に致す真の役目は出来ません。

人とは、霊に使われる者であり霊の僕(しもべ)と見る霊人は、

まだ、霊性の低き霊人らであり、格付けを好む霊団でございます。

霊人も、肉体人も、ひとつひとつ正しき観念を学ばねばなりません。

礼節をもって霊、人と関わることはとても大切なことではありますが

霊・人に対し過剰な崇拝・関与は真の道から外れたものになります。

正しき観念は、肉体人に対しても、霊人に対しても

みんな貴き御霊として親しみを持ち一人一人大切に関わることです。

みなうれしうれしたのしたのしみらいへかわる

神人 拝

(続く) 
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【神人靈媒日記】

〜亡き母との対話 盆を過ぎて〜

私: 盆が過ぎて変わりはないか?

母: 色々ありましたよ…。

私: どんなことがあったか?話してほしい。

母: 靈人たちがお盆が明けても帰らず、私の側にいて色々と抗議し始めた。

私: 抗議?

母: 私がいつまでもこちらの世界に関わり続けているから、「それはいけないことだ!」とみんなで説教をしてきたんだよ。

私: それでどうした?

母: 私はね、一度行ってみようかと思って、あちらに行ってみた。

私: 靈界へか?

母: そう。みんなが来なさいというあちらの世界に付いて行ったのよ。

私: どうだった?

母: ん…。確かに気持ちが良くて楽な気分になる処だった。しかし、みんな何もしていないのよ。瞑想にふけっているみたいで。

私: まぁ、仕事をしなければならない訳でもなければ、子供や孫の面倒をみなければならない訳でもなく、家事も食事も睡眠も要らない訳だから、ぶらぶらするか、瞑想でもするぐらいなんだろうね。

母: そうなのよ。何もすることがない世界だった。「こちらでは何もしなくてもいい世界なんですよ」と笑顔で言われて、何が面白いんだろうとびっくりした。

私: ただ暇な世界なんだね。

母: そう。何もしないのはつまらないと感じたから、「私はあちらでしたいことがあるので、やはりまた戻ります」と言ったら、「それは許されていません」と言う訳。「どうして許されていないのですか?」と伺うと、「仏教徒はそのように決められているからです。我々があちらに行けるのは、お盆や法要、それと縁者のお迎えの時だけに限られているのですよ。」と言われたの。

私: 仏教徒は、ということだよね?

母: そう。だから、「私は仏教徒というほどの信者ではありませんし、私は自分の思いを大切にしたいと思っています」と言ったら、「あなたは檀家であり墓に入られましたし、仏教の教えに従いこちらの世界に来たことになっていますので、私たち靈団に従わなけらばならないのですよ」と言われた。

私: 強制か…?基本的人権の信仰の自由はないのか?日本靈界では古臭い思想が未だに根付いているということなんだな?

母: あなたに話を聞いていたから、そういうことなんだと察したの。しかし、大人数で囲まれてみんなに見られながらお説教されると、怖くもなるし、自分が間違っているのかな?とも思えてきてね。しかし、「私は息子の言う言葉を信じたいと思いますし、側にいて出来る限りのことをしてあげたいと思います」と言ったのよ。そうしたら、みんなであなたのことを正しに行くと言って、あなたの側に来てみんなで説教し始めた訳。

私: だから、盆明けから1週間近く気持ち悪くて眠れずに、もじゃもじゃしてたのか…。熱も出てたし、浄靈してもしても変わらず、本当に気持ち悪かった。悪魔靈団からの嫌がらせだと思ってもみた。

母: それでも彼らは、あなたの思想に触れて、あなたの言葉をひとつひとつ聞いて、多くの方々が、次々に納得して変わってゆかれたんだよ。あれだけあなたを悪く言っていた檀家靈団の方々が理解を示して、逆に手を合わせていた方々も現れたんだよ。「これこそがお釈迦様の本当の教えではないだろうか?我々はもしや間違った教えを受けていたのではないだろうか?」と言った方がいて、そうしたら、急にみんなが頭を下げ、あなたに謝り始めたんだよ。

