変形統治行為論

これは統治行為論アドカレの記事です。

そういえば統治行為論って何?

 こんな記事を読んでいるような皆さんはもちろん「統治行為論」という言葉になじみがあるかと思いますが、統治行為論とはいったい何なのかを我々はどの程度知っているのでしょうか?
 wikipediaを見ると次のように説明されています:

統治行為論(とうちこういろん)とは、「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性ある事柄に関しては司法審査の対象から除外するという理論。

統治行為論- wikipedia

 核となるのは最後の「司法審査の対象から除外する」という部分です。『国家統治の基本に関する高度な「政治性」を有する国家の行為』というのがいわゆる「統治行為」に該当します。
 いくつか実例を見てみましょう:

条約の一方的な破棄

 1992年のフランスで、次のような出来事がありました。1983年から1984年にかけて、フランスーモロッコ間で結ばれた協定により、モロッコ人はビザなしでフランス国内に渡航することができました。しかし、フランス国内でのテロの多発といった情勢の変化を理由に、フランス側はこの条約を一方的に破棄し、その旨をモロッコ側に通告しました。この手続きは本来の条約破棄に必要な手続きを踏んでおらず、このことを理由にフランス国内においてモロッコ人による訴訟がなされました。
 しかし、フランスの司法は条約破棄を「統治行為」として、この訴えを退けました。条約の破棄はフランス国内のみにとどまらず、国際関係を様々に鑑みた「高度な政治性を有する」行為であるということなのです。

苫米地事件

1960年に、衆議院の解散にかかる手続きが不当であるために、衆議院議員の苫米地氏が歳費の支払いを巡って訴訟を起こしたのが有名な「苫米地事件」です。この内閣の解散は「もし、衆議院の解散の違憲性が審査されるとすると、解散後の新衆議院も一連の違憲な手続きの中で組織されたことになる。そうすると、違憲な衆議院の決議も再び違憲であるわけなのでそれらは全て改めて決議しなおしということになる。そうなると大変な混乱を招くこととなり、国家統治の根幹にかかわる事態が引き起こされかねない。」という「高度な政治性」を根拠に「統治行為論」を適用し、苫米地氏の訴えは全面的に退けられました。

統治行為論って違憲なの?

結論、違憲。
 これに関しては、三権分立に抵触するのではないか、などといった諸説があるけどなんか解説を書くのがめんどくさくなったので違憲ということにしておきます。

変形統治行為論

 砂川事件においてはさらに複雑な「変形統治行為論」の立場がとられました。まずは砂川事件の概要をおさらいしましょう。
 なんかすべてがめんどくさくなってきたな。気になった人は自分で調べてください。

おまけ:統治行為論不要論

 こんな違憲な学説は当然不要なのですが、合憲違憲に関わらず統治行為論はそもそも必要ないという学説もあります。これらは「通例では統治行為論によって説明される判例は全て統治行為論を持ち出さずとも十分整合的な理解ができる」というものです。
 例えば、「国民主権の立場に立てば、国家行為の審査を行うべき主体は国民であり司法ではない。したがって、統治行為に関しては裁判の審査対象ではない。」という根拠により統治行為論が説明されることがありますが、これはあくまで裁判所の立場を憲法にのっとってきちんと解釈すればよいだけの話であって、統治行為論を持ち出す必要はない。といった具合です。「国家統治に関わる行為の中には裁判の審査対象にならないものがある。」ということは認めるとして、それは個別にきちんと「統治行為論」以外の根拠を持つ。ゆえに統治行為論は不要だということになります。

参考文献

参考文献は斎藤芳浩著の「統治行為論の法理」(法律文化社)です。この本の前書きに書いてあることを信用するなら、日本において統治行為論を本格的に論じたのはこの本のほかにないらしいです。

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