【韓国語学堂留学】徳寿宮
こんばんは!
5日目の投稿です。
今日は、中間テストの後、フランス人の友達と市場へ行き、屋台料理を堪能しました^^
彼女と別れた後も、私は一人でソウルを探索しました。
ソウルは本当に面白い!
東京よりも街に緑が多く、近くに山を臨むためか、都会にも関わらず心が落ち着きます…。
さて、今日は韓国に渡航し、語学堂の授業開始前に一人で観光した『徳寿宮(トクスグン)について、歴史と感想をお伝えします。
徳寿宮
歴史
(参考:徳寿宮パンフレットより)
(参考:駐横浜大韓民国総領事館『朝鮮王朝末期の王室について』『朝鮮』)
徳寿宮は1592年の文禄の役以降、政治の舞台、そして王族の住処である宮殿として使われてきました。
しかし、徳寿宮に現在多くの観光客が訪れ、人気を誇っているのは、朝鮮王朝末期の国王である「高宗(コジョン)」が、その整備に多くの力を注いだからかもしれません。
1392年、李成桂(イ・ソンゲ)により朝鮮が開国します。
そして、第4代国王世宗(セジョン)の治世には、現在に受け継がれる文字、ハングルが誕生します(在位1418~1450)。
1592年、文禄の役(壬申倭乱)により、豊臣秀吉が朝鮮に出兵しましたが、李舜臣(イ・スンシン)率いる水軍の激しい抵抗により、豊臣軍は一時撤退を余儀なくされます。
このとき、第14代国王宣祖(ソンジョ)が、文禄の役の避難から帰ってきた後、徳寿宮が宮殿として使われ始めます。
徳寿宮は宣祖の帰国を機に設立されたのではなく、王族の子孫が住んでいた家を宮殿として利用したそうです。
その後も1600年代前半まで、徳寿宮は宮殿として役割を果たしましたが、やがて政治の拠点は昌徳宮(チャンドックン)へ移ります。
しかし、それから約270年後の1897年、第26代国王高宗が徳寿宮を再び政治の舞台として復活させ、大規模な整備・改築を試みます。
高宗は、朝鮮王国を「大韓帝国」と改名し、国王も「皇帝」へと格上げします。
そして、徳寿宮を大韓帝国にふさわしい宮殿にするため、敷地内では老朽化した建物の修復や新しい建物の建造が行われていきました。
中でも特徴的なのは、近代化のシンボルともいえる西洋風の建物です。
石造殿、重明殿、静観軒は現在でも残っています。
石造殿は、接見室や大食堂、皇帝の寝室や書斎が一つにまとまった西洋風の建物です。
日本の植民地支配により、内部の構造が大きく改造されてしまいましたが、現在は「大韓帝国歴史館」として開館しています。
重明殿は、皇帝の書斎として建てられました。
1905年、第二次日韓協約が締結された場所です。
静観軒は、ロシア人建築家サバチンが設計したもので、韓国と西洋の建築様式が融合した、独特な雰囲気を持つおしゃれな建物です。
感想
まず、チケットを購入し、入り口の大漢門を入ります。
色がとっても鮮やか。
中和殿に続く中和門。
階段にいる生きものは何でしょう…?
こちらが中和殿。
宮殿の最も中心となる建物、「正殿」にあたる場所です。
おばあちゃんとその孫なのでしょうか、女性の説明に熱心に耳を傾ける小さい女の子がかわいらしく見えました。
ここは、正殿の裏側にある俊明堂。
何に使われていたのか、パンフレットからはわかりませんでしたが、本当に色が美しく、圧倒されていました。
こちらは、静観軒。
韓国の美術と西洋の美術が確かに混じり合っています。
柱と柵の装飾に注目してください。
鹿や松、菖蒲のような花が施されているのが分かります。
まとめ
家族旅行以来、2回目の徳寿宮の訪問でした。
この日は晴天で、赤、青、緑といった韓国の伝統色ががいつも以上に映えていました。
明日(というか今日…)は、漢江公演で花火大会がありますが、一緒に行く友達がまだ見つからず、どうしようかと悩んでいます(笑)
夕方までに見つかりますように☆彡
おやすみなさい^^