私: 死をテーマにした講演を行った時に、やはり聞いていたんだね。たくさんの靈人が来ていることは分かっていた。始めはかなり疑念と不快な念をこちらに発していたから、講演の途中途中で、靈人たちにむけたお説教もさせてもらった。その後、発する氣がどんどん変わってゆくのは感じた。あの時分かってくれて、変わってゆかれたんだね。それは良かった。その後から数日間に渡り、声だけではあるけれど、誰からかの感謝の声が聞こえて来てはいたよ。

母: 大変だったでしょう。あれだけの数に囲まれて怒られていたんだから、苦しかったと思うよ。

私: そうだね。1週間くらいは尋常じゃない不快感だった。悪魔らと何ら変わらないくらい負の念を感じた。だから、こちらも言いたいことを言わせてもらった。理由は何であれ、あなた方がしていることは、不法侵入罪であり、傷害罪であり、詐欺罪であり、信仰と表現の自由を奪おうとしていることには変わりはないとみんなに言い続けた。そして、まだ生きている一人の人間に対し、大人数で取り囲み苦しめ続けるとは、あなた方がしていることは、お釈迦様の顔に泥を塗る行為であり、非暴力と慈愛からはかけ離れた非仏教徒である!仏教を盾に仮面を被って悪業を働く者たちに過ぎぬ故に、お前たちは仏教を語るな!と怒鳴りつけた。私はそこまで精神的に追い込まれ死をも覚悟したからだ。

母: よくあれだけの数を相手に言えたものだなと感心したよ。お前はよく言ったね。

私: 人は何日も眠れず不快感にさらされると、流石にキレるものだ。相手が何であろうとどれだけ居ようと関係なく、身を守ろうとして最後の精一杯の威嚇にも出るものだよ。今回はそこまで追い詰められた。一仏教檀家靈団&一仏教僧靈団との闘いだったけれど、すべては自分で招いた因果であり、いつかこのようなことになるということは想定していた。これは、私に与えられていたカリキュラムのひとつであり、指導靈団からみれば予定通りでもあったのだろう。それは、日本靈界は大きく変わることになると前々から指導靈より伺っていたから。

母: そうだったのか?私はあなたが殺されるのではないかとひやひやしていた。でも私にはどうしようも出来なかった。私のせいでこんなことになったと自己嫌悪の念に晒され反省もしていたから。

私: お袋には分からないとは思うけれど、実は初めから靈界改革のためのシナリオが容易されているんだよ。我々は、高次元の監督の指示に従い動かされている役者に過ぎないんだ。靈界のシナリオは臨機応変に変化するけれどね。

母: そうだったのか?面白い仕組みだね。

私: だから自分を責めたりしなくていいよ。お袋はお袋の思うままにあれば、それもまたシナリオ通りだと思うから。

母: 分かった。それを聞いて安心した。また色々とこちらで出来ることをするね。

私: はい。宜しくお願いします。

母: はいはい。ではまた。

2018.8.28 神人 拝

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★神人霊媒日記★

先日、仙台ツアーの際、1泊2日で宮城・岩手・青森・秋田を巡る「みちのく縄文の旅」をご企画頂き愉しい旅をさせて頂きました。御主催下さいました天命舎の皆様、御参加下さった皆様に心より感謝申し上げます。

みちのく縄文の旅で体験したことを何度かに分けて御紹介させて頂きたいと思います。

先ずは、非常に印象的だったのが、岩手県奥州市にあります田んぼに囲まれた「磐神社」に伺わせて頂いた際、荒覇吐神(アラハバキ)を祀る巨石がありまして、こちらからコンタクトをさせて頂いたのですが、岩より色々なことをお教え頂きました。

これまで、岩石との対話というのはしたことがなかったのですが、今回初めて対話させて頂きました。私はこれまで鉱物というのは、記憶媒体でしかないと思っておりましたので、過去のデータを頂く必要性がある場合に関わる存在という認識をしてきました。

