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〈my story〉経営者としての在り方②

 現在私(大西)は現役大学生であり、授業外活動の一環として「京都ではたらく私のライフストーリー」メディア作りに参加しています。取材対象者様へインタビューを行い、自分が将来何をしたいのか考えるきっかけとなりました。今回ご協力いただいたのは、小田浩子さんです。インタビュアーは大西、佐藤、編集は大西、野崎です。
職業:有限会社遠山 代表取締役

有限会社遠山・・・コンビニ4店舗の経営
         外国人の就労支援
         ホワイトニングサロン
         街づくり・人づくりのコミュニティースペース(Free Port京都)の開設 

【経営者へ①】コンビニを始めたきっかけ


 結婚してその後、娘2人産まれました。夫は実家の事業を継いでいたけどバブル崩壊に伴って立ち行かなくなって、たたむことになったんです。そこで新しくコンビニ業を始めました。
 その頃は、私は教えることが好きだったので、子育てをしながらECCジュニアで子供たちに英語を教えたりしてたんです。
 夫がコンビニを始めて4年ぐらいで、体調を崩しました。7年ぐらい過ぎたときに、店の状況が悪くなっていたので、私が見かねて代わりにお店に入ることにしたんです。そのときの私のこと、パートさん達からは「何もわかってない奥様が来た。」っていう風に思われたんです。私が日々の業務をノートに、これはこうしてくださいって書いても、誰も動いてくれないような状況から始まったんです。

【経営者へ②】瀬戸際からの立て直し

 コンビニの経営は危機的状況でした。勇気を出すしかないと、ある日、
「このままだったらお店がなくなってしまいます。皆さんの職がなくなってしまうんです。お願いですから力を貸してくれませんか?」
とパートさん達に現実を伝えました。実はこれを言うのはとても躊躇していたんです。もし私がこんなことを言って従業員が辞めたらどうしようって。でも今の私の右腕で、同い年のパートさんがいるんですけど、「それは大変や、えらいこっちゃ頑張らな」って言ってくれたんです。
 「いらっしゃいませ、こんにちは」って言わなければならないとか、そういう細かい決まりがたくさんあって、それをみんなにちゃんと知ってもらうことから始まりましたね。
 だけど、やっぱりみんな声ってなかなか出なくて、私も恥ずかしくて、うまく言えませんでした。でも自分が言わなかったら誰もやってくれないと思って、まずは自分がやってみせて、そのうちに、「小田さんがやるんだったら私もやりますよ」って言ってくれるパートさんが出てきたのがほんとに嬉しくて、その言葉は忘れないですね。
 それで最後、評価基準を大幅に上回ることができて、今の相方のパートさんとバックルームで安堵と喜び泣き崩れてしまいました。こうしてお店を続けられるのは、私が寝てる間も誰かがお店を守ってくれているみんなのおかげだなって。みんなへの感謝の気持ちであふれました。
 この時ですね。みんながこの職場にいたい、この仲間と一緒に生きていきたいと思えるような職場作りをすることが私の仕事だなって何となく思うようになったのは。それが経営者としての私のスタートです。

【経営者へ③】経営者としての私の原点

 その後、2号店、3号店を立ち上げていきました。3号店を立ち上げたときには、本部の要請で、私がオーナーつまり経営者になるように指示があったのです。これまでも夫の代わりに店を動かしてたので実質店長みたいなものだったんですけど、経営者になったとき、すごく重みを感じましたね。これでいいのかな?経営者ってなんなんだろう?といろいろ疑問がわいてきたんです。

 そのときに、うちのよくできるパートさんでシングルマザーの方がいたんですけど、子どもを2人も抱えてるのでやはり収入源に困ってしまう。そこで、私はこんなに頑張ってくれてるし、経営者として従業員を守りたい気持ちもあるので、正社員として彼女を雇いたいって思ったんです。でも、正社員としてここで雇う=深夜出勤させてしまう可能性が出てくるんです。子どもを深夜に放置してここに来いなんて私、とても言えないと思って。で、このことを彼女に打ち明けたんです。すると、「小田さん、私は大丈夫です。事務職を探すので大丈夫です。」って言ってくれたんです。

 でも、そのとき、私は思ったんです。
「一生懸命お店を守ってくれた従業員1人守れなくて何が経営者だ!私はコンビニ業だけやってても社員とか仲間を守ることはできないんだ。これじゃ、だめだ!」と。
 そして、外で経営者の勉強をするようになりました。

【経営者へ④】経営者に必要なものって何? 


 経営者が集う勉強会に参加して大きな学びがありました。
 「経営者っていうのはみんなと一緒になって働くのではなく、ちゃんと会社の方向性を導く人。だから経営者は皆と一緒に遠くまで水を汲みに行くんじゃなくて、みんなのために井戸を掘って水道管を通すこと。それが経営者の仕事ということです。」
 そのときから、「現場にいちゃダメなんだ。ちゃんとみんなの後ろに下がって管理をして、働きやすい職場を私が作らなアカン!」って思うようになりました。

【経営者へ⑤】京都中小企業同友会での新たな価値観

 「地域とともに歩む中小企業」を掲げている、一般社団法人京都中小企業家同友会に入会しました。
 社員さんやパートさんみんながいて、経営者が偉いんじゃなくて持ち場が違うだけでみんな一緒。だから自分と同じ思いで会社を作っていくっていうのがベースにあるんです。私は理念にすごく共感して、そのなかで自分の会社の経営理念とか経営指針を考え、作れる場があったので、私がしたいのはこれだって思いました。
 そこで自分の会社は地域とともにあるということに気づきました。だから私たちは街づくりも担っていけるような経営者にならなければならないと思うようになりました。

【これから】活動拠点をフリポへ

 京都中小企業家同友会の方で京都で地域企業(同友会では中小企業のことを地域企業と呼びます)を発展させるには行政や金融、教育そして市民を巻き込んで京都を良くしていかなければならないという考えを学びました。私は経営者だけで集まっても意味がないと思ったんです。市民を巻き込んでいく工夫が必要だと思いました。そこで私は自宅を改装して京都駅の近くにFree Port 京都というコミュニティースペースを設立しました。ここは今全体で172人が所属していて、世代も属性も異なる共創型のコミュニティーで毎日いろいろな人が集まっています。理念は「Design Our Happiness」。みんなで幸せを形作っていくっていう思いを乗せて立ち上げました。誰かのために動ける人がいるその組織は幸せになれる。いい意味での相互依存ができる、そんな社会になればいいなと思っています。

京都で家でも職場でもない第三の場所として運営されるコミュニティサロン (platinumbeauty-osakaumeda.jp)

編集後記
改めまして、インタビューにご協力いただいてありがとうございました。このような機会をいただいて、お話しできたこと、うれしく思っております。私は今回の企画において、メンバーのリーダーとして活動していました。リーダーとして活動するのは初めてで、チームを引っ張ていくことの難しさを痛感していました。目の前のことに必死でうまくいかないことが多かったです。しかし、チームのことを考え、そのために方向性を示すことの重要性を知ることができました。リーダーのような役を与えられたときにこのことを頭にとめて動けるようになりたいです。

経営者としての在り方①はこちら
https://note.com/preview/n2bf992b06725?prev_access_key=1883003ab5443c4ec7e026f933d8053f


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