誰とも勝負しなくていい
世の中、勝ち負けだけじゃないのに、なぜかいつも気づけば誰かと勝負してることがある。
たとえば運転技術。
以前介護士をしていたとき、利用者を乗せるための送迎車は大きな車が多い。
ハイエースやキャラバンという大型車だ。
その職場では女性も多く、場所によってはハイエースがギリギリ通るという路地もあり、その場所を避ける人や男性社員でもぶつけたことのある人がいる中、自慢するつもりはないがわたしは一度もぶつけたことがない。
技術もあるかもしれないが、安全でもあるということ。
ただし、それは利用者を乗せているときだけ。それ以外のときは、わりかしオラオラ系かもしれない。
遅い車には " チッ " となり、駐車場で斜めになっている車をみては、「運転できないなら運転するんじゃねー」と心の中で毒づいていた。
そんな自分に気がついて、さすがにいや気がさしてきた。
一体わたしは何のために、誰と勝負してるんだ?
わたしは昔から負けず嫌いなところがある。でもそれはよく思い返してみると、勝てる勝負にだけ挑んでる。
なんでこんなに勝ち負けにこだわるのかな?
最初に勝負を意識し出すのってきょうだいだよね。
あ〜、お母さんにいい所を見せてほめられたかったんだ、と気づく。
たとえば、妹たちより成績がよければほめられたし、スポーツができては「運動神経がよくて私に似てる」と母はよろこんでくれたのだ。
わたしの負けず嫌いはそこからきている。
母の期待に応えたい。愛されたい。その一心だった。でも、もうそれはいまのわたしには不用だ。
なぜなら、愛されていないと思っていたのはわたしの単なる勘違いで、いつ、どんなときも、ダメなわたしさえも愛されていたのだから。
もう母の期待には応えなくていい。だから、誰とも戦わなくていいし、負けてもいいのだ。
勝負しなくていいって、ほんと気持ちが楽になる。どんだけとんがってたんだ?わたしってば。笑
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