それは、今でも変わらないのですが、但し鉱物の中には人格的な要素を持った存在も稀にあり、対話が成り立つということを今回初めて体験致したのです。

縄文時代からずっと、荒覇吐神=自然神の象徴として、その時代その時代の人々に祀られながら、身近に接し続けて来た為に多くの人々の記憶・念というものが鉱物エネルギーと融合して、そこに存在しているのだと思います。

社の裏に祀られた在ります磐神より、「もっと近くに来なさい」と言われ、大変失礼ながらも私は手を触れながら話しを聞かせて頂きました。

神人:(テレパシーにて)「昔の人々のお話を聞かせて下さい。」

磐神:(神人口上にて)「この地に居た者たちの記憶全てと言えば切りがあるまい。ひとつは、ここに人が居った頃、最初は他の星の者たちが居った。この地には、皆が必要なことをする為に来ていた。ここから、色んな生命体(もの)を産み出し、この地の人(もの)が産み出され、集い、生き始めた。それから、苦しみの思いが集まり始めた。人は奪う。壊す。残すものは必要なもの。我々は動かぬ故にある。人を見れば苦しみが多くなった。かつて我々と関われた者(シャーマン)があったが、いずれも連れ去られては闇へと消えていった。この地での歴史は、やはり多かれ少なかれ苦しみ、壊す、奪う、罵る、それらが多く、わし等を祀っても、その意味も解らず苦しみに生きていた。本来であるならば、何を貴び変えねばならぬか、それが解れば喜び生きられたものに。苦しみ生きるは、人の愚かさ。自業自得な生き物。時だけが移り変わり、この地に生きる者だけが移り変わってきたに過ぎぬ。何が必要なのかを学び、良きに変われば良いものを…。」

(続く)

みなうれしうれしうれし

たのしたのしたのし

かわるかわるかわる。

感謝感謝感謝。神人 拝
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【神人靈媒日記2020.6.1】

〜本当の神〜

あなたの神を手放しなさい。

祈るという行為すべてを止めなさい。

そして、生きている喜びに深く感応しなさい。

どこまでも深く感謝の念に浸りなさい。

この世に生を受けたことを喜びなさい。

出会ったすべての存在に、場所に、出来事に、変化に感謝しなさい。

数えきれない想い出に感謝しなさい。

あなたの選択した思考に付き合ってきて下さった肉体に感謝しなさい。

あなたの心を「ありがとう」という言葉で染めなさい。

すべての面を染めなさい。

涙を流しなさい。泣いて喜びなさい。

その時あなたは、本当の神と出逢えるのです。

社の中にも、教会の中にも、お札や偶像の中にも、神は居ないのです。

居ると思い込まされているだけであり、真実は居ないのです。

仏を手放しなさい。仏壇を閉じなさい。

そこには仏は棲んでいないのです。

過去の人々によって、棲んでいると思い込まされただけなのです。

方便の世は終わったのです。

嘘はいつまで経っても嘘で終わります。

時代は、真実を説き、真実を学び、真実を喜ぶ、時なのです。

嘘は過去の遺産としてありがたく仕舞い込みましょう。

ただそれだけのことなのです。

あなたはやがて死ぬ時が来ます。

しかし肉体から抜けても存在し続けます。

喜怒哀楽のあなたの思いのままの世界に存在するのです。

けっして死んで偉くなることはありません。

偉くなると思い込まされてきたに過ぎないのです。

終わりではありません。永遠に続くのです。

誰かに拝んでもらわれなければならない訳ではありません。

拝まれなければ救われないと洗脳されてきただけなのです。

すべては、魔の教えなのです。

教えに従わなければ救われないと、恐怖心を植え付けて、生きている時から魂を縛りつけ、意のままに操ってきたのです。そのような種類の信仰は全て、魔の教えが元なのです。

しかし、魔の僕となってきた地球人にとっては、必要な教え方でもあったのです。

恐怖心は、一番影響力のある思考だからです。

でもこれからは、洗脳ではなく理解の時代となります。

理解することで喜びを得られ、自分から進んで物事を行う人となるのです。

嘘は必要としなくなります。

人々は、瞬間的に嘘を見抜くことができる能力を徐々に得てゆくからです。

だから世の中は、真の世となるのです。

嘘をつき人々を騙して、洗脳支配してきた悪魔種族たちが、地球に棲むことが出来ない理由のひとつなのです。

一人一人が靈性を見抜かれる世となってゆくのです。

ゆえに分相応の棲み分けが必要となります。

それが、個々にとっても喜びとなるからです。

山のものは山へ、海のものは海で存在するがゆえに、喜び輝けるのです。

みなみなうれしうれしたのしたのしとは、そういうことなのです。

みなみなうれしうれしたのしたのし

かわるかわるありがたいありがたい

むーうーるーうーーー

2020.6.1 神人 拝

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【神人靈媒日記】

法要しなければ故人を供養できない⁉︎とか

お盆には故人が家に帰ってくる⁉︎とか

故人は墓に眠り魂は位牌に宿っている⁉︎とか

それは、すべてが全くの嘘です

まともな霊能者であるならば解るはずです。

元々は作り話であり信徒を増やし布施を得るために

慣習化されたものばかりだからです。

お釈迦様はそのような教えは説いていません

仏教とは、仏の教え=お釈迦様の教えのことです。

お釈迦様が説いていない慣習とは?

いわば後からの者が都合よく付け加えた仏教ではない教えなのです。

田舎では僧侶が檀家に対して、年忌法要を義務化し、行わなければならない!と強要する人もいます…。

いわば、布施=お金を要求する

という間違い(=寺請制度の名残り)がまだまかり通っているのです。

檀家制度(だんかせいど)とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係を言います。

寺請制度(てらうけせいど)とも言われます。

江戸時代の宗教統制政策(江戸時代よりキリスト教弾圧&寺院守護の目的で始まったもの)の一環として設けられた寺請制度が檀家制度の始まりです。

檀家は特定の寺院に所属し、葬祭供養の一切をその寺に任せ、布施を払います。その意味では、一般民衆である個々の檀家が寺院の経済的な支援者となります。しかし、檀家制度においては、寺院の権限は強く、檀家は寺院に人身支配されていたと呼べるほどの力関係が存在していました。寺院側は、常時の参詣や、年忌・命日・法要の施行などを檀家の義務と説き、他に寺院の改築費用や本山上納金などの名目で経済的負担を檀家に強いたのです。今日におけるお彼岸の墓参りやお盆の法事などは、檀家制度によって確立したものといえます。

幕府宗教政策もあって、寺院は社会的基盤を強固な物にすることに成功しましたが、一方で仏教の世俗化が進みました。寺請の主体となった末寺は本山への上納など寺門経営に勤しむようになり、仏教信仰は形骸化してゆきました。

檀家を持たない寺院は“現世利益を標榜することで信徒と布施を集める”ようになり、檀家を持つ寺もまた“祖先崇拝といった側面を強めて”ゆきました。いずれにせよ、このような寺院の強権的な立場、民間信仰(祖霊信仰)とのより強い混合、また堕落は制度ができた当時から批判があり、それらは明治の廃仏毀釈に繋がっていくことになるのです。

現在では、寺院の権限はほとんど無いにせよ、檀家制度は残っています。いわゆる葬式仏教や、檀家制度によって確立した年忌法要、定期的な墓参りは日本に根付いており、葬儀や先祖の命日法要、墓の管理を自身の家の檀那寺に委託する例は多いのです。

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《《《檀家制度の歴史》》》

*飛鳥時代に仏教が伝来した。

*有力者が仏教信仰対象=檀越となった。

*有力氏族が寺院を建立した。

*蘇我氏の飛鳥寺の秦氏の広隆寺が有名。

*寺は有力氏族のために葬祭供養を行った。

*檀越→檀家の源流である。

*寺院は所領を持つようになる。

*荘園領主的な側面を帯びるようになる。

*寺院の収入源は布施から荘園収入に変わ

る。

*寺院は政治的な権力を持つ。

*寺院は檀越に依存しなくなる。

*応仁の乱以降、荘園制崩壊となる。

*寺院は一般民衆を対象とし布教する。

*仏教は出家から在家へ移行していく。

*坐禅から葬祭へと比重が変わる。

*寺院は先祖崇拝や家と結びついてゆく。

*檀家という言葉は鎌倉時代には存在した。

*仏教は一般民衆の家と結びついていった。

*檀家制度は、応仁の乱(1467-1478年)以降、江戸時代に寺請制度が施行される約200年間の、荘園制が崩壊して郷村が成立、また広範な家の概念が成立した時期にできた。

*寺院(檀那寺)は、社会的・経済的基盤を荘園や特定の檀越・外護者から、一般民衆へと移し換えた。

*江戸幕府は、1612年(慶長17年)にキリスト教禁止令を出し、以後キリスト教徒の弾圧を進める際に、転びキリシタンに寺請証文(寺手形)を書かせたのが、檀家制度の始まりである。

*キリスト教徒ではない証として民衆に寺請が行われるようになる。

*武士・町民・農民は身分問わず寺院の檀家にさせられた。

*寺院の住職は自らの檀家であるという証明として寺請証文を発行した=寺請制度

*寺請制度は国民全員が仏教徒となることを義務付けるものであり、仏教を国教化するのに等しい政策であった。

*寺請を受けないとキリシタンのレッテルを貼られ社会権利の一切を否定された。

*末寺=檀那寺は幕府の命により寺請の任を背負い、キリシタンの親族の監視など禁教政策に伴い権限を強化していった。

*寺請制度は世の中が平和になり人々が自分の死後の葬儀や供養のことを考えて菩提寺を求めるようになったゆえの制度とする見方もある。

*1631年の寺院の新寺建立禁止令などを通して、檀那寺は檀家を強く固定化する。

*檀家になるとは経済的支援を強いられるということであり、寺院伽羅新築・改築費用、講金・祠堂金・本山上納金など、様々な名目で経済的負担を背負った。

*1687年の幕法は、檀家の責務を明示し、檀那寺への参詣や年忌法要のほか、寺への付け届けも義務とされている。

*1700年頃には寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、常時の参詣、年忌命日法要の施行、祖師忌・釈迦の誕生日・釈迦涅槃日・盆・春秋の彼岸の寺参り(墓参り)を挙げている。

*もし檀家が責務を拒否すれば、寺は寺請を行うことを拒否し、檀家は社会的地位を失った。

*遠方に移住するというような場合を除いて、別の寺院の檀家になるということもできなかった。

*一般民衆には生まれた家は檀那寺の檀家となって責務を履行する以外の術はなく、寺と檀家には圧倒的な力関係が生じた。

*江戸時代の檀家は、寺の経営を支える組織として寺院に組み込まれたものであった。

*寺院の安定的な経営を可能にしたが、反面で信仰・修行よりも寺門経営に勤しむようになり、僧侶の乱行や僧階を金銭で売買するということにも繋がっていった。

*家や祖先崇拝の側面が先鋭化し、本来の仏教の教えは形骸化して葬式仏教に陥った。

*檀那寺は、檀家制度によって極めて安定的な収入源を得ることに成功した。

*檀家のいない寺院は現世利益を旨として信徒を集めるようになった。

*寺院は寺檀関係を持つ回向寺(えこうでら)と現世利益を旨とする祈祷寺(きとうでら)に分かれた。

*檀家は負担を強いられたが、先祖供養を目的に祖先崇拝するようになり檀家制度は受け入れられていった。=※儒教の影響

*日本では死後一定の段階経ると仏になると言われるが、元来の仏教にはそのような教えはどこにも無い。

*檀那寺に墓を作ることも義務化され一般庶民でも墓に石塔を立てる習慣ができた。

*檀家は先祖の追善供養を行い、家の繁栄を願うように指導された。

*祈祷寺は、無病息災、恋愛成就といった個人レベルの願い、五穀豊穣、商売繁盛といった家の繁栄の願いなどを寺院参拝の御利益とし、他に祈祷などを行なった。

*祈祷寺は流行仏と言われ、定期的な開帳を行なったり、縁日を行なうことで布施を集めようとした。

*回向寺も檀信徒の信仰心が離れないよう祈祷寺と同じく、定期的な開帳を行なったり、檀家の義務と説いた年中行事も祭事や縁日のような興行的な側面を強くし、布教の一環として説教も盛んに行なった。

*江戸時代の人々は回向寺で先祖の追善供養を行なって家の現在・将来の加護を願い、祈祷寺で自身の現世利益を願った。

*檀家制度や本末制度によって生じた寺院の強権的な立場は、僧侶の乱行というような問題も生じさせていた。

*立場を利用して檀家から際限なき収奪が可能となった寺院には当然、批判が起こった。

*批判者は儒学者・神道学者・国学者など幅広く、数も多かった。批判は江戸時代の初期からあり明治維新の廃仏毀釈運動まで江戸時代通して存在し続けた。

*幕府や藩は寺院への締め付けを行なった。

*1665年「諸宗寺院法度九ヵ条」

・寺院から無教養の僧侶を放逐する

・檀家の負担を軽減する

・寺に女性を泊めない

・離壇の権利を檀家に認める

*行政を担った寺院の権益を奪いきることはできず寺院の腐敗は続いた。

*明治最初期、多くの寺院の破壊を伴った廃仏毀釈運動が起こる。

*檀家制度による寺院経営にほころびが見えると、各宗派からも体質改善や改革といった声が出てくるようになった。

*本来の教え仏法に帰るべきという点が強く主張され、先祖供養などの否定にも及んだ。

*寺請制度は、1871年に氏子調に引き継がれて廃止されたが、檀家制度は依然存在している。

*寺墓を持つため寺と檀家が繋がっているだけというケースが多く、家人の葬儀や先祖の年忌法要といった儀式儀礼でしか寺と檀家は接点を持たない葬式仏教となった。

*経済成長に伴った農村から都市への人口移動なより人が減り廃寺となるところご目立っている。

*葬儀業者が一切を手配する例が多く寺檀関係は希薄化している。

*檀家制度は、年忌法要・彼岸や盆などの年中行事をが作りだしたが、現在でも日本人の宗教観や生活に大きな影響を与えている。

*仏教寺院に対し檀信徒一般が求めるものは、仏教の教義ではなく、墓や位牌といった先祖供養の側面が強く葬祭の司祭者としての関係となっている。

(☆Wikipediaより参照)

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2018.7.13 神人 拝

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【神人靈媒日記】

〜宗教的慣習について〜

人が死んだならば

いったいどうすれば良いでしょうか?

死とは誰もが必ず通る道ですが

あなたはどこまで考えていますか?

読経はいる?いらない?

戒名はいる?いらない?

葬式はいる?いらない?

お墓はいる?いらない?

数珠はいる?いらない?

法要はいる?いらない?

仏壇はいる?いらない?

お盆はいる?いらない?

彼岸はいる?いらない?

すべては過去の人によって作られた慣習(=作り話)です。(※そしてすべてにはお金がかかります。)

「いる」と思えば「いる」

「いらない」と思えば「いらない」

それが“答え”となります。

「いる」と思う人は「いる」と思い込まされた人であり、「いらない」と思う人は思い込まされていない人であるとも言えます。

世界的に見れば、そのような宗教的慣習のほとんどが日本だけにしか見られないものであり独自なものであるということを、いったいどれだけの人が理解しているでしょうか?

いずれも宗教儀式的なものですので、ビジネスとしては擁護されており税金対象とはならないものがほとんどです。坊主丸儲けとは事実であり、寺院の檀家ともなれば墓終いしない限りは、世代を越えてずっと半永久的にお金を搾取され続ける仕組みとなっています。

日本人は死んでからも30〜50年お金がかかるように半強制的に江戸時代より慣習化されてきました。慣習に背いたならば、西洋の魔女狩りのように不義理な者として不当な扱いをされたり村八分にされたり、罪悪感を抱かせるように洗脳されてきています。

各宗教団体による故人供養・先祖供養という名目の仮面をつけた拝金主義的な慣習が、檀家制度における一番の問題点なのではないでしょうか?それらの宗教的慣習の見直しが必要な時代になってきていると思います。

わたしは20年間に渡り誠心誠意シャーマン(靈媒師=現次元世界と異次元世界を繋ぐ役目)を務めさせて頂いてきた者として言わせて頂きますが、日本がより良い健全な国となるためにも、日本人の宗教に対する意識改革が必要であると懇願いたします!!

2019.1.6 神人 拝

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皆さまとの出会いに心より感謝申し上げます

より良き御縁が益々拡がってゆきますように

神人 拝
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【神人靈媒日記 2018.12.18】

〜どうして神人と名乗るのか?〜

神人(かみひと)という名前をどうして名乗るようになったのか?と聞かれることがこれまで大変多くありました。それもそのはずです。そんなとんでもない名前を偉そうに名乗る人なんて…!?と思う方もきっと多いことでしょう。ですから、私が神人(かみひと)と名乗るようになった経緯をお話ししたいと思います。

私が世界の飢餓問題と出会い、救済支援のための募金活動をする目的で、30代より音楽活動してゆくと心に決め、新たなアーティスト名を付けたいと考えていた際、指導靈に教えてもらった名前が神人(かみひと)だったからです。初めは、恐れ多く恥ずかしくとても抵抗がありましたが、指導靈の教えを受けて納得しました。そして、神人(かみひと)と名乗るようになったのです。

指導靈より名前を教えてもらった時の対話を御紹介したいと思います。

私: 神人(かみひと)?どうしてそのような名前を名乗らなければならないのですか?神の人なんて幾ら何でも恐れ多いし恥ずかしいです。

指導靈: あなたにとって「神」とは何ですか?

私: 願いごとを叶えてくれる目に見えない凄い存在。

指導靈: それは神ではなく、靈です。

私: 靈?

指導靈: あなたはなぜ生きられているのでしょうか?考えてみて下さい。

私: 食べたり飲んだりしているから。空気を吸えるから。身体が健康であるから…。

指導靈: では、あなたが生きるために必要なものはいったいどこから来ているものですか?

私: 地球…?

指導靈: そうです。それなのにあなたはなぜ、御利益ばかり願い、毎日お世話になっている地球に対しては感謝をしないのですか?

私: …。考えたこともなかったし、誰からも教えてもらったことがなかったから。

指導靈: あなたを生かして下さる存在が、真の神なのです。

私: 真の神…?

指導靈: 本来なら、真の神とは命を司っている存在のことを言います。

私: なるほど。では、宇宙であり太陽や地球、自然森羅万象すべてが神ということですか…?

指導靈: そうです。願いごとを叶えてくれる存在が真の神なのではなく、それは靈であり靈団なのです。あなたを生かしてくれている存在が真の神であり、あなたは神の中に存在しているのです。

私: 神の中に存在している…。

指導靈: あなたは真の神に感謝しながら生きることの大切さを伝える人になると良いでしょう。

私: では、神人とは、神とは何かを伝える人、神に感謝しながら生きる人という意味と考えればいいですか?

指導靈: そうです。真の神とは何か?ということを人々に伝える御役目をする人になるということです。

私: 分かりました。神人(かみひと)とは神に感謝しながら生きる人、真の神とは何か?!を伝える人になります。ありがとうございます。

指導靈との、この対話は2001年の頃のお話しです。それから数年後に、シンガーソングライター神人(かみひと)として、世に現れました。

尚、神人とは、一般的には読み方によって以下のように意味が異なります。

◇しんじん=神主

◇じんにん=神社で働く人

◇かみびと=特別な靈力を持っている人

◇かみんちゅ=シャーマン(琉球語)

「かみひと」とは、

私だけが説いている呼び方となります。

◇かみひと=神に感謝しながら生きる人(※神=天地)

2018.12.19 神人 拝